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話数単位で選ぶ、2022年TVアニメ10選
今年もやって来ました。
「話数単位で選ぶ、○○年TVアニメ10選」の季節が。
まず、例によって「それって何ぞ?」という方のために概要を引用します。
「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」は、その年に放映されたTVアニメの中から印象的だった話数や優れていると感じた話数を各々のブログなどのWEBサイトにコメントと共に掲載する企画です。
■「話数単位で選ぶ、2022年TVアニメ10選」ルール・2022年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。・1作品につき上限1話。・順位は付けない。・集計対象は2022年中に公開されたものとします。
元々は2010年から新米小僧さんという方が集計しておられた企画ですが、2020年以降はaniadoさんで引き継がれています。
★昨年(2021年)の集計結果はこちら
☆ちなみに俺のチョイスはこんな感じでした
実は昨年の全体集計がどうなったか確認していなかったんだけど(選ぶだけでなかなか大変だし、わりとそれで満足しちゃう)、トップ3になったものをもれなく選んでいて「俺って結構コンサバっていうか置きにいってるよなあ」と思ったりもした。でもまあ、あんまり奇をてらっても仕方ないので今年も普通に自分がよかったと感じたエピソードを選んでます。
では、順番に見ていきましょうか!
例年、自分が該当話数についてTwitterで言及したものを引用しながら列挙していくスタイルにしていて、これが観た当時の自分の気持ちを思い出すのにもとてもよいので、今年もそれを踏襲してます。
※並びは放送順
(放送日はWikipediaでチェックしただけなので地域などによって異なる可能性がありますが、ここではその厳密性は問いません)
「そうそう、この話いいよな!」とか「これ観てなかったけどよかったんだ」とか思ってもらえたらいいなと思います。っていうか俺も他の方が挙げた話数を見てそんな感じで楽しんでます。今年もすでに投稿されてる方たくさんいるのをチラチラ横目で見てはいるんだけど、チョイスに影響を受けたくなかったのでまだほとんどちゃんとは読んでません。これをアップしたらボチボチ読んでいこうかな。
『ワールドトリガー 3rdシーズン』第14話「覚悟」
【1月23日放送】
番組自体は2021年10月スタートなんだけど、14話構成だったこともあって年明けにこぼれていて、かつ報道特番の影響で最終回だけ1週延期になったのがこのエピソード。
まあやっぱりねえ、ワートリはランク戦が一番楽しいんですよね。彼我の能力差がランクという形ではっきりわかっていることと、それを埋めてさらに逆転するためにどうすればよいのかというアイディアと工夫、そういったものを画面上で視聴者に過不足泣く理解させるために緻密に練られた構成と構図。それらすべてが凝縮されたクライマックスだったと思う。
ワートリ3期最終話、待たされた甲斐があったな。画面の前で「今しかない、撃つんだ千佳!」って言ってて「本当に撃った!」って泣いてしまった。玉狛第2の弱みや劣っている部分がすべてひっくり返ってそのまま勝負の綾になっていく展開がアツい。これを見せるために積み上げられてきたんだな……
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) January 24, 2022
ランク戦をじっくり描いて各メンバーの成長を見せてくれた3期は総体としても満足度が高かった。1クールとしては変則的な14話構成というのも、必要な尺をちゃんと取ったいい仕事だったと思う
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) January 24, 2022
『プリンセスコネクト! Re:Dive Season2』第10話「落日のランドソル」
【3月15日放送】
なんか年間通してみてもこれだけツイートがすごい長くて、我ながらペコに対する愛が重い。
