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幸運だったという不運

※この記事は,Society for Personality and Social Psychology(パーソナリティ・社会心理学協会)の公式サイトに掲載されたMichael J. Poulin氏(ニューヨーク州立大学バッファロー校教授)によるThe misfortune of being fortunateを日本の社会心理学者4名が共同して翻訳したものです.見出しは翻訳者によるものです.

今そこにある危機

営業停止。

フライトキャンセル。

目に見えない侵略者を恐れて家に留まる人々。

これは2001年9月12日の光景です。

そう,新型コロナウイルス感染症への世界の反応と,9.11同時多発テロ事件後の日々には,不気味なほど共通点があります。 もちろんすべての人がというわけではありませんが,多くの人々が直接影響を受ける点も共通しています。 9.11で命を落としたり,愛する人の命を奪われたりした人がいたように,新型コロナウイルスで命を落としたり,愛する人の命を奪われたりするでしょう。そうでなく、単に罹患しただけかもしれません。

これはもう一つ共通点がある可能性を示しています。新型コロナウイルスの心理的影響は、9.11のそれと同様、直接影響を受けた人たち以外にも広がっていくかもしれません。つまり、罹患や喪失から逃れられた人たちにも、今そこにある危機によって精神的健康に害が及ぶかもしれません。それは、経済的理由だけでなく、ただただ幸運だったという理由で苦しむのです。

苦難を逃れたのに動揺するなんて、ありえないと感じるかもしれません。しかし、これこそが9.11同時多発テロの余波に関して私と共同研究者が行った研究と一致するのです。私たちは,同時多発テロ事件の直後にニューヨーク市民およびアメリカ全土の住人を対象に大規模調査を行いました。 その後数ヶ月,そして数年にわたり、同じ人々に連絡を取り、彼らの精神的健康と幸福感について尋ねました。

危機との「ニアミス」経験

調査の初期にあたる、9.11から約2ヶ月後に、「ニアミス」を経験したかどうか、つまり9.11で危うく被害に遭いそうになったかどうかを尋ねました。 そのような経験をした人は驚くほど多く、私たちが調査対象としたアメリカ人の約10人に1人はそのような経験をしていて、その多くはニューヨーク市民ではありませんでした。 いくつか例を挙げると,

「私の義理の息子はその飛行機に乗っていたはずだったんですが、娘が病気になったので病院に連れて行き…」

「ツインタワーの90階で働く義理の兄が,病気になったと電話してきたんです」

「父は世界貿易センターでの会議に遅刻したんです」

「姉はニューヨークに行ってたんですが ,9月10日にそこを離れたんです」

「私はその頃、消防車258号(訳者注:ニューヨーク市の消防署の所有する消防車)に乗ってたんですが,第1シフトで働いていた相棒がノースタワーの崩壊に巻き込まれかけたんです」

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「9.11の数ヶ月前に世界貿易センターでの仕事に内定をもらったんですが,断ったんです」

最近になって,私たちの研究グループは,9.11テロの余波に関する自分たちが集めた過去のデータを見直し,9.11へのニアミスを経験した人とそうでない人との違いを調べました。 ニアミス経験者の方が幸福感が高いと思うかもしれません。彼らは「結局,難を逃れた」人々なわけですから。 逆に、多くの人が苦しんでいる中で、自分は幸運だったという事実に悩まされていると想像することもできるでしょう。

「ニアミス」経験者の抱く罪悪感

結局、後者のパターンの方が優勢だということがわかりました。 ニアミス経験者は、そうでない人よりも,心的外傷(トラウマ)後のストレス症状が強く、特に9.11を頻繁に「再体験」していました。なぜでしょう? ニアミス経験者は,他の人は不運だったのに自分は幸運だった,という「サバイバーズ・ギルト」(生存者の抱く罪悪感)を感じていたのです。 実際、心的外傷後ストレスに関する私たちの分析では、ニアミスを経験した人としなかった人との間の違いの一部は,サバイバーズ・ギルトによって説明できることが示されました。

もちろん、ニアミスを報告した人としなかった人とで元々の特徴が異なる部分もありました。 例えば、ニアミス報告者の方が若く、また平均的に教育レベルが高い傾向がありました。飛行機による旅やニューヨーク市とつながりの深い国際的な人々であることを考えれば,うなずける結果です。また、実際に9.11で喪失,例えば知人が亡くなったなどの経験をした傾向も高いものでした しかし、これらすべての特徴が似ている人に限定して両者を比較した場合でも、ニアミス経験者は、「サイバーズ・ギルト」と「心的外傷後のストレス」の両方で高い値を示しました。

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罪悪感から感謝へ

結局のところ、苦難や喪失から逃れられた事実がのちの苦しみになりうるのです。多くの人がひどく苦しんでいるときはなおさらです。今後数週間から数ヶ月の間に、多くの人々がCOVID-19のために病気や喪失を経験することになるかもしれませんが、こうした経験をすんでのところで免れる人もまた多くいることでしょう。 知人や近所の人に被害者がいると,被害を免れたことが「ニアミス」となるかもしれません。

このことを念頭に置くと,無傷で生き延びることが罪悪感につながってしまう可能性を,私たち誰もが心に留めておくべきです。たとえその感情が不合理なものだったとしてもです。こうした感情があることを認めれば,その先に,幸運な人たちが罪悪感から感謝へと気持ちを切り替えることができるようになるかもしれませんね。

参考文献
Poulin, M. J., & Silver, R. C. (2020). What Might Have Been: Near Miss Experiences and Adjustment to a Terrorist Attack. Social Psychological and Personality Science, 11(2), 168-175.

翻訳者からのメッセージ

 災害に際して,被害者の心理に注目し,その回復過程を明らかにしたり支援しようとする研究は多くありますが,「被害にあわないこと」に目を向けた研究はあまりないので,この記事に関心を引かれました.アメリカの学会に掲載された記事だということもあって,9.11同時多発テロ事件時との類似性が指摘されています.日本であれば,東日本大震災など不幸にして近年立て続けに起きている災害,あるいは地下鉄サリン事件やJR福知山線脱線事故のような大事故などを想起すれば理解しやすいのではないでしょうか.
 その上で,先行事例にはない新型コロナウイルス禍の特徴として,局地的にではなく,地球全体を不慮の災禍に巻き込んでいることがあります.人類すべてが立ち向かうべき相手はウイルスなのであって,互いを批判し,憎み合うのでは本末転倒です.
 この記事が言うように,幸運であることすら不幸につながってしまいかねないならば,すべての人が何らかの意味で「被害(にあう可能性がある)者」であると言えるでしょう.それならばこそ,私たちは互いの感情や行動にはできるだけ寛容であるべきではないでしょうか.そうすることが個人のみならず,社会のレジリエンス(ストレスからの回復)を高めることにつながるような気がします.
この記事は,4名の社会心理学者が共同して翻訳しました.
三浦麻子(大阪大学)
藤島喜嗣(昭和女子大学)
樋口匡貴(上智大学)
平石界(慶應義塾大学)