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呪いの子の一年

「ハリー・ポッターと呪いの子」の幕が開いてから、一年が経とうとしている。


2022年4月4日の顔合わせから都心の綺麗なスタジオ、都心から少し離れた古くて大きな撮影スタジオを経て僕らは赤坂ACTシアターに来た。オーディションの頃から数えると二年余りの月日が流れていて驚愕する。そして来たる2023年5月31日、その節目がやってくる。


この舞台が始まってから今日に至るまでずっと、僕は人生最高の青春を送っている。


しかし、この一年は大変だった。現実はどこも大変。大変です。こんな事言うもんじゃないかもしれないけど。少なくとも僕が経験してきたどの舞台よりも大変でした。大変という言葉で片付けるのが癪です。極変、鬼変、神変とか、大変の上位互換があれば是非使いたいくらいの
      ヤバさ(YA☆BA☆SA)
僕にとって大抵のことが一筋縄ではいかず、時に悲しみの雨に打たれてさながらショーシャンクの空にのティムロビンス(絶望版)だったり、時に怒りの炎を燃やしてさながら燃ゆる女の肖像のアデルエネル(憤怒版)だったり、時に頭のネジがビヨヨヨーンでさながら時計仕掛けのオレンジのマルコムマクダウェル(門田版)だったり。本当に怒涛の日々が永遠と続いた。呪いの子の一年全てを振り返るだけで一冊の本が出来上がってしまいそうなので、話数と各話タイトルで掻い摘んで振り返ってみようと思う。


〜カドタソウダイと呪いの子〜
2022年
第壱話「顔合わせ、見知らぬ天井」
第弐話「コミュニケーション、あたしってほんとばか」
第参話「稽古場移動、調子こいて高い自転車を買う」
第四話「コミュニケーション、あたしってほんとたわけ」
第伍話「初通し、生きてるってなーんーだーろ生きてるってなーあーに」
第六話「劇場入り、怒涛の連日連夜、でも気分は最高だぜ!!!」
第七話「肉離れ、城之内死す、デュエルスタンバイ」
第八話「門田、精神と時の部屋へ」
第九話「遂にデビュー、やっと始まるぜまじ最高daze!!!」
第拾話「コロナ感染、城之内死す、デュエルスタンバイ」
第拾壱話「手紙、想い、人生のメリーゴーランド」
第拾弐話「死闘、シン・呪いの子」
第拾参話「あ頭おかしくなりそう、おかしくなりそう」
第拾四話「ぁsdjふぁう4cのあwrj☆pq;エpmjq;♤る」
2023年
第拾伍話「年末年始、素晴らしき哉人生!」
第拾六話「死闘、門田から君へ」
第拾七話「lwじぇぎうぇ(*^o^*)二個rj@@オエ559prtkmg」
第拾八話「怪我×怪我、呪いの子に転生したらひ弱だった件」
第拾九話「ラストバトル、最後のマチ・マチソワ・マチソワ(通称1・2・2)」
第弐拾話「出会いと別れ、終わりと始まり」


本当にざっっくりこんな感じ。
ここにそもそも書くことが出来ないような大変なことが、他にもたっっくさんあった。だって、一年同じ舞台やったから。一年もやるストレートの舞台なんて日本にそうそう無い。普通の舞台じゃ考えられない時間の経過があった。ボロボロになって、したくない喧嘩をして、人を憎んで、業界に絶望して、気が狂って、またボロボロになって、病み散らかして、病気に怪我をした。

それでも結局、
ほんと結局は、
最後の最後で、
“最高”の経験をしている。

最低がひっくり返る程の演者・スタッフ・演出・装置と、1300人の観客の拍手に包まれる強烈な体験にぶちのめされて、今日も青春が快晴だ。僕のこれまでの日常は呪いの子に引き裂かれた。


しかし厄介な事に、この感情ずっとは続かない。これはこれまでの日々を振り返れるくらい心身の余裕を手にしている今だから書けている事であり、朝アラームの音で目が覚めると“最高”は霞み、圧倒的な現実とシン・呪いの子を前にして闘いへと戻ってゆく。理想や綺麗事では片付かない。無期限ロングラン公演、大変は大変なままである。


袖中の暗闇で出番を待っていると、生まれてから今までずっとここに居て、これからも一生ここに居る様な感覚になることがある。こんな事は一度も無かったけど、恐らく異例のロングラン公演が僕をそうさせている。衣装小屋にある鏡のシミ、キューランプの明るさ、巻き上がる炎の匂いまで、まるで生まれ育った実家の事のように記憶に刻まれている。共演者が本当の家族のように感じることもある。父親役や親友役とあんだけ一緒の空間に居るから無理もないな。


でも、共演者に終わりがきた。一年でこの舞台を卒業する人たちが現れ始めて、マジで終わるんだと思わずハッとした。これまでスタッフさんも何人も任期を終えてここを出て行った。同じように自分もここを去る時が来るのだ。時には牢獄に感じて、永遠に感じて、一生を過ごしてきた居場所に感じた呪いの子が終わる時が来る。それは実は明日なのかもしれないし、一年後なのかもしれない。卒業に感動し涙を流すような暇も、もしかしたら無いのかもしれない。


そう考えると、やっぱりなるべく悔いを残したくない。僕は強欲で貪欲で欲深だ。この舞台で何かをやり残したら、それこそ自分が呪いの子になって赤坂ACTシアターに地縛霊として取り憑いてしまう気がする。終わりを一番近い友として自分の側に置いておきたいと改めて思った。この教訓は人の死と似てるな。


呪いの子は最高の青春。それでも最低は僕のほんのすぐ隣に居て、うかうかしていると背後から終わりに声をかけられる。なんて不吉で無邪気なんだろう。
でも最高だ。明日も僕はアラームを鳴らす。

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