目的は提示しても、手段は任せるべきなのでは

先日、中学2年生の息子が宿題に関して怒っていました。

“国語で漢字○百文字書いてくるように”という宿題が出たようで
息子「何で○百文字も書かなきゃいけないんだ。目的は漢字を書けるようになることでしょう?そんなの人それぞれ覚え方が違うのに、おかしいと思う。“覚えてくるように”って宿題を出してテストされるならわかる。」

ごもっとも。

私が小学生中学生の頃も、“○百文字書く”“△回ずつ書いてくる”という宿題はありました。宿題をきちんとしている生徒全員が漢字のテストで満点を取っていたかというと、そんなことはありませんでした。
このような宿題は苦痛すぎて、宿題を終わらせるために“ただ書く”ことになってしまい、結果的に頭には入っていません。強いられた苦痛を乗り越えた、後味の悪い疲労感しか残りませんよね。

先生は何が目的でこのような宿題を出されるのでしょうか。
そして、その先生は目的に見合った効果が得られている実感はあるのでしょうか。
この宿題を出した先生は試行錯誤されているのか。

目的に対する手段まで強制されて、それで目的が達成されなければ生徒の責任、能力が足りない、となるのは勘弁。

30年前とたいして変わってない指導体制を見聞きする度に、日本の将来が不安になります。


#児童精神科医 #子育て #母

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