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成功と幸福

先日の岸見一郎先生の記事で「成功と幸福」を考える機会を得られました。

三木清の「人生論ノート」の一部を引用しながら以下のように。

 三木清は、幸福と成功を次のように対比している。
「幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである」(『人生論ノート』)
「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるか理解し得なくなった」(前掲書)
 成功は量的なものである。難関大学に合格するとか、有名企業に就職するというようなことは、倍率という数字で表すことができる。難関を突破する人の偏差値も数字で表すことができる。また年収によっても表すことができるだろう。
 他方、幸福は性質的なものである。幸福に大も小もないのである。
 また、成功は一般的なものであるのに対して、幸福は各人のものである。「各人においてオリジナルなもの」とも三木はいっている。

新たな観点を得られました。成功は一般的で量的。だから他の人にもわかりやすくて、幸福は性質的で各人のものだから他の人にはわかりづらい。ほんとそう。というか、他の人に自分の幸福を伝えたくなるものかな?

「成功と幸福は違うでしょ?」と言われると「あたりまえでしょ」と誰もが返すはず。では「成功したい?」と聞かれるとどう返すでしょう?「幸せになりたいけど、別に成功なんかしたくない」と成功の価値を下げませんか?

成功を目指すことはとても大事なことだと思っています。幸福になるために成功を目指すのではなく、目標を目指して努力することに価値があります。努力の末に目標達成したらそりゃ嬉しいさ。それを幸せと感じるのは良い。

逆に努力しないとかズルするとか、楽して得られた成功には価値などない。他人に分かりやすい成功で「どうだ、俺、スゴいだろ」と言いたいだけの成功は痛々しい。努力は影でするものだけど、見えなくてもみんな解ってる。

目標達成したら次の目標を考えればいいけど、俺は物臭、次の目標を考えるのがめんどくさいから達成困難な目標を目指します。辿り着けないほど遠くに目標をおいて、それを目指せばいつまでも同じ目標を目指せます。

それで達成できなくても幸せです。冬の晴れた空の青さとか、霜柱を踏む感触とか、納豆に卵とネギを入れた味とか、ちょっと良いバスソルトで長風呂するとか幸福は身近に沢山ある。仲間に恵まれていることなんか最高です。

幸福は毎日毎時、目の前にある。
幸福感を燃料に、成功を貪欲に目指します。

父よ、母よ、産んでくれてありがとう。

あ、他の人に幸福を伝えたくなるんだね(笑)


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