ペコリーヌ視点で見ればプリコネという物語は正統派とも言える貴種流離譚で、彼女がいかに自らの出自と向き合い、国と民と、それから自分自身の名前を取り戻すか、というのが本筋じゃないですか。ここまで2期にわたってふんわりほんわかした日常を過ごしてきた大切な日々の記憶こそが、そして友への思いこそが、彼女を真にプリンセスたらしめたのだ、という王道中の王道と言える展開なんだけど、そこでなお、ペコリーヌの剣の切っ先は震えているんですよ!(ドンッ)
ついに覚悟を決めるときが来た、しかし同時にまだ畏れをも感じている、しかしそこで最後に彼女の背中を押してくれたものの重み、そしてギリギリで成立するプリンセス真ユースティアナとしての名乗り、これで泣かない人いる? そりゃまあいるか……。でも俺は滅茶苦茶泣いたよ。
「プリンセスコネクト!Re:Dive Season 2」10話、これまで2期22話にわたって踏襲してきたサブタイトルの法則性を初めて崩したエピソードだけに、ペコリーヌとキャル、それぞれがお互いに秘密にしてきたことが明らかになるまさに集大成と言えるドラマチックな展開。ペコの名乗りが男前すぎて泣いた……
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 16, 2022
振り上げる剣が震えてる演出、これだけで感情を伝えることができるんだな。畏れを押し殺し、友を救うため、すべてを取り戻すために真の名を名乗る覚悟を決める瞬間のなんと凛々しく儚いことか
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 16, 2022
プリコネ2期10話をもう何回も観てる。プリンセスなのはペコリーヌ/真ユースティアナだけど、物語構造としてのお姫様はキャルなんだよな。自分ではどうにもならない境遇から救い出してくれる“誰か”を待っている。ペコはその王子様でなければならないので、あの名乗りには幾重にも意味が乗っている
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 17, 2022
「誰か私を消し去ってほしい」という願いを打ち消して「助けてほしい」と初めて口にするキャルに対して、ペコリーヌはただ「もちろんです」と答える。それはもちろんお互いに大事な友人であり仲間であることを認め合っているからなのだけれど、しかし名乗ったからにはそれだけでは済まされない
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 17, 2022
その名に見合うだけの守らなければならないもの、背負わなければならないものがあって、その大きさにこそまさにペコリーヌの葛藤があったわけだけれど、それを克服する最大の動機が「仲間を取り戻す」ことであるのがね、最高にエモいんですよね……
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 17, 2022
『時光代理人 -LINK CLICK-』第12話「光をくれる人」
【3月27日放送】
中国アニメが結構好きで、放送予定に入ってきたら必ずチェックするんだけど、韓国と同様笑いの感覚がわりと違う(日本的な感覚で言えば古く見える)ことが多いのを除けば、文化や習俗の違いが楽しめるのが要素としては大きかったりする。
ただ、『時光代理人』はそういうフィルターなしにストレートに楽しめる作品だったと思う。第1話からテレビアニメとしてのクオリティが非常に高くて驚かされた。
時光代理人、舞台・キャラクター・能力の説明から物語への導入をそつなくこなして、泣かせるポイントも仕込みつつ後味を利かせた引きまで用意して、TVアニメの第1話としてはほぼほぼ完璧。いまのところ今期のトップかな
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) January 9, 2022
そして、一見無関係な人情話をベースにしたタイムリープものを装いつつ、その裏では実は時系列が複雑に絡む大きな事件が軸として通っているという骨太の構成で、それをさらにひっくり返してきて2期への引きで終わらせる最終話にはちょっと度肝を抜かれた。アニメというよりよくできた海外ドラマの作りって感じ。
時光代理人、複雑な時系列と写真のギミックを駆使しながら謎が収斂して大団円へ。……と思って観てたら徐々においおいこれは雲行きが怪しいぞってなってものすごいところでクリフハンガー仕掛けてきた!w もうこれ明日から2期やってくれよ!!!
