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インターネット老人・中年・若者 〜ネット民の文化・意識の世代交代〜

インターネット老人会というワードを少し前から聞くようになった。10〜20年前にインターネットで活動し、その特有の「古き良き」文化に触れてきた人々が、当時流行したネタを懐かしがるというものだ。「モナー」、「やる夫」、「VIP」、「レッツゴー!陰陽師」、「ニコニコ流星群」・・・いや、懐かしくない。自分もインターネットを中学生の頃からやっていて、(現在大学二年生)結構長いことインターネットに棲息しているつもりだが、自分がインターネットに来た時からこれらはもう既に懐かしいものだった。だがここ数年でインターネットは確実に変わり、自分のインターネットでの過ごし方も変わった。自分は間違いなく新しい世代では無いのだ。先日の誹謗中傷によって女子プロレスラーの方が自殺してしまった事件もそうだが、何かインターネット上で騒動が起きるたび、「あの頃は・・・」と思うこともある。ハッ!!!!(和田アキ子)いや、もっとハッキリ言うなら誹謗中傷問題だなんて「今更では?」と思ったものだ。    

 自分の過ごした世代と、インターネット老人会の世代と、現代のインターネットは確実に異なるものだろう。特段懐かしいわけでもないが、インターネットに対する意識や経験は現在のそれとは異なる。そんな「インターネット中年」が沢山今もいるのではないだろうか?インターネット中年とはどんな世代なのか、インターネットの文化の歴史を追いながら今回は記してみたいと思う。

1 完全匿名のインターネット老人 〜「お前ら」の世代〜

 インターネットの歴史は浅いようで深い。インターネットの嚆矢は、米国で1969年に開発された「ARPANET」だと言われている。それから12年後、東北大学に「ARPANET」が接続され、2年後に「Internet」に移行する。これが日本で初めてインターネットが接続された事例だという。インターネットそのものは40〜50年近く前からあったわけだ。だがまあこの段階では文化もへったくれもないだろう。

 一般市民でもインターネットに手を出せるようになったのは、1995年のWindows95の登場以降とされている。翌年には「あやしいわーるど」が設立され、不謹慎・アングラ的な独自の文化が徐々に形成されていった。1997年には「あめぞうリンク」が設立、2年後には「あめぞうリンク」を引き継ぐ形で完全匿名の掲示板「2ちゃんねる」が誕生した。2ちゃんねるは、その匿名性故に社交辞令や建前のない様々な書き込みが集まった。そして、西鉄バスジャック事件の示唆書き込みや奇跡の実話・電車男などで時たま世間の注目を集めながら、インターネットのご意見板として発展していくことになる。2002年では、日韓ワールドカップで一悶着あったことから反韓感情が高まり、現在ネトウヨと言われている人たちの水端を見ることができる。

 当時の未熟な回線ゆえの文化もあった。画像一枚をアップロードするのにも時間がかかるため、モナーのようなオリジナリティのあるAA(アスキーアート。文字列で画像を表現する)が2ちゃんねるでは作られ、これらのキャラクターが登場するシュールなFlash動画が大流行。YouTubeやニコニコ動画が登場するまで、軽量で動きを表現できるFlash黄金時代と呼ばれる時代を築句ことになる。マイアヒ〜マイアフ〜 2003年ごろにはヤマジュンのゲイポルノ漫画「くそみそテクニック」が流行。やらないか?(いさじ氏の「バラライカ」の替え歌が流行するのはまた後の話) 

 個人のテキストサイトも隆盛した。テキストサイトには来訪者の人数を数えるアクセスカウンタというものがあり、キリの良い人数であることを報告しなければならないキリ番と言った風習やリンクや掲示板などでの他のテキストサイト管理人との交流など、こちらは比較的平和な一時代を築いたという。ガラケーを持つJKたちにも流行した所謂ケータイ小説もこの系譜だろう。だが、これは2000年代後半になると段々と廃れていったという。テキストサイト時代の文化については完全に無知なので、詳細は当時を知る人が書いた記事などを見てもらいたい。

 流石にこの時代のインターネット文化に生で触れている人はインターネット老人どころかインターネット超高齢者だろう。自分も産まれていないかまだ赤ん坊の頃である。当時はコンピュータも現在より手が出しづらく、そもそものインターネット普及率が低かった。

 さて、そんなインターネットも2005年には人口普及率が70%を超え、インターネットそのものは一般家庭の間でもごく当たり前のものになりつつあった。とはいえ、「一般人」(インターネット文化にどっぷり浸かっている所謂ネット民と区別するために一般人というワードを使う時は「」付けする)からすれば Yahoo!で検索するといろいろ出てくる〜(今Yahoo!って乗換案内くらいでしか見なくなったような気がします)程度のものでしかなかったが、やはりインターネット文化に触れる機会や人口は格段に増えた。「インターネット老人会」として懐かしまれるのは主にこの時代が多い。

