見出し画像

2度目の創業、仮想発電所ベンチャー®︎が挑むエネルギー領域の可能性。

はじめまして、株式会社操電は「誰もが電気を自由に操れる オープンな世界をつくる。」をミッションに掲げる仮想発電所ベンチャー®︎です。

現在の事業は、主に電気自動車の充電器導入を企業向けにホワイトラベル方式で提供しています。顧客のフロントとなるハードウェアはもちろん、導入後の運用で必要となる管理画面や一般顧客へ提供するアプリのソフトウェア開発。さらには工事に伴う現地調査や施工管理、補助金の代理申請に至るまで丸ごとサポートしています。

いきなりですが、皆さんは「仮想発電所」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか。

「仮想」は仮想通貨や仮想現実など近年よく聞くようになった単語として認知されている方も多いと思いますし、もう一つの「発電所」はもっと身近で、学生の時に理科や社会の授業で習ったので知っているという人が多いと思います。

しかしこの2つが組み合わさった途端、思わず「?」の記号が頭に浮かび、首を傾げた方も多いのではないでしょうか。

電気は目に見えないためその存在意識がつい薄まりがちですが、私たちが毎日利用している最も身近なエネルギーの一つであります。またこの電気は戦後の復興の過程で国中に張り巡らされた電線網を経由し、私たちの家やオフィスに届けられています。そしてその大元を辿ると、当たり前ですが電気そのものを作る「発電所」に行き着きます。

実は次の10年に向けて、このエネルギーの仕組みが大きな転換点を迎えようとしています。

初回となるこのnoteでは、株式会社操電の代表である飯野さんのキャリアと2度目の起業について紐解きながら、昨今の日本におけるエネルギー領域の傾向と可能性についてお届けします。少々長い話にはなりますが、是非最後までお付き合いいただけると幸いです。


これまでの生い立ちと経歴について

インタビューに応じる飯野さん

飯野 塁 / 株式会社操電 代表取締役
大学在学中に消防事業を営む株式会社ベルリングを創業。2014年消防車両事業を開始。2019年更なる事業拡大のためDMM.comへジョイン。2020年新時代の救急車「C-CABIN」のコンセプトカーを発表、2022年より量産化を実施。2023年6月をもって代表取締役を退任し、現職の株式会社操電を立ち上げエネルギー領域において2度目の起業に挑む。

ーー生い立ちについて教えてください。

自分は千葉県野田市という工業地帯で生まれ育ちました。父は消防官、母は経営者として認可外保育園を経営していたので、幼い頃から自営業というものがとても身近に存在していました。

夜の薄暗い部屋の中、母が私を膝の上に乗せながら紙の帳簿を書いていたのが印象的で、とにかくバリバリ働いていて「パワフルだな」「かっこいいな」と誇らしかったのを覚えています。

しかし、そんな母が急死します。
彼女は当時34歳、自分はまだ小学2年生でした。

幼い自分にとってあまりに大きな出来事ではありましたが、それでも思い出すのは毎日を必死に、でも楽しそうに保育園を切り盛りする母の姿でした。今思えば働くなら自営業、のちに起業という選択を選ぶようになったのは母の影響が大きかったのかもしれません。

その後に高校に進学しましたが、とにかくバイトに明け暮れていましたね。また卒業したらすぐに社会に出て自営業をしようと思っていたので、オーナー経営がされているバイト先を選び、自分なりに自営業のやり方を学んでいました。

ーー操電は2回目の起業ですが、初めて起業されたのはいつですか?

初めての起業は、大学3年生の時まで遡ります。

元々は大学へ行くつもりはなかったのですが、高校の先生の勧めや周りのサポートもあって進学することになったんです。とはいえ起業するという意思は変わらなかったので経済学部を専攻し、大学で履修する授業も会計や税務、模擬起業ができる講義など、とにかく将来の起業に役立ちそうなものに絞って受講していました。

そして大学2年生になった時、とある転機が訪れます。教授から交換留学制度を勧められて1年ほど海外で暮らすことになったんです。そしてその行き先として選んだのが、当時北京オリンピック開催で熱気に溢れている中国でした。

自分と同じ制度を利用して交換留学を計画している友人もいましたが、やはり当時はみんなアメリカに行きたがる傾向がとても強かったんです。当時はAppleからiPhoneが登場したり、Facebookがサービスとして出る前後の時代感だったので。

もちろんアメリカでも悪くないなと思ったのですが、交換留学先の選択肢の中にあった中国という国が妙に気になったんです。結果的に自分の直感に従って、中国を留学先として選択しました。

現地では寮生活だったのですが、国際寮だったのでアメリカ人やインド人など、本当に多様な人種の交換留学生が在籍していました。そしてその寮友達になる学生たちは当時わざわざ中国を選んでいるだけあって、物凄くパワフルな学生が多かったんです。学生ながら、すでに自分でビジネスを始めている人も珍しくありませんでした。