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) March 28, 2022
監督・脚本の李豪凌が映画『四季織々』でも総監督を務めた人物であると知って観直すとまた違う感慨もある。心情と情景の描写が細やか。特に3~5話では、中国で過去に実際に起きた大地震をテーマにしていて、生者と死者それぞれに対する優しい視線と死生観には、国や文化が違っても通底するものがあるのだなと強く実感させられた。
時光代理人5話、時を切り取る「写真」を媒介にして過去に行き来するけれども改変はしない、それにどんな意味があるのかっていう問いはそのまま、チェン・シャオの母親が最後に残した「行きなさい」という言葉に連なっていると思う
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) February 7, 2022
『シャインポスト』第4話「玉城杏夏は《目立たない》」
【8月3日放送】
2022年のアイドルアニメは大本命『ラブライブ!』が虹ヶ咲とスーパースターでそれぞれ2期を放送していたし、それ以外にもいろいろあって、もう完全に1つのフォーマットとして定着したなって感じ。
そんな中でも、意外といったら失礼だけど健闘していたのは『Extreme Hearts』で、そこから選んだ人もたぶん結構いそうだけど、個人的には『シャインポスト』のほうが好きだった。
昨今のアイドルアニメに比べれば、初期メンバー3人+後半で追加されるメンバー2人の最大5人という人数は少なめで、それゆえに各メンバーの内面描写に尺が割けるという利点があり、特にこの第3話・第4話で最初に掘り下げるのが主人公ではない脇のメンバーだというのが、地に足の付いた感覚がああった。まずは土台から固めていくぞ、みたいな。
それぞれにファンが付いていて、ファンその人もまたキャラが立っているというのも面白いなと思って観ていたら、それがちゃんと活きてくる設定なんだよね。ただ設定しましたというだけでなく人と人の間の関係性の積み重ねをしっかりと見せつつ、それがストーリーにフィードバックされるラストのライブシーンが、リアルなアイドル現場の様相をも感じさせて、それもナイスだった。
シャインポスト4話、アイドルとしてあまりに“普通”で特別な才能は何もないと自覚する玉城杏夏が以前ライブで大失敗したトラウマを克服して再びセンター曲に挑戦するという成長物語に、リアルに声優初挑戦の子をキャスティングするメタ構造を織り込んでくるの鬼かよ! すげえよかったぞ!
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 2, 2022
シャインポスト4話、おきょんのレスもらってトッカさんが卒倒するカットの作画、下手したらライブそのものより力が入ってたしそれで大正解だったと思う
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 3, 2022
『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』第8話「あの日々を忘れない」
【8月28日放送】
『ワールドウィッチーズ』シリーズで初の戦わない、それも歌うウィッチたち、っていう事前の触れ込みから漠然と感じていた不安をいい意味で180度裏切ってくれた『ルミナスウィッチーズ』。
ルミナスのウィッチたちはそれぞれの理由で「戦えない」わけだけど、ではこの先の見えない戦時下においてウィッチとして彼女たちにはいったい何ができるのか、ということを真摯に突き詰めた作品だったと思う。
こうした人数の多いグループものでは定番といっていい、いわゆる「当番回」を順番にこなしつつも、“当番ではない”子たちにもしっかりとフォーカスして、それぞれの悩みや迷いをいかに克服しつつ関係性を深めていくか、という描写を着実に積み重ねる構成の妙はほとんどアクロバティックと言っていいレベル。
各話数とも平均点が高くて甲乙付けがたいんだけど、ルミナスのみんなでいのりの故郷である扶桑を訪ねてその祖母の家に泊まるという展開の第8話を推したいと思う。