 2006年末、株式会社ニワンゴ(後にドワンゴに併合)「ニコニコ動画」がサービスを開始。ニワンゴの取締役は2ちゃんねるの管理人であり最初から関連性があったことに加え、2007年初めに当時のインターネットの中心であった2ちゃんねるでドメイン名差し押さえ騒動があり、あわや閉鎖かと思われた際に当時の住民の移住先として選ばれてユーザーが一気に増加。ニコニコ動画は、アニメやゲーム、萌えなどのオタク文化・サブカルチャーと結合(特にその中心となったのがVOCALOID東方Projectだろう)し、インターネット文化の要になっていく。

この世代のニコニコ動画の主な流行(年表形式)

2006 キーボードクラッシャー、レッツゴー!陰陽師 など

2007 魔理沙は大変なものを盗んでいきました、おっくせんまん!、忙しい人向けシリーズ、涼宮ハルヒの憂鬱、ひぐらしシリーズ、改造マリオ、やらないか?(いさじ氏の「バラライカ」の替え歌)、ムスカ大佐、初音ミクの登場(「Ievan Polkka」歌わせてみた、「みっくみくにしてあげる♪【してやんよ】」、「メルト」)、NiceBoat、エアーマンが倒せない、ドナルド・マクドナルド、アイドルマスター(てってってー 、とかちつくちて など)、馬犬氏(ハイポーション) など

2008 男女、最終鬼畜妹フランドール・S、レスリングシリーズ、ヤンデレCD、エア本さん、松岡修造、ナイト・オブ・ナイツ、チルノのパーフェクトさんすう教室、おめーの席ねぇから!、バトルドーム、チャージマン研! 、「ワールドイズマイン」 など

2009 けいおん!、「ルカルカ★ナイトフィーバー」、「恋愛サーキュレーション」、BadApple!!、「only my railgun」、「裏表ラバーズ」 など

2010 「おちゃめ機能」、侵略!イカ娘、Minecraft、クッキー☆の投稿、「ハッピーシンセサイザ」 など

2011 魔法少女まどか☆マギカ、ゆるゆり、あいさつの魔法(東日本大震災の発生)、「白金ディスコ」、「マトリョシカ」(あの米津玄師ですよ)、「千本桜」、「カゲロウデイズ など

2012 日常、這いよれ!ニャル子さん、シャバドゥビタッチヘーンシーン!!、「いーあるふぁんくらぶ」 など

 インターネット老人の皆様がきっと通った道だろう。自分でも知っているものばかりだ。このように、インターネット文化のまさしく首都ともいえるニコニコ動画だが、そこでは動画の画面上にコメントができるというスタイルによって文化を構築してきた。そのコメントは完全匿名であり、誰が、どんな人が言ったかということはわからない。2008年には日本語版がリリースしていた「Twitter」も当時はまだメジャーではなく、個人として目立つのは動画投稿者である「うp主」、VOCALOID作曲者の「P」、ニコニコ生放送を行う「生主」といった「特別な人たち」が中心であった。だが、同じニコニコ動画を見てコメントを投稿するものとして、「お前ら」という連帯感があったと言われている。友達ではないしこれ以上関わることもない故に、「こんな動画を見ているお前らのようなオタク」と小馬鹿にしながら、自分もそうだよという一体感を生み出すことができた、これこそが当時のニコニコ動画における文化を形成した一端なのだろう。ニコニコ動画は視聴に会員登録が必要でメールアドレスを持つなどある程度敷居があったこと、連続幼女誘拐事件の犯人が過激な漫画やアニメを好んでいたことや2008年に発生した秋葉原通り魔事件によって、オタクに対する世間の目が今とは比べ物にならないほど厳しかったというのも大きいと思われる。今のように個人が悪目立ちしぶつかり合うことがなく、なんとなく仲良く楽しめた「古き良き時代」という印象が、インターネット老人会で懐古される理由なのだろう。(当然荒らしもあったろうが・・・)余談だが、この頃のインターネット文化は意外なところに影響を及ぼしている。当時の小学生たちだ。(自分もこの頃小学生)特にドナルドやムスカ大佐、松岡修造などの萌え要素のなくわかりやすい・カオスなネタが、「コンピュータの授業中に覗き見るYouTube(ニコニコからの転載だろう、先述したとおり会員登録が必要なので子供含む「一般人」はニコニコを見ない)」のコンテンツとして大人気になり、小学生でも持っているNintendoDSiの「うごくメモ帳」での題材にされたり、ドナルドの「ランランルー」は実は「○ね○ね消えろ」という意味だ、という意味のわからない認識が広まったりした。勿論、当時の小学生たちにこれはニコニコ動画での流行だとか自分たちはネット文化に触れているという自覚は全くないのだが。

