官足法は何のためにあるのか?
官足法は、痛みや各種疾患にとって万能だと思い込む必要はありません。ひとつの健康法なのであって、治療を目的とした医療ではないのです。
ですが、現象的には治療だととらえられやすいのですが、それは近代社会の枠組みでの中での話であって、信頼できる医療もなく宗教に頼るしかなかった太古の時代の経験則として、足裏を揉めば楽になる、痛みが軽減されるなどの事実として人類が継承してきたものなのです。治療だとか健康法など区別のつかなかった時代のものです。あくまで、近代の概念とは違いますが、実際は同じ事なのですが、体の調整法だとお考え下さい。
ですから、中国大陸だけでなく、インドにもエジプトにもヨーロッパにもありました。おそらく、マヤ文明やインカ文明にもあっただろうと想像しています。人類の継承してきた知恵だとお考え下さい。
この経験の事実の積み重ねにあるのですが、日本の現行の法的制度では、「統合医療」と呼ばれています。多種多様ある補完医療の一つだという位置づけなのでしょう。
ですから、足揉みそれ自身が目的ではありません。
むしろ、官足法で健康を維持して、何か別のことをやりたい、やり遂げたいと考えるときに必要な健康法なのです。いまでは、健康それ自体が目的化されている面がありますが、健康はあくまで手段であって、健康ならそれでいいというのはおかしな話です。笑い話に「健康になるなら死んでもいい」と言った人がいるという話が落語のオチでありましたが、それでは本末転倒しているわけです。
そして、官足法へは多くの人がやってきて、多くの人が去っていきます。
はじめに良い結果を得た人は、その成功体験のおかげで、続けることができますが、良い結果を得られない人は去っていきます。見切りをつけていきます。とくにこの療法は〝痛い〟ですから。
また、良い結果を得られなかった人は、「ちっとも効かない」と言います。ですが、「毎日しっかり揉んでますか」とお聞きすると、「やっている」というのですが、実はやっていないのです。または、やっていても偏食だったり睡眠不足であったり、体の使い方が夜昼逆転していたり無茶苦茶です。「そりゃ、良くならんわなぁ」ということが度々起こります。本当に良くしたいなら、足を毎日揉むだけでなく、食事にも体の使い方にも気を付けることが必要です。
はじめて来られる方は、なにも話されなくても、健康不安や疾患を抱えておられます。それが入り口となるのですが、その改善が目的ではないのです。
改善した後、何をするのかが問題なのです。
自分の楽しみのために趣味に打ち込むなり、ビジネスに励むなり、そこは何でもいいのですが、そのための健康法なのです。やりたいことをやるための健康法なのです。そこをはき違ってはいけません。
ですから、自分で自分の足を揉むのがいいのです。
官有謀先生も自分の健康は自分でつくるとおっしゃいました。自分の足は自分でもむのです。そして健康になるというのが本道なのです。
そのためには、続けなければなりません。
本当に続けないと結果は出ないのです。コツはそうそうに見切りをつけないことです。
良くなるのは、一気に来るわけではなく、なんとなく調子がいいなぁ、とか毎日2つから3つぐらいのタスクしかこなせなかったのが、4つも5つもこなせてしまって、そして疲れない時です。
アッ、元気になってきたと気づくのです。
その程度です。
ですが、確実に効いてきます。
人は悪くなる時はすぐに気づくのですが、良くなる時にはなかなか気づかないものです。なにせ、元気なことが当たり前だと思っているからです。
当たり前のことが当たり前でなくなった時に、健康じゃないと気づくのです。ああ、しいどいと。どこそこが痛いと。
これが始まりですが、大きな病気を抱えていることもあります。
それはいろいろ探ってみないとわからないわけですが、食事、睡眠をきっちり管理して、足揉みをすれば、結果が出ます。そして、それでも出ない時にほかに病気はないかと考えてみることなのです。足揉みの最中に異変に気づくはずです。
妙にその対応する反射区が痛いときです。
診断にもつながりますし、治療にもつながっていきます。
そして、健康な体を取り戻して何をするかなのです。
そこまで、視野に入れて初めてもらいたいのです。
そうでないとすぐに挫折しますから。
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