特に秀逸だったのはラストシーンで、孫娘たちが乗る軍用機が去って行くのを見守りながら「いってらっしゃい」と手を振って、普通ならそこで終わるのが定石だと思うんだけど、機はぐんぐん遠ざかっていき振っていた手も下ろした祖母の、少し丸みを帯びたその背中の寂しさを、数秒の溜めで明らかに意図的に見せている。ただ少女たちの可愛さ、可憐さを描くだけじゃない、俺たちは人間のドラマを描いているんだ、という確かな気概を感じるカットだった。
ルミナス8話、ラストカットが最高にエモい pic.twitter.com/FqORtM1H2R
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 28, 2022
ワールドツアーで扶桑にってことでいのり回かと思いきやミラーシャ回でそれもよかったし、石田大尉とか新ナイトウィッチとか他の見どころも多いんだけど、孫娘一行を見送って手を振ったいのりの祖母がそっとその手を下ろした背中の寂しさに泣いた……敢えて顔を見せないのも抑制が効いていてとてもよい
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 28, 2022
こういう細やかな演出が随所に見られるんだよな、ルミナスは。手癖でやってなくてちゃんと考えられてる。すごい
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 28, 2022
このひとつ前の第7話「太陽の理由」もよかった。ただこっちは過去のシリーズを知らないとちょっとわからないかもっていう部分が少なからずあったので外しました。
ルミナス7話、不覚にもちょっと泣いてしまった。戦わないウィッチの在り方、ナイトウィッチの繋がり、過去のシリーズとの整合性を取りながらエモーショナルな結末へと誘導していく手つき、何もかもが丁寧に作られてる職人の仕事だ……
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) August 22, 2022
『オーバーロードIV』第10話「最後の王」
【9月6日放送】
正直言ってこの4期のシリーズは、劇場版が控えていることも関係しているのか全体としては構成が歪になっているところが多々あって、原作未読勢の自分にとっては唐突に出てくるキャラクターとかがいてちょっと首をかしげつつ観ていた回もあったんだけど、このエピソードでのアインズとザナック王子が対話するシーンだけでお釣りがきたなと。
魔導王としてのアインズは人間から見ればほぼ全能の存在で感情移入する余地があまりないのに対して、人としての弱さと限界を重々認識しながら、それでも可能な限り最善を尽くそうとするザナック王子にこそ「王たる器」を感じさせて共感を誘う、という対比が見事。また、その余韻も覚めやらぬうちに迎える無常感あふれる最期も含めて『オーバーロード』らしさが凝縮されていたと思う。
オバロ4期10話、ザナック王子はもちろん善人ではないが彼なりの理想と信念があり、その意味ではアインズと表裏一体のキャラクターだった。2人が対話して「理解し合えないことを理解し合う」Bパートは出色の出来。その帰結も含めてこの作品らしさが十二分に表現されていたと思う
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) September 7, 2022
この作品の面白さは、現代の日本に生きる我々の習俗における倫理観や、キャラクターの主義主張、思想信条、その振る舞いへの共感などとはほど遠いところにある。それを高いレベルで実現することはやり方次第では可能であるということを示す好例であるとも思う
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) September 7, 2022
この前後でTwitterでは「正しさと面白さが別なはずはない」みたいな意見がちょっと物議を醸していたんだけど、いいタイミングで反証になってしまったっていうのも記憶してる。
このエピソードの終盤では、王子の首を手土産に臣従を誓ってくる貴族たちがアインズの怒りに触れて拷問部屋送りになる、っていうシーンがあるんだけど、それを観た視聴者の大半はおそらく心の中で快哉を叫ぶわけで、その「面白さ」が「倫理的に正しい」はずはないんだよね。
もちろん「大人キャラがちゃんと大人としての責任を果たしている」みたいな「正しさ」に呼応する面白さというものがある、という見方もあっていいんだけど、言うてそれだけだとレンジが狭くない? って話で、「正しくない」作品こそ表現の幅広さを担保しているのだと常々思っている。