 一方で、これまでインターネットの言論の中心を担ってきた2ちゃんねるは、よりアングラ的で危険な色を濃くして隆盛していくこととなった。2004年に発足した2ちゃんねるの板の一つ「ニュース速報(VIP)板」はシュールなクソスレの掃き溜めとされ、下ネタやメシウマ等のくだらない話や尖鋭化したサーバー技術を用いたお祭り騒ぎ(「Clickclickclick.com」の国別クリック数対決や田代砲を応用したコイルや五条勝への投票が著名)を好み、「VIPクオリティ」と呼ばれる独自の文化を築いた。VIP板の分割元である「ニュース速報板」では、やる夫と言われるAAキャラクターが作られ、様々な派生キャラとともにストーリーを紡いだり教養を解説したりするやる夫シリーズの制作が盛んになった。(「やる夫が徳川家康になるようです」はマジで名作。)2009年、当時あった過疎板である「なんでも実況J(ジュピター)」では野球chの住民が2009年5月の規制強化を機に大勢移住し、野球の実況を中心としてそれ以外にも様々なクソスレを建てる板として隆盛。板の回転の速さによる独自の流行の浸透、野球と一口に言っても12球団のファンが分かれていることも手伝ってか、VIP以上に無法地帯な雰囲気が醸し出され、過激なネタを取り扱ったり炎上を煽り立てることもしばしばであった。

 当然、2ちゃんねるはニコニコ同様基本的には完全匿名であり、あえて名前欄に固定のハンドルネーム(コテハン)を入れて活動するような人間もいたが、やはり特別面白い人間以外は歓迎されなかった。特にその気風が強いなんJでコテハンをつけ、聞かれてもいないのに自分のことについて語り出したり、ヘイトを買いやすい発言をしていたとある高校生がいた。彼は住民の激しい反感を買い、2012年に身元を特定され、様々な嫌がらせを受けるようになってしまった。彼は嫌がらせに対抗すべく弁護士を雇い、そこからさらなる炎上と嫌がらせが過激化し現在コンテンツ的性格を持つに至るのだが、これこそが所謂ハセカラ騒動である。正直、後述するが現在Twitterを見れば彼のような人間はごまんといるが、ここまで排斥されたのも時代と場所故か。これまで企業や芸能人が2ちゃんねるで叩かれ攻撃に遭う事例、あるいは当時問題になっていた学校裏サイトなど、現実世界の範疇での攻撃のためにネットを使う事例は多かった。だが、この前後から2ちゃんねるでも過激な層を中心に、悪目立ちした人間は特定し攻撃するという一種の私刑のような文化が見えるようになり、次の世代の人間に恐怖を与えることになる。

2 半匿名のインターネット中年 〜インターネット・クラスルーム〜

 2008年、ソフトバンクがiPhoneの販売を開始。2011年6月にはLINEがリリース、東日本大震災で電話やメールが繋がらず混乱した経験から、連絡が取れるサービスとして宣伝されにわかに注目を浴び、この後数年で中高生などの世代にもスマートフォンが普及するようになる。また、パソコンを起動することで接続していたはずのインターネットは、もはや電車の中であっても繋げていることのできるものになり、一般市民におけるインターネットの性質自体が変化していった。詰まるところ、1.インターネットを利用する年代に10代が増加 2.インターネット利用人口自体も急激に増加、どこでも接続できるものへ という大きな変革が起こったのである。HIKAKINをはじめとするYouTuber、Youtubeでのゲーム実況者もこの頃登場し、低年齢層を中心に絶大な支持を獲得している。彼らのターゲット層は、これまでニコニコ動画を楽しんできたオタク・サブカル層や2ちゃんねるの住民などとは全く異なる、もっと「一般人」的な人であることは間違い無いだろう。スマホの普及によって、インターネット文化は「一般人」にも一気に開かれたのである。 

 と、いってもスマホが中高生に普及したばかりの頃は「一般人」にとってはインターネットは深く関わりすぎるとトラブルに巻き込まれる危ない場所、という認識が強く、せいぜいLINEで現実の友達とやり取りしたり、YouTubeのコメント欄に何かを書き込むのが関の山だった。とはいえど、スマホを持つことが当たり前になるにつれ、段々とインターネットに「一般人」が増えていく。そのような変動期の真っ最中にスマホを手にしインターネットを始め、そしてすぐにドップリとネットに浸かっていった(主に2020現在18〜20代前半が多いのでは無いか)、そんな人間のことをここではインターネット中年と呼ぶことにする。