そんなある日、私が寮友に「起業しようと思ってるんだよね」という話をしたんです。すると、彼は僕にこう言ってきたんです。

「なんで、今しないの?」

自分にとってあまりに衝撃的な一言でした。同時に起業におけるスピードという何にも変え難い価値に気づくきっかけにもなり、その場で「すぐ起業しよう!」と心に決めました。

その後も寮友と今後のビジネスプランについて夜通し話し込んだり、エネルギッシュな人に囲まれて濃厚な時間を過ごすことができたのは貴重な体験でしたね。

帰国後、消防車のパーツ販売に着目して起業

パーツ開発の様子

留学中にもいくつかビジネスを考えていたのですが、最終的に消防車のカスタムパーツを製造販売するビジネスで会社を起こすことにしました。

もちろん当時の流行りでもあるソフトウェアも検討したのですが、父が消防士だったので縁や人脈があることに加え、自分のガジェット好きも相まって改めて消防車という存在に興味が湧いたんです。そしてさまざまなビジネスの種を探していくうちに、消防車を作っている会社があることを知りました。

しかし当たり前ですが、いきなり素人が車を作るのは難しい。そんな中でも切り込める場所がないかと思い、関連雑誌などを読み漁っていく中で目についたのが消防車のカスタムパーツでした。

当時もさまざまな種類のパーツ販売はされており、どれも機能性や利便性を考えられたものばかりでしたが、その一方で新たな課題も見つかっていました。それが消防車の積載量制限と、必要な機材との相反です。

消防車にはホースや救命器具など数多くのアイテムが搭載されています。しかし車である以上乗せていい荷物の重さには限度があるため、どんなに便利で現場が楽になるものでも「重くて乗せられない」という事態が起きるんです。また無理に拡張したり、車体のバランスを欠くような積み方をすると移動中に横転するような事故が発生してしまい、怪我や死亡事故につながることもあります。

そんな時、たまたま大学の講義の中で調べていたカーボンなどの新素材のことが頭をよぎったんです。「軽い新素材を採用し、コンピューターで設計した軽量なパーツを製造販売したら、この課題を解決できるのではないか?」と。

結果的に自分の興味と知識がつながり、消防車のカスタムパーツというアイディアから起業することになりました。

事業拡大と車両開発

ありがたいことに最初に製造したパーツが好評で、なんとか売れてくれたんです。それを元手に徐々にパーツ数を増やしていき、売り上げも組織も少しずつ拡大していきました。

そして創業から数年経った時に、なんと「消防車を設計しないか?」と声をかけていただく機会があったんです。我々が新しいパーツを供給し、消防車の老舗メーカーと協業しながら新しいコンセプトの車両を開発するOEM方式だったのですが、おかげさまで市場からも一定の評価を受けることができました。

完成した消防車

その後、ありがたいことにまた別方面から「メーカーとして、救急車を作らないか」という話をいただいたんです。消防車の共同開発から得た経験もあったので、新たな挑戦を前にとても興奮していました。

しかし、いざ車両を丸ごと作るとなった際の現実に直面しました。それが開発資金と、採用に求められる信用力の不足です。

実は、ここに至るまで外部調達をせずに自己資本でやってきました。しかし1から車両を設計するとなるとパースは数千単位に増え、製品開発における初期費用が膨れ上がるのは目に見えていました。また開発や技術面においても、新たに大手メーカーでの車両開発の経験があるエンジニアを仲間に迎える必要性があることは明らかでした。

これらの課題感から、車両メーカーとして立ち上がるための資金調達や業務提携先を現実的に検討することに。そして証券会社を経由していくつかのパートナーを紹介をしてもらい、その内の1社がのちにジョインすることになる合同会社DMM.comでした。

DMMとの出会い

ーー大きな決断だったと思いますが、当時の心境を教えてください。

今だから言える話なのですが、自分の中でDMMは「ITのエンタメ企業」というイメージが強かったので紹介されたものの、頭にはハテナが浮かんでいる状態でした。しかし経営陣と対話を繰り返すうちに、その印象はどんどん変わっていきました。

まずDMMは経営層も含めて年齢が比較的近く、ジョインした際に一緒に動くイメージが湧きました。またお互いが持っている知識も領域も全く異なっていたのですが「オープンなイノベーションをしたい」という感覚は同じだということを知りました。

また同時にDMMの優秀な経営陣と話していく過程で、自分自身も経営者として成長するために新たな視野を取り入れる必要性を感じました。これまでも業界の外側から飛び込み、イノベーションを起こしてきた側の人間である自負を持っていましたが、対話を繰り返していくうちにまだまだ自分自身も限られた領域に留まっていることに気づかされたんです。