『ヤマノススメ Next Summit』第7話「初日の出、どこで見る?」「クラスメイトと山登り!」
【11月16日放送】
第4話までを第1期~第3期の総集編として第5話からの8話分が新規エピソード、という変則的な構成となった『ヤマノススメ Next Summit』。第1期は5分枠、第2期・第3期は15分枠だったものがついにフルの30分枠になったのをファンとして嬉しく思いながらも、最初から尺を圧縮する構成になっていることを少し心配していたのだけれど、それは全くの杞憂だった。
まず総集編パートのつなぎが上手い。そこでもう安心できた。今期は『ベルセルク 黄金時代篇 MEMORIAL EDITION』『羅小黒戦記 -ぼくが選ぶ未来- 【TV放送ディレクターズカット版】』と劇場作品をテレビ用にカットし直した作品があっていずれもいい編集だと思ったのだけれど、仮にそうでなかったとしても、それらは元々画面自体がリッチだから取り敢えずは「保つ」んだよね。『ヤマノススメ』はそれとは前提が全く違うんだけど、知らずに観れば総集編だとは気付かないくらいに、細やかに気を配りながらシーンの取捨選択と再構成が行われたものだった。
で、いざ本編に入るとさらに滅茶苦茶気合いが入ってることがわかってまた驚くという。背景が稠密であることそのものはもはや昨今のアニメでは珍しくはなく、これ本当にこんなに細かくする必要あるのかなと思うこともまたよくあることなのだけれど、「“山”を舞台にする以上は自然の描写に力入れるの当たり前でしょ?」と言わんばかりの背景の美しさと、そこに違和感なく溶け込むように絶妙にチューニングされたキャラクターたちの調和が心地よかった。
それが主要キャラクターのみならず、山で行き会う他の登山客――つまりはモブだ――にまで行き届き、それでいて動きにはアニメらしい誇張がさりげなくも楽しい形で取り入れられていた第7話は、少しオーバーかもしれないけど現代日本におけるアニメーションのひとつの到達点とも言えるものだったと思う。
これぞアニメーションって感じだった。ヤマノススメおそるべし
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) November 15, 2022
総集編にも労力はもちろん掛かってたんだけど、ヤマノスNSの充実ぶりを見ると、もはやTVアニメは1クール12~13話だと長すぎて、8話くらいの構成を1セットとして考えたほうがいいような気がしてくるな
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) November 29, 2022
『恋愛フロップス』第7話「延長料金とられんぞ」
【11月23日放送】
ひと昔前のエロゲやラブコメのようなわざとらしい設定を敢えて前面に押し出しつつも、それが作り物であるということも同時に濃厚に匂わせ続けるメタ構造がついに反転されるエピソード。
まあもちろん、どこかでこれはひっくり返してくるんだろうなっていうのはそこまでの展開から想像が付いていたことではあるんだけど、ひとつのエピソードの中ではっきりとそれを色分けしてくるとは思ってなかった。
何しろその「ステレオタイプなラブコメらしさ」が極まった喧噪とドタバタに彩られたAパートから一変して、Bパートではロマンチシズムあふれる静謐な文芸もののようになっていく落差がすごい。
ストーリーとして明確にここが転換点であるということを示すための演出なので、当然ながらAパートはここまででも最高にバカバカしい出来でないといけないわけで、それをきっちり過剰なほどにやりきったことも見事。
あと、これってA/Bパートに分割されるテレビアニメのフォーマットだからこそ可能な構成で、俺はこういう職人仕事が大好きなんだよね。制作スタジオのパッショーネは今年『異世界迷宮でハーレムを』もよかったし、こういうパッと見では「萌えオタ向けのちょいエロ枠」みたいなルックのものを、「もちろんそれもやるけど、それはそれとしてちゃんと面白くもしますよ」ってシュアーなエンタテインメントとして仕上げてくるプロ意識に惚れる。