 さて、先述したスマホの普及によっていつでもどこでもインターネットに接続できるようになると、ネットの言論の場は急速にTwitterに移っていくこととなる。リアルタイムで近況を呟くことができたこと、自分でスレ立てしない限り話題が固定されがちな2ちゃんねると異なり自由に、そしてスマホによって刹那的に自分の感情を書くことができたことが大きい。ちなみに、SNSといえば当時Facebookも存在したが、実名で登録するのが前提であるため所謂若年のネット民には流行しなかった。オンラインサロンなど、ある程度高尚な目的を持ってインターネットを利用している人がユーザー層としては多かったという。

  Twitterでは、ハンドルネーム・アイコン・プロフィールを用意し、変わらないIDで投稿が紐づけられるサービスである。どんな人物の発言かがいつでもわかるのである。また、フォローによって「個人同士」で繋がり、リプライやダイレクトメッセージ(DM)を使って連絡を取ることもできる。動画やスレッドに言葉が集い、彼らとは明日は話さない「話題中心」の関係から、同好の士などの人と人との繋がりによって会話が生まれ、彼らとは明日も話す友人のような、それこそ現実に近づいた「人中心」の関係に変わったのだ。すると、自分が主に出す話題やフォローしてる人によってある程度その場での人間関係が固定されてくる。ジャンルや話題、合うノリによって狭い世界が出来上がるのだ。人が狭い空間に集まる姿だけ見れば、学校のクラスの様だ。その様な漠然とした狭い世界のことをTwitterユーザーは界隈と呼ぶことが多い。界隈は、学校のクラスと違い、自分の好きな話題や合致する気質によってある程度選べる。狭い世界なので、その中で積極的にツイートしていれば、「特別な人間」でなくてもある程度目立つことができる。そしてこの頃入ってきた中学生・高校生の一部はこれにどっぷりとハマってしまったのだ。

  彼らは、学校や家庭など、現実世界に居場所を見出せない人間(人間性ゆえか単に趣味がマイナーなだけかでだいぶ違ったが。逆に特に趣味のない前者がネットの影響を受けてオタク化することも多かった。)、現実世界で満たされるはずの承認欲求、あるいは自己顕示欲が満たされていない人間が多かった。若さ故に感受性が強いのと、大人とは違い学校や家庭は自力では逃れ難いというのも大きかったものだと思われる。良くも悪くも、現実の関係から逃れるように、ネット上に独自の居場所を見出す人が多かった「リア充爆発しろ!www」とコメントで笑い飛ばすのが前の世代なら、ネットでリア(?)充(別に恋人がいる状態とは限らない)になろうとしたのがこの世代と言える。もちろん、Twitterの流行によってイラストなどが人単位で評価されやすくなったような面もあるので、当時Twitterが賑やかな人間は一概にネットだけを居場所にしていたかと言われるとそうとも言えない。ネット上での過ごし方は、身を置く界隈や自身がネットに求めているものによってかなり異なったので、ネット上で深い友人関係や恋愛関係を作る者もいれば、お祭り騒ぎと称して界隈内や別の界隈を荒らし回る2ちゃん的なノリを持った者もいた。

 「バカッター」という言葉が流行したのもこの頃だ。強すぎる自己顕示欲故なのか、自らの反社会行為を堂々とツイートしてしまうことだ。そのような人はインターネット初心者が多い故に個人に繋がる情報を容易に漏らすことが多い。彼らは例外なく正義感の強いユーザーやお祭り騒ぎと称して便乗したユーザーに漏れた情報を元に特定され、訴訟・失業・退学などに追い込まれた。私刑を行う者も含めて、「Twitterはバカ発見機」とよく言われたものである。また、特定に追い込まれることこそなくても、不要な発言をした人間はツイートを「晒される」こともあった。スクリーンショットがスマホで容易にできるようになったことで、問題の投稿の証拠を握っておくのも簡単になった故だろう。女性人口も増えた。承認欲求や独占欲などが強い故に「一般人」とは交際できず、こちらの世界でチヤホヤされようとする女性のことを前章の頃では「オタサーの姫」などと呼ぶことが多かったが、この頃になるとその呼び方は廃れ、「メンヘラ」「地雷女」という呼び方がメジャーになる。今ではメンヘラというワードは単に重い人(男女問わず)という意味で「一般」の世界でもかなり有名なものになった。(言っちゃなんだが女の子の容姿のレベルも上がった。自撮りが上がるようになったからだろうか?自撮りは「一般人」の方がよく行うが、彼らの自撮りは大抵友人と写っている。芸能人やレイヤーでもない普通の人の自分一人の自撮りは要注意かもしれない。(偏見))