結果的にこれら複数の観点を鑑みて、正式にM&Aを行いグループ参画することを決めました。

その後は無事に大手車両メーカー出身のエンジニア採用にも成功し、念願だった救急車の新規開発に取り組むことができました。当然ですが0からの車両開発は困難の連続で、開発のために福島の工場に入り浸る日々が続きました。車両の完成まで3年に近い時間がかかりましたが、結果的に国内でも数少ない救急車メーカーとして立ち上がることができました。

開発中の救急車をチェックする様子
完成した救急車

2度目の起業と、エネルギー領域への越境

ーーとても順調な流れに思えますが、その後に2度目の起業に至った経緯を教えてください。

救急車の量産体制が見え始め、ようやく身辺が落ち着いたタイミングで自分は次の開発や企画を考え始めました。その過程で中国の電気自動車(EV)メーカーの台頭を目の当たりにし、救急車の延長で「今度はBtoB向けのEVを作れないか?」という発想に至りました。

当時は現在と違い、まだまだ日本メーカーのEV車種も限られていました。また充電インフラサービスも増設の踊り場を迎え、一度停滞していたような時期です。しかし海外の動向を見ていると「日本でも近い将来に一定の波は来るのではないか」という肌感覚があり、さっそく自分でテスラを購入して現行EVの課題を見つけようと観察を続けました。

しかしここで意外な結論に直面します、自分の中でEV車両にまつわる社会課題があまり見つからなかったんです。それでも切り込む余地がないかと思考を巡らせ続けながら、その後も電気自動車に乗り続けていました。

しかしある日、全く別の観点で課題を見つけます。それがEV充電器のユーザー体験でした。

それまでは近場にテスラ専用の充電器があったので、あまり他の充電設備は利用したことがなかったんです。そんなある日、たまたま別メーカーの充電インフラを利用してとある課題に直面しました。テスラ製のスーパーチャージャーと比較すると、国内の充電器における利用体験は多くの課題を残していました。

当時はかなり古いシステムも残っており、例えば充電の決済をするために指定番号に電話をかけ、担当オペレーターにクレジットカードの番号を口頭で伝えて代理決済をしてもらうような機器も存在していました。さらにメーカーごとに充電器の操作も、決済方法も大きく異なり、出先の充電の度にその違和感は大きくなっていきました。

自分自身がEVユーザーとなったからこそ、最適なソリューションを作り込みたい。

そんな思いが芽生え始め、結果的にベルリングの代表を引き継いで2回目の起業を決意しました。それが現在の「操電」です。

EV充電器インフラの立ち上げ

最初の1年は世界情勢の基礎研究と並行し、充電器周りのモックアップの開発を行いました。また研究を進めている間にも日産のサクラが登場してEV車の販売数が伸びたり、トヨタのEV戦略発表がされたりと、国内市場の盛り上がりを肌で感じるようになりました。

また創業当初はハードウェアとソフトウェアをセットで開発し、一貫したユーザー体験を届ける独自プラットフォームを構想していました。しかし開発を進める中で企業から「充電インフラの導入を支援してほしい」というオファーをいただいた事をきっかけに、ホワイトラベル方式でのサービス提供に舵を切りました。

おかげさまで初期から大企業との提携も決まり、日本のEV充電器数が約3万口に留まる中、半年という短期間で5000口の充電器を受注することになりました。またこれらの実績を評価していただき、近年では幅広い企業さんからのご相談も増えています。

とはいえ、多くのステークホルダーを巻き込みながら工程を進めていかなければいけない充電インフラのサービスの立ち上げは数多くの困難がありました。

EV充電器サービスは充電器をポンと設置すれば完成するものではなく、ソフトウェアにおける管理システムの構築や充電・決済機能の開発、リアルでは設置する場所での現地調査や電気工事、施工管理、補助金の申請管理など携わる領域は非常に多岐に渡ります。

創業期の開発については、ぜひエンジニアチームの裏話もご覧ください。

また充電器を設置するには日本全国の現場で工事を一緒に行なってくれる施工会社を探す必要があり、この開拓にも非常に苦労しました。当時は北海道から沖縄まであらゆる施工会社へ電話をかけまくりましたが、実績がないという理由で断られたり、EVの意義自体に懐疑的な方もいたりと開拓は難航しました。

ようやく現地調査と工事を一緒にやってくれるパートナーを見つけた後は、充電器設置のため日本中で工事が始まりました。南は九州、北は北海道までとかなり広範囲に及んだのですが、自分たちで現場に足を運ぶことも大切にしていました。

その現場感覚のおかげもあって様々な知見が溜まり、運用体制を構築した現在は専任チームが主導しています。国の後押しもあってますます充電器の設置は加速していくと思いますが、より強固な組織体制を構築していきたいと考えています。

