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アダルトチルドレンのこと
自分のこと。アダルトチルドレンのこと。
いつも大体推しのことばっか書いてるけど、自分のことについてはあまり書こうと思ってこなかった。
確かに自分のことは、自分に関する情報についてはあまり分かってないし、情報が少ない気がする。言われてみればそうだ。
推しのことは大好きだ。じゃあ、自分のことは?となる。推しのことについては、大抵オタクだから詳しかったりするけど、自分のことについてはそこまで詳しくないと思う。
昔自己理解ワークを必死こいてやったけど、あまり上手くいかなかった。やりたいこともあまり思いつかなかった。それはその当時の自分にしてみれば、当然のことだったのかもしれない。
アダルトチルドレンについても最近取り組むようになった。つらい出来事を振り返るかもしれないとあったが、やってみれば、書くだけ、出来事とというより文字にするだけと思ったので、意外と冷静に振り返りつつ取り組めた。
アダルトチルドレンの分類で言えば、私は『優等生』と『ケアテイカー』の二輪走行だった。
優等生に関しては、大学卒業後から今までの期間でかなり取り除かれた。頑張らなくてもいい、焦らなくてもいいことをようやく出来始めている。
ただし残っている厄介なケアテイカーくんは、未だに健在で、小さなことでもソワソワとドキドキ感を私にもたらし、不安が差し迫ってくる。
最近その不安が大きく強いので、さすがにこれはもうアダルトチルドレンの改善に取り組まねばスッキリできないかなと思い始めたのがきっかけだ。
何をするにもふさわしいタイミング、心の余裕がある時というのがあるが、私で言えばこの時期にそろそろ取り組んでみろという暗示なのだろうか。
でもやるにしても少しずつだ。アダルトチルドレンのワークは、ちょっと進んだら「よくできたね」と自分を褒めてあげることが一番大事だ。
誰もが毎日よくやっている。どんな日でもできるだけのことをして生きている。だから、途中でも、上手く行っているか不安でも、「今日はできるだけのことをやれたね」と寝る前に声をかけてあげて労ってあげる。
そうすることでやっと「そっか、まだ足りないと思ってたけど、とりあえず今はこれで大丈夫なんだ」と思える。
これを何度も繰り返す。自分が言われて嬉しい言葉を毎日自分にかけてあげたい。
私が言われて嬉しい言葉は、「上手にできたね」「カッコいいね」「面白い!」「センスがいいね!」「努力家だね」だ。もっとあるかもしれない。
この言葉は今日思いついた。ヨガの最中にふと思いついた。
色々いい言葉はあれど、自分が本当に言われたくて嬉しい言葉を、今まで知らなかったことにも驚きはあるが、またそれで1つ、自分に関する情報を手に入れたことになるので、嬉しい。
自分に関するゲームのようだ。色々収集、探索してアイテムを集めていく過程に似ているのかもしれない。そういうゲームがあったら面白いかもしれない。
それはそうと、アダルトチルドレンに関して、自分でまだ分かっていないことがある。それは、『ケアテイカー』でいないと、自分の存在価値がなくなると感じている――この部分に関して、自分にあまり自覚がない。ケアテイカーの自覚はあるが、それがイコール、自分の存在価値のためにやっているという自覚がないのだ。これは少し、怖いことかもしれない。つまり、ケアテイカーすることが長く当たり前になりすぎているせいか、ケアテイカーと自分が本当に一体となってしまっているのかもしれない。ケアテイカーなど、アダルトチルドレンは『役割』と書いてあった。その役割を『演じている』わけだが、私はそれを演じている自覚もなく、もはや私自身とさえ感じられてしまっている、ということかも(コワー!!)
そのことに今日まで気づかず生きてきたし、でも過去の自分はそうするしかなかったのだからしょうがないけど、にしても怖い。ガチホラーだね。
これでも、ホラーだけど、こうやってまた1つ謎が解けて前に進めたのでよしとする。大いに褒めたいし、そうやって毎日頑張っている自分が誇らしいと思う。
『上手にできてるね』
この言葉はいつも大切にしたい。
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