 暫くすると、一部でより大きな界隈に所属し、より影響力のある目立った存在になろうという人が出てくる。代表的な例を一つ挙げると、ツイッタラー団体というものが当時はいくつか作られた。団体によって方針はまちまちだが、基本的には「団員は主催者のツイートを宣伝する。代わりに、主催者はコミュニティへの所属を認める。すると他の団員によってフォロワーやいいね(この頃はお気に入りと呼ばれていた。ふぁぼという言い方に覚えがあるならインターネット中年以上だろう)が増える」といった制度を採っていた。なるほど、主催者はツイートを宣伝されることによって有名になり、団員は探さずともコミュニティに所属でき、承認欲求が自動的に満たされる。うまい仕組みである。このような団体は、単なる親睦団体に落ち着いたところがほとんどだった。しかしこれが上手く行き、主催者や団体が巨大化すると、貢献した団員に称号を与える階級制度の様なものが作られるようになる所もあった。階級制度によって、最早一大インフルエンサーとなった主催者に対する信仰や上級団員に対する憧れが生まれたという。ここまでくるとやや宗教チックであり、功を焦った団員による強引な宣伝、団内の称号を持ち出して偉そうに振る舞う上級団員の姿などもあり、有名な分かなり反発も大きかった。しかし、最大級と呼ばれたツイッタラー団体の主催者のフォロワーは、当時20万人以上いたのである。予め断っておくが、彼はYoutuberでも絵師でもない。だが、この数字はそこら辺の芸能人に勝るとも劣らない数値だ。

 また、当時のある程度ネット慣れした人間の多くは身バレをとにかく恐れていた。大まかな住んでいる地域や顔写真だけならともかく、本名をユーザーネームにする、学校の詳細について書く、(信頼できる友人以外の)学校の人間をフォローする、今ではごく当たり前の文化だが当時ネットに浸かってた人間からすれば有り得ない話だ。特定なんぞされて現実では秘匿している自分の姿が晒されたら大恥もいいところだからだ。また、先述のバカッター騒動が多かったことにより、個人に直接繋がる情報をTwitterに載せれば何かやらかした時に特定されるという教訓が常識になっていたからだ。前世代にはなかった、ネット上の個人という認識。仮にも匿名だからこそ個人を叩けるし、容赦無く叩かれる、というの意識が、人によって強弱異なれどあったのである。誰が言ったか、「フォロワーの数は自分に向いた銃口の数」。(そもそもやらかさなければいいと思ったそこの君、Twitter歴は長くないか本当に昔からやってるな?)

 ニコニコ動画についても述べることにしよう。先述したように、好む話題によって人間関係が界隈に細分化されたとは言え、Twitter全体のブームにはやはりニコニコ動画が大きな役割を果たした。ニコニコ動画に投稿された動画がTwitterで拡散されたり、逆にTwitterで流行したネタをニコニコ動画で動画化するといった風に、相互関係的にインターネット文化の中枢を作り続けた。ただ前章の世代の人間からすれば、ニコニコ動画自体の盛り上がりは斜陽であると言われることも多い。また、SNSであるTwitterの特性上、流行り廃れも早く、現在でも影響を残しているニコニコ全盛期の文化とは異なり既に今は昔となってしまったものが多くなった。

この世代のニコニコ動画の主な流行(年表形式)

2013 琴浦さん、艦隊これくしょん、進撃の巨人、にゃんぱすー、たれぞう、カゲロウプロジェクト など

2014 アナと雪の女王、ご注文はうさぎですか?、西宮市議員号泣会見「ようかい体操第一」、全く気づかないうちに「Daisuke」シリーズ、クマムシの「あったかいんだからぁ」 など

2015 刀剣乱舞、スプラトゥーン、「シュガーソングとビターステップ」、おそ松さん、がっこうぐらし!、スーパーマリオメーカー、ガールズアンドパンツァー全国放送 など

2016 オリエンタルラジオの「PERFECT HUMAN」、Re:ゼロから始める異世界生活、「エイリアンエイリアン」、君の名は。、BEMYBABY、PPAP など

 こうして見てみると、オタク文化に加え、結構「一般人」の世界で流行したものが年度を追うごとにそのまま受け入れられる事例が増えている。それだけ、「一般人」がインターネットを深く利用することが増え、そこでの文化の形成手の一人にまでなっていったという証左であろう。また刀剣乱舞、おそ松さんなど、女性がファン層の中心となったアニメも大きなブームの一つになっていることにも注目すべきだ。

 この世代の文化といえば、真夏の夜の淫夢についても触れておかねばならない。真夏の夜の淫夢は、2002年に某大学球児が出演したことをリークされたことに端を発するゲイポルノビデオである。某氏が出演したことが発覚した当時は局所的な話題に過ぎなかったのだが、同じビデオに出演していた野獣先輩などの濃いキャラクター、「真夏の夜の淫夢」以外のゲイポルノビデオなどの発見によって00年代後半頃から徐々にニコニコ動画や2ちゃんねるなどで流行していき、この世代に入ってそれが爆発した。ポルノビデオというものは突拍子もない設定や低予算ゆえの稚拙なクオリティ、出演者の大根役者っぷりが目立つものである。異性愛者にとって、単なる男性向けポルノならば性欲解消のためにそのような細かい部分は気にしないものである。ところが、それがゲイ向けとなると性的な要素を感じることが出来ず、チープさだけが目立ち笑いどころになってしまうのである。淫夢はLGBT差別として断罪の槍玉にあがることも多いが、淫夢を好んでいる人間はゲイへの差別心から淫夢を面白がっているわけではないことを一応念頭に置いて頂きたい。

