いいねの魔力について

 Twitter、Facebook、Instagramと言った諸々のSNSには、「いいね」と呼ばれる機能が存在する。一時代前のTwitterではハートマークの「いいね」ではなく星型の「お気に入り」で、「ファボ」などと呼ばれていたがそれも今は昔の話だ。

 筆者は陰キャラすぎて実名を出すのが前提なFacebookも上げる写真のないInstagramもやっていないのでそこでの話はわからないが、少なくともTwitterでは「いいね」を沢山されることを狙って面白い投稿やはたまた過激な投稿を行う人も沢山いる。かくいう自分も普段より多くいいねが着いたら嬉しい。インスタでも投稿のために見栄えのいい食品や飲料を買うだけ買ってそのまま捨てていく人が問題になっているというのだから、「いいね」が欲しいというのは少なくともある程度SNSにハマっている人に共通する心理なのだろう。勿論、いいねをつける基準は人によって違う。本当に良いと思った投稿にしかつけない人もいるだろうし、気に入ったツイートをリスト化するためにつけている人もいるだろう。社交辞令で知り合いの投稿にはとりあえず付ける人もいれば、いいねは既読と同じですと公言している人もいる。それでも尚、やはり自分の投稿によくいいねをつけてくれる人のアカウントは覚えてしまう、そういうものである。

 さて、なぜそこまで「いいね」は人を惹きつける効果があるのだろうか?それは純度100%の承認だからだ。リプライ(返信)の場合は、「俺はこう思う〜」「こう感じた〜」というような「相手の語り」が多少なりとも含まれているが、いいねの場合は御託が全くない称賛である。単純に良いと言っているのだ。皆がそうだとは言わないが、「いいね」を求める人は称賛の時にいろいろ意見が入る長々した賛辞よりも余計なことを言わず全肯定する方が嬉しいと感じる人が多いのだと思う。しかも何回も言われると陳腐化する重たい称賛のセリフと違って(力作のイラストを上げたとかなら大いに称賛した方が良い)、こちらはいつでも陳腐にならない程度の軽さだ。関係ない人相手でも気軽にできる。(むしろ特別に仲がいいもの以外のリプライを鬱陶しいと感じるという人もいるだろう)

 SNSは基本的に自分を語るためのツールである。それが日常生活の感想なのか政治的信条なのか渾身のギャグなのかは人によるだろうが、少なくとも人様のためだけにSNSをやっているという人は有名人や官庁の公式アカウントでもない限りまずないだろう。自分が語りたいということを確認して何の意見も挟まず肯定してくれたらやはりその人のことを好意的に見るのは明らかである。既読感覚で「いいね」を使っている人であっても、嫌いな人に「いいね」は付けないだろうし(本当は嫌いだけどそう思わせないために「いいね」するという計算があるなら話は別だが)、何だか自分の人格や存在まで肯定された気分になることだろう。合コンやキャバクラで使われるという、「さしすせそ」と呼ばれるものと似たようなものだ。さが「流石!」とか、すが「凄い!」とかそんな具合に、女性が男性を煽てて好かれるためのテクニックらしい。(筆者が使われたことはない)これからわかるように、単純に褒めることこそ好かれる基本とされているのだ。余計になる自分の言葉を一切介さず手軽に、しかも鬱陶しくなく全肯定として伝わる「いいね」機能、恐ろしい魔力を持っているものだ。


・・・・・・ここで記事が終わるのは三流だろう。筆者の友人は、「いかなることも自分のアドにしてしまえ」とよく言っている。「いいね」の魔力もアドバンテージにしてしまうことにしよう。詰まるところ、人に覚えてもらいたければまずは余計な声かけはせずに単純で短い承認を続けるのが有用なことが多いということだろう。これは、経験はないが先述したような恋愛や接待のテクニックとしても応用できるだろうし、部下にモチベーションを上げさせるやり方としても使えるかもしれない。学生なのでビジネスのことは完全に門外漢だが、社内会議で司会進行役の上司が、部下の意見に全て「いいね!」「面白いね!」と言ったようなニュアンスのことだけ言いもっと発言を促したところ、全員のメンバーから多くのアイデアが出されたという事例も存在する。なるほどー、いいね。

 何故そういうことを知っていながらお前は出会う人皆に嫌われているぼっちなんだ、だって?・・・・・・。何でやろなあ・・・・・・。



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