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健康を正義にしない

こんにちは、虚弱の民です。
最近、虚弱な私にしては元気だなと思っていたら、先週末から急激に体調が悪くなり、月曜の朝に赤紫色の血尿が出ました。
膀胱炎だろうということになって治療開始したものの、赤紫のビジュアルが強烈すぎてメンタルにダメージがあり、数日しょんぼり暮らしました。

膀胱炎なのだとしたら、学生のとき以来です。当時は臨床実習で水分摂取を控えたりトイレに行かずに我慢したりしていて発症したのでした。

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やりたいこと、やらなきゃと思うことがたくさんあるのに、体がついてこない、ということがよくあります。

じょうぶな身体があれば便利だったのになぁ。
でも、頑健な身体を手に入れてしまったら、もはやそれは私ではないような気さえする。

しょんぼりしたまま、医療人類学者アネマリー・モルの『ケアのロジック』を読んでいたら、「ペイシャンティズム」patientismについての魅力的な宣言文に出会いました。
patientは患者、わずらうひとなので、あえて訳すなら患者主義? わずらイズム、病みズム?

  • ペイシャンティズムは、病気とともに生きることを標準として確立しようと試みる。

  • 身体をコントロールしたり、身体に沈黙を強いたり、身体を放棄したりしない。

  • そうではなく、身体をいたわり、ともに存在することを許し、大切にする方法を模索する。

フェミニズムが「女性」と「男性」の定義そのものに疑問を突きつけ、男性を標準とすることに干渉するのと同じように、ペイシャンティズムは「患者」と「健康な人びと」の平等を求める代わりに、病いとともにありながら、善い生を形作る方法を探求する。

医療人類学者、いいこと言うね〜!

身体を支配するのではなく、ふらつきや揺らぎを許し、いたわること。
まさにそれこそを、やっていきたいよね、と思いました。

*上記は、アネマリー・モル著、田口陽子・浜田明範訳『ケアのロジック : 選択は患者のためになるか』(水声社、2020年)第3章「市民と身体」をもとにしています。


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