  ゲイポルノビデオという「一般人」や良識的な人間からは到底受け入れられない地底感、多様な淫夢語録(ビデオ関連の台詞・空耳など)を使用すれば容易に淫夢を話題にできる人間が区別した上でコミュニケーションが取れたこと、ホモビ男優の公式(?)情報が少ないので東方Projectのように自由な解釈が捗り二次創作がしやすかったこと(BB先輩劇場などはその最たる例である)、また同じ理由によって様々なことに淫夢要素をこじつけられたのでネタが尽きないことなど(クッキー☆、NONA REEVESなど)が流行の要因として挙げられる。流行当初は、主にネット民の中でもアングラ気質な者に好まれた。だが、淫夢語録が非常に使いやすかったことから語録だけがいつの間にか一人歩きし、淫夢の詳細を知らないで語録だけを面白がる者が次第に増えていき、日本を代表するインターネット・ミームの一つになったのが現状である。似たような流行としては、大物Youtuberシリーズ、変態糞土方などがあり、特に後者は淫夢関連のネタとして受け止められることも多い。

 一方で、2ちゃんねるは言論の場がTwitterなどに移行し、情報の共有もそこで行われるようになったことから新規層が減っていき、また2ちゃんねるの会話を見るだけならまとめブログで容易に見られることから衰退していくこととなった。最早まとめブログを2chの書き込みのまとめと認識していないユーザーも多そうである。ネットでは狭い世界での友達作りが基本になった故に、完全匿名である2ちゃんねるは嘘など何かよろしくない事を書き込むためのものではないかとして敬遠されたのも理由の一つではないかと自分は推察している。2ちゃんねるを代表するVIPでも、10年代が始まることには既に影響力が低下していたとされる。2013年の2ちゃんねる個人情報流出事件が発生。この事件が2ちゃんねるの衰退を決定づけたとも言われている。ちなみに、2ちゃんねるが5ちゃんねるに名称を変更したのは2017年のこと。自分はいまだに慣れない。

 一方で、依然として盛り上がりを失わなかった板がある。非常にアングラ色が濃く、独自の文化を持っていたなんJである。当時、なんJでは前章の最後に記したハセカラ騒動を抱えていた。かの高校生が雇った弁護士は、少々弁護士としては詰めの甘いところのある人物だったらしく、それを発見したなんJ民の攻撃の対象になってしまう。弁護士が自身の中傷に対して過剰に反応してしまったことによって炎上はさらに加速し、そのうちなんJ本体から独立して専用掲示板(カラケー)が設立される程となり、いかに騒動を茶化すか、弁護士に嫌がらせをするかに注力されるようになったのである。

 いかに騒動を茶化すか、という点においては、この騒動や弁護士をテーマにした楽曲(パカソン)、3DCG動画が作られる、弁護士を「尊師」とする冗談宗教・恒心教ができるなどコンテンツ的性格を持つようになり、ハセカラ騒動関係者以外のネット民の目にも触れ、ネット文化の極北として面白がられることとなった。しかし、いかに弁護士に嫌がらせをするかという点においては、目的が目的だけにTwitterではなくカラケーを中心に話が進み、弁護士への殺害予告、彼の法律事務所に不要な物を送りつける、法律事務所に実際に行って悪戯をするなど、様々な嫌がらせが行われた。そして遂には高い技術力を持つ者が現れ、弁護士をテーマにしたランサムウェアの作成、弁護士の名を騙った自治体への爆破予告がなされるまでになった。逮捕者が出るまでになったこちらの「路線」には殆どのネット民は近寄らず、ニュースを聞いてこのような騒動に関わると人生が終わるという恐怖を残す程度であった。AKB48握手会傷害事件など、Twitterでデマを流したための話題になった例もある。

 名前も顔も知らない友人を最も持っていながら、最も荒んだ前提のネットリテラシーを持っている、それがこの時期にネットに慣れた世代、インターネット中年なのだ。

 自分もこの世代の人間であるということは最初に述べたとおりだが、この時期に自分が何をやっていたかといえば、様々な界隈をウロウロしていたというのが答えになる。完全に自業自得なのだが、どこに行っても人から嫌われる性分であるようで(そこだけは今も昔も変わらない!?)、様々な界隈に身を置いては居心地の悪さを感じてTwitterアカウントを作り直すなんてことを数回したことがある。自分もまたインターネット上に真の安住の地を探していた一人なのだ。