恋愛フロップス7話、水着回ならぬ全裸回っていうお色気ノルマを果たしつつ終始1人足りないという違和を不穏に感じさせながら、それを反転させて話を一気に動かしてくる構成。これまでも土台がぐらぐらした「いかにも書き割りっぽい」舞台だということを示唆し続けてきていたわけだけど、これには唸った
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) November 27, 2022
まあそのエロコメ枠的な前フリを全力でやりきってる前半のエピソードでは第4話「すげーんだよ でけーんだ!」とか第6話「た、タマがねえ……チンも……」とかも声出して笑ってしまうレベルで、普通にクオリティが高かったということも言っておかねばなるまい。
『ぼっち・ざ・ろっく!』第8話「ぼっち・ざ・ろっく」
【11月27日放送】
一躍今世紀最高のきららアニメの座に躍り出た『ぼっち・ざ・ろっく!』。ここから選ばないというわけにはいかないでしょ。
結束バンドの初ライブでみんなテンパってしまってる中、「このままじゃダメだ」と意を決して、喜多ちゃんがMCに入る流れをぶった切って新曲「あのバンド」のイントロをかき鳴らした後藤ひとり。
あのシーンには、1人のギタリストがライブで覚醒したというだけでなく、「このバンドのコアはこのギターだ」ということをメンバー全員が悟り、それまではただ集まってそれぞれ楽器で音を出しているだけだった集団がついに「バンドになった」瞬間のダイナミズムと、それを俺たちは今まさに目撃したんだという高揚感があった。
言うまでもなくこのエピソードでのぼっちちゃんのギタープレイと、最終話である第12話「君に朝が降る」での文化祭ライブで喜多ちゃんが見せたアドリブとは対になっていて、2人の関係性の進展という意味合いでそちらを選ぶ人も多いだろうけど、個人的にはより切実な「バンドらしさ」が現れたのはやはりこちらだったのじゃないかなと思う。
ぼざろ8話、後藤がシューゲイザーとして覚醒していく未来が見えたな
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) November 27, 2022
タイトルも回収されて美しいしこれもう第1部完でええんちゃうか
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) November 27, 2022
あと本編とは関係のないどうでもいい話として、おじさんなのでよくできたバンドものを観るとどうしても自分が好きなバンドに引き寄せて考えてしまって、ぼっちちゃんをモリッシーと重ねて観ていたところがあった。
ぼざろでぼ喜多にハマった人はぜひThe Smithsを聴いてみてほしい。22歳無職引きこもりの自称ライター(推しバンドのファンクラブ会報作ってただけ)を陽キャギタリスト(しかも4つも年下だ)が連れ出して作ったバンドだ
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) December 5, 2022
The Smiths - Heaven Knows I'm Miserable Now https://t.co/SeLbVSV6tX
スミス解散後のモズはまたひとりに戻って黙々とソロ活動を続け、ジョニー・マーは陽キャなんでいろんなバンドに引っ張りだこになったっていうのも思い起こしつつ、結束バンドの行く末を妄想してみるのも趣深いんじゃないかなと。
『機動戦士ガンダム -水星の魔女-』第9話「あと一歩、キミに踏み出せたなら」
【12月4日放送】
ガンダムシリーズではお馴染みの仮面を被っている人は別にいるのだけれど、素顔を露わにしていながらも決して他人に真意を見せることのないキャラクター、シャディク。表面上は絶やされることのない柔和な笑顔という「仮面」の裏側に彼はいったい何を隠しているのか、ということが明らかになったエピソードなのだけれど、それが思いのほかストレートにロマンチックで、切なくも悲しくて、本当によかった。
いつも一番近くにいたのに真には近づけない彼の限界を、最後の一歩が踏み出せないその心理的障壁を、物理的に「ミオリネの温室」の内と外とに分けて見せる構図の残酷なまでの明瞭さは、まさに「見ればわかる」ようになっていて脚本とコンテががっちり噛み合った瞬間だと思う。