日本の電力事情と今後の展望

事業拡大と今後を語る飯野さん

日本の電力網は戦後、国家レベルでの大規模開発を経たのちに電力会社を民営化。大規模な発電所で大量の電力をリアルタイムに発電し、すぐに消費する中央集権的な仕組みが取られてきました。

ところが東日本大震災時の電力需給のひっ迫などを皮切りに、原子力発電所や火力発電所といった大規模な発電所に集約するシステムの課題が顕在化しました。さらに将来的なエネルギーの枯渇や、温室効果ガスによる地球温暖化など環境負荷への課題感も高まっています。

そこで世界的にも注目されているのが太陽光や風力などを活用した、枯渇することなく永続的に利用できる再生可能エネルギーへのシフトです。

しかしこの再生可能エネルギーにも、新たな課題が存在します。それは発電できる時間が限られていたり、天候等に左右されるなど「発電量が安定しないこと」です。これは現在のシステムである中央集権かつ大規模発電を前提とした「即時消費」というエネルギーの使い方とは非常に相性が悪い。

そこで新たに必要となるのが「蓄電」「分散管理」の2つです。

不安定な発電でもその電気を貯めることができれば、夜間や夏場などの繁忙期に放出して高い需要をカバーすることができます。また世界的なEVの普及に伴い、蓄電池の価格も下がりつつあるため、企業や個人単位で蓄電設備を持つことも現実味を帯びてきています。

国としても後押しのために規制を緩めて新電力の参入を促したり、蓄電池への補助金を出したり、発電した電力を株式のように自由に売買することができる電力市場をオープンしたりと業界としても大きな転換点を迎えようとしています。

操電では「誰もが電気を自由に操れる オープンな世界をつくる。」をミッションに掲げ、EV充電インフラのホワイトラベルカンパニーとして出発しましたが、これはまだほんの序章に過ぎません。

現在はチームを拡大しながら、世界的にも注目され始めている新たなエネルギーの分散管理システムVirtual Power Plant(VPP)を見据えた新規事業にも着手しています。ここについて話し出すと時間がいくらあっても足りないので、是非気になる方は直接お話しできればと思いますが(笑)

多くの人にとって一方的に消費するだけだったエネルギーが近い将来に民主化され、賢く貯めたり、個人での売買やシェアをするような時代がやってくると考えています。

エネルギー領域にはまだまだアップデートできる可能性と、多くの課題が残されています。これまでエネルギー関係の仕事に関わっていた方も、これまで全く縁のなかった方も、多くの人が興味を持つきっかけにしてもらえたら嬉しいです。

操電のカルチャーと働き方

現在の操電では、自分も含めて創業2回目のメンバーが多く在籍しています。ベンチャー出身も多いので、プロフェッショナルとして合理的な判断を心がけながらも好奇心と遊び心を忘れず、未知の領域にも情熱と執念を持って取り組む「プロ少年」みたいなメンバーが集まっています。

また社内カルチャーは「オープンでフラット」を常に意識しています。まだ少人数の組織なので、組織構造も最低限シンプルな形式をとっています。

役職や雇用形態に関係なくフラットに意見が言い合えるような関係を大切にしたいので、細かい話ではありますが社内ではお互いを役職で呼び合うのではなく「さん付け」で呼び合っています。外部パートナーとして事業に関わってくださる人も多いのですが、いい意味で誰が社員で誰が外部パートナーなのかぱっと見で分からないような雰囲気も操電の特徴です。

また働き方については「余白」と「心の余裕」を意識しています。弊社はスタートアップでありながらも残業を少なくすることを意識しているのですが、これは自分自身の1度目の起業における反省を踏まえています。

当時は自分自身にスキルがない状態から始まったため、とにかく時間を対価にして開発をしなければなりませんでした。そこから多くの学びがあったものの、やはり一時的にプロダクトの質が落ちたり、私生活が疎かになったり、燃え尽きるような感覚になったりと多忙であることが負の連鎖を生み出しました。

また事業開発においてチームワークは非常に重要だと思うのですが、感情的にならず、健全なコミュニケーションを取るにはメンバー同士に一定の「心のゆとり」があることが重要だと考えています。

勿論ここぞというときの踏ん張りや正念場でやり切ることは大前提としつつも、各自のライフスタイルに合わせて出社とリモートワークを上手く組み合わせたり、余白が生まれる仕組み作りをしぶとく模索し続けたいと考えています。

操電は積極採用中です

操電では、日本のエネルギー領域をアップデートしていく仲間を探しています。まだ転職を考えていない方も、まずはカジュアルにお話しできればと思います。

ソフトウェアとハードウェアを組み合わせ、オープンな思想を持ちながら多くの人を巻き込んだイノベーションに挑戦したい。そんな方のご応募をお待ちしています。