3 ほぼ実名のインターネット若者 〜インスタ映えは「ネット民」の文化?〜

 2017年、「インスタ映え」が流行語大賞に選出された。インスタ、ことInstagramは写真を共有することを前提としたSNSである。インスタの日本語版自体は2014年ごろから存在したのだが、やはりスマホの利用率が上がり「一般人」がインターネットに慣れるにつれてユーザーが急増し、お洒落で見栄えの良い「映える」写真を投稿する文化が出来上がるようになったという。このブームに乗っかった層は間違いなく既存のインターネット慣れしていた世代ではない。インターネット中年以上の多くは、お洒落な写真などには縁がないだろう。翌年、2018年には「Tiktok」がJC・JK流行語1位に選ばれる。Tiktokは、音楽に合わせて短いダンス動画(最近はダンス以外にも色々投稿があるらしい)を投稿するサービスである。最初はYoutubeの執拗な広告や曲の無断使用問題で既存のネット民に煙たがられていたこのアプリも気づけばJC・JKの大流行である。もちろん、JCJKなんていうのは既存のネット民の多くとは真逆の存在であろう。

 では、「一般人」たちはインターネット文化やコミュニティに浸かってはいないのだろうか?インスタ映えブームの影では、「映える」写真を取るためだけに可愛らしい飲食物を購入し、そのまま捨てていくというマナーの悪い行為は社会問題としてかなり話題を呼んだ。彼らもまた、インターネットでの評価に振り回されている人間なのである。皆が皆インスタ映えに一喜一憂しマナーが悪くなるわけではないが、インスタユーザーのような層はネットに浸かっていないと断じることもできない。というよりも、若者層では「インターネットに浸かる」ということが日常の一部になっているのだと思う。最早中高生にはインターネットやスマホは不要だと叫ぶ大人の声も聞かなくなるほどに、インターネットを使うことは当たり前になったのだ。インターネットに完全に慣れた「一般人」は最早ネット民の新世代とも言えるのではないだろうか?この記事では、そんな世代の人間をインターネット若者と呼ぶことにする。

 インスタだけではない。これまでネット民の主な居場所であったTwitterにもインターネット若者の比率は急増したと言える。代表的な例を2つ上げる。

 1つ目は、「拳でゲーム」である。2017年、Twitter上にある動画が流行する。その動画では、少年たち(?)と動画で撮影されている陰キャラチックな男性が口論をしている様子が収められており、生意気な少年たちに対して陰キャラの癖に「抵抗するで、拳で!」などの力強い言葉を使いながら両手の拳を打ちつけ威圧する様子が滑稽であるとしてにわかに話題になった。その時は、その前に既存のネット民を中心に流行していた「aiueo700」や「性の喜びおじさん」など、奇行も激しい人物を茶化すタイプの流行だと思っていたのだが・・・。その1ヶ月くらい後、男子高校生たちが教室でこの動画をテーマにした「拳でゲーム」に興じる動画が話題になった。ゲームといってもデジタルゲームではなく、王様ゲームのようなレクリエーション。これまたなかなか既存のネット民には縁がないように思える。(それは自分が陰キャラすぎるだけ?)男子高校生が顔出しで、Twitterでのネタでワイワイ騒いでいる様子を動画に投稿するという光景は、自分にとってはなかなか信じがたいものであった。その後、Twitterのネタを教室で聞く機会もだいぶ増えた。

 2つ目は、「#春から〇〇大学」である。新学期が始まる少し前、大学の合格証が届き進学が決定した新入生が各々の大学名を公表したハッシュタグをつけ、同じ大学に通う新入生とネット上で予め繋がっておこうとする文化である。これもここ数年で話題になった話らしく、2018年のマイナビの調査によると事前にTwitterを使って友達作りを行っていたという大学生は31.2%いるという。自分もなんだかんだ春からタグを利用した人間であるが、(その顛末は別記事に書きました)実名はネット上では明かしていない。だが、彼らの実名またはそれに準じた渾名をハンドルネームとしている人が多く、人によっては自分の顔写真が映った物をアイコンにしている人もいる。またTwitterをリアルの人間関係のために使用するという発想も、インターネット若者の産物だろう。