2人の間にあったかもしれなかった現在そして未来を、間引きされて摘み取られてしまった青いトマトの実になぞらえて、決して熟することのなかった思いが捨て去られて過去になっていく。それは俺たち視聴者にとっても何かしら心当たりのある感情であり、誰にもそれを思い起こさせるスイッチがある。ここまでほんのり憎まれ役だった男ににわかに感情移入させるには充分すぎるほどに印象的なシーンだったと思う。
シャディクの出自や境遇に由来する年齢不相応な賢しさと、まさにそのせいで一歩が踏み出せない、最初から「逃げればひとつ」しか選択肢のない男っていう悲哀、滅茶苦茶よかったですね
— メジロオダチェンコ (Oдaченко) (@sodatschko) December 5, 2022
●まとめ
上で挙げた全10エピソードの放送日を見ればわかる通り、いわゆる「春クール」、4月~6月に放送されたアニメからは選ばなかった。バランス的にはできるだけバラけるようにしたいと思ってるんだけど、たまたまそうなってしまった。
決して作品のクオリティとして春だけ劣っていたみたいなことはなくて、実際に『パリピ孔明』『古見さんは、コミュ症です。(第2期)』『であいもん』『かぐや様は告らせたい? -ウルトラロマンティック-(第3期)』『ダンス・ダンス・ダンスール』あたりには候補に残ったエピソードもあったんだけど、結果的に選から漏れることになった。
それ以外のクールにもたとえば『スローループ』『その着せ替え人形は恋をする』『メイドインアビス -烈日の黄金郷-』『異世界迷宮でハーレムを』『リコリス・リコイル』『ユーレイデコ』『不徳のギルド』『後宮の烏』など、好きな作品はいろいろあったけど、どれか話数単位で抜くとなると難しく、ここが「10話だけ選ぶこと」の悩ましいところなんだよな。
ただし、やはりこれは“話数単位で選ぶ”企画なので、時に作品そのもののクオリティが高くても「満遍なくよかった」がために特定のエピソードを選びづらい、みたいなことは往々にして起こり得る。
もちろん逆の場合もあって、一昨年(2020年)にトップの票を得た『22/7』第7話「ハッピー☆ジェット☆コースター」が好例だけど「作品全体としてはそこまで優れていたわけではないが、突出して素晴らしいエピソードがあった」というような場合にちゃんとそれを掬い上げることができる、というのがこの企画のよいところだと思う。
今年もなんとか年内に無事10選を選び終えて(そしてこの原稿を書き終えることができて)ホッとすると同時に、また来年もたくさん楽しいアニメが観られるといいなと、まあ月並みな締めだけど本当にそう思ってます。
参考としてどれくらいの本数を観ていたのかも記しておきます。
1~3月 40本(完走29本)
4~6月 43本(完走26本)
7~9月 40本(完走23本)
10~12月 48本(完走30本)
継続クールのものはそれぞれでカウントしているので延べ本数で、合計では年間171本(完走108本)。去年より完走した作品はちょっと多いかな。原則的に完走した作品のみを対象に選んでます。
もう10年くらい毎クール視聴・録画リストを作成してるんだけど、累計すると2000本近くなってきてて、そんなにあるのかよってちょっと怖い。
(以下、さらに蛇足)
冒頭で言ったことの繰り返しにはなるけど、各人のチョイスを見ればその人が何を重視してアニメを観ているか、面白いとはどういうことだと考えているのか、といったことがおぼろげながらも見えてくる気がするのもまた楽しいところだとあらためて思う。
同じものを観ても人によって捉え方は違い、ある人にとって面白く感じるポイントが、別の誰かにとってはとても許せないポイントだったりもして、だからこそ語る価値があるわけで。
近年、公の場(多くの場合はSNS)において何かを論評すること、特に「批判する」ことに対して風当たりが強くなっている風潮が確実にあって、それは非常によろしくないなと感じている。なぜなら、「褒める」ことと「けなす」ことは表裏でしかなく、まったくの等価値のはずだから。
少なくとも俺個人としてはそう考えているので、面白いと感じたら素直にそう言うし、これはちょっとどうなのと思ったらそれも同様に言及する。そこにあんまり差を付けて考えてないんだよね。前者だけが「正しい」感想だなんて窮屈だし、「へーそういう見方があるんだ」っていう発見をする機会を失うほうがいやだなあと思っている。
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