カッコつけることが一番カッコ悪い
こんにちは。どうやったら眠くならずに活動時間を増やせるか試行錯誤中のソーダ・ヒロです。
僕の悪い癖で、昔から好きな人とかがいると『興味ないフリ』とかしちゃうんです。。
たぶん『追いかけてほしい』のだと思います。自分が追っかけてる姿を見せるのは恥ずかしいことで、少し惨めなこと、のように感じてしまうのでしょうね。
その結果成就したものなど一つもないんですね、これがまた。。
手に入れたいのに手に入らない方法に寄ってしまう。
路上での演奏とかもそうだったと思います。
見られてると思うと少しでも良い自分を見せたい、と思って『ギターを弾く姿勢悪くなってないかな?』『声を張り上げた時変な表情になってないかな?』とかとか。。
もはや思春期の学生ですよね。。
でも当時はそう思ってしまってたんです。。
そうした時の演奏というのは『失敗できない』というプレッシャーからくる恐れに揺らぎ、か細い音になり、歌唱もどこか心の入っていない歌詞を撫でるだけのものになっていたと思います。
実際、以前に上げた過去音源の感想に「自分に酔うな」と書いて下さったコメントもあり、まさにこの状態になってしまっていましたし、それはいとも簡単に見透かされてしまうのだな、と反省もしました。
この記事のタイトルの話に戻りますが、
そういえば僕は誰かに対して「かっこいいな」「かわいいな」と思うのはどういう瞬間だったかな?と思うんです。
考えてみれば、かっこつけてる人を『かっこいい』とは思わなかったですし、かわいこぶってる人を『かわいい』とは思わなかったな、と。
物事に一生懸命取り組んでるその姿や信念や夢のために惨めなまでに泥臭くも足掻いて、それでも歩みを続ける人を『かっこいい』と思いましたし、そんな人がたまに見せるほろっと気が抜けた素の姿や心から楽しそうに笑ってる姿を『かわいい』と思ったな、と。
(見た目の『かっこいい』『かわいい』はまた別の議論のあることですが)
これはただの一例で、『〜だからこれが正解!』と決して一言で語れるものではなく、かっこつけたりかわいい振る舞いをすることが自分の目的にフィットしているのであればそれはいいと思うんですが、
きっと僕の目的には不一致なんだと思います。
なので、自分への戒めとして、
『かっこつけることが一番かっこ悪い』
です(^^;
もっと夢中になるべきですし、好きなら好きだと恥を晒しながらも追いかけるべきだ、と。かっこつけることが何も生まない(むしろ自分の価値を下げる)のであれば、すごい時間のロスなので、さっさとかっこつけるのをやめて素直に生きよう!と思います(^^;
周りの目も気にならないくらい表現を発信することに没頭すること。作品を表現することに夢中になることですね!
ただ、この『夢中になること』も簡単な一元論では語ってはいけないのだとは思います。
無作為に気に入ったものやその想いをいたずらに振り回すことはきっとただの"自己満足"なのかもしれません。
"緩"と"急"のバランス感覚は必要に思うので、別の記事で掘り下げてみたいと思います。
(←すぐ掘り下げるクセ。。)
夢中になるぞー!
ではまた!
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