 インターネット若者のネットに対する意識を推察してみたい。「大学垢」などで容易に個人情報を晒し、現実で話せることを前提としたフォロー関係を構築するあたり、彼らはリアルの人間関係の延長線上、リアルの世界と同じだと考えている人が多い「大学垢」以外に非常に多くの用途に分けたアカウントを作る人も多いが、これもインターネット若者に多い行動だろう。現実でも大学での顔、バイトでの顔、家族での顔・・・のように人によって態度を臨機応変に変える様を思い起こさせる。自分の素を曝け出し受け入れてくれる居場所の方を探すインターネット中年とは違うのだ。弊学だけかもしれないが、「大学垢」界隈で空リプでコミュニケーションが成立するのも、普通の大学生がツイキャスでラジオ配信のようなことをするのも、基本的に自分の知り合いしか見ていないだろうという意識があるからだ。これは、自分のような人間から見たら非常にネットの危険性を知らず、リテラシーに欠けた意識のように思えるが、「バカッター」などで特定されるような問題は増えていない。結局、「一般人」はある程度現実世界での人との付き合い方を心得ている人が大半であり、インターネット中年のネットリテラシーよりも現実のリテラシーが勝ると証明しているのだ。この世代に「バズった」Twitter上の有名人だけ数えても、くつざわ氏、やしろあずき氏、料理のお兄さんことリュウジ氏など、自分の顔や一部の個人情報を公開している人が多い。

 一方でこの意識に問題がないわけではない。クッソ下品な飲み会コールとしてTwitterで話題になった動画は、元はインスタで飲み会でのふざけた様子を身内向けに上げたものだった。(ナメタラホッケッキョー)また、今回の女子プロレスラーへの誹謗中傷問題も、既存のネット民が炎上を煽ったものというよりはこの世代による非難が多いように見受けられる。テラスハウスのような番組に興味がある人は既存のネット民には少ないと思うし。彼女に対する誹謗中傷の多くは流石に匿名であるが、「一般人」的な趣味や人間関係、またツイートからどんな人物か類推可能な投稿が多い。おそらく複数あるうちの垢の一つで、大学用アカウントなど幅広く知人をフォローしている場では見せない顔なのだろうと邪推する。実名に対する危機感がないことに加え現実でも様々な顔を持ってうまく立ち回っていることもあり、匿名ならば絶対にバレないという意識が出来上がってしまうのだろう。また、本人へのリプライでない誹謗中傷も相当数見受けられた。自分の投稿など大してみられていないだろうという前提は、時にエゴサーチなどの可能性を無意識に除外してしまう。リプライを送りつけるのは流石に悪意があるが、このような投稿は、知人に「あのアイドル絶対整形してるでしょ〜!性格も悪いらしいよw」という程度の認識だったのかもしれない。

 といっても流石に誹謗中傷に走るのは品性が歪んだ一部であり、大体のインターネット若者はリアルでの生活もしっかり送る「いい奴」「まともな人間」である。度が過ぎた悪口は嫌われると現実の感覚で知っているだろう。だから、先述の事件で誹謗中傷問題に対する議論が活発になり、色んな人がこの問題について所感を述べているが、その中でも「匿名で誹謗中傷など卑怯だ!言いたいことがあるなら直接言ってみろ!」という趣旨の意見を見ると、ああ〜「一般人」だなぁ〜などと自分は思うわけだ。そして誹謗中傷が人生を破滅に追いやるだなんて今更だなあとも。文句がある人間は実名で言うべきだ、という至極真っ当であろうその考えから知らず知らずのうちに私刑的な行為に加担しないかだけが心配である。

 インターネット若者世代のオタク的人種についても変化があった。まず、オタクと言われる人間の層が変化した。「一般人」的な人種の一部もオタク文化に触れるようになったのである。インターネット文化が世間にとって身近になったことに加え、進撃の巨人やラブライブ!、近年では鬼滅の刃など、「一般人」でも楽しめる要素のある名作深夜アニメが増えてきたことで、アニメは「市民権を得た」という言い方で表現されるようにかなり一般的なものになった。そのため、アニメを熱心に視聴する「オタク」だけれども実生活では彼女や大勢の友人がいます、というような人の割合が増えてきた。これによって、オタクの需要はだいぶ変わった。流行するアニメも、ご注文はうさぎですか?、ゆるゆりといった女の子だけの日常モノや、ソード・アート・オンラインやRe:ゼロから始める異世界生活といった主人公と女の子のファンタジーものが多かったのだが、ここ数年、寄宿学校のジュリエット、五等分の花嫁、かぐや様は告らせたいなど、青春・恋愛系が当たるようになってきている。

 2017年度末からブームが始まるバーチャルユーチューバーもその系譜だ。一世代前のオタク文化では、キャラクターやコンテンツの裏に実在の個人の動向や商業主義が見え隠れすることを嫌い、実在の個人がコンテンツを作り上げるYoutuberを軽視している風潮があった。(今でこそ聖人扱いされているHIKAKINだが、当時は音の出るゴミと呼ばれていた)だが、バーチャルユーチューバーは、キャラが可愛いからというだけでなく、キャラ設定を超えて中の人格が滲み出ることにこそ魅力があると言える。にじさんじの月ノ美兎は、高校生の清楚な委員長という設定を持ちながら、サブカル好きという中の人の趣味が露呈し、更には「女子高生」という設定すら何度も放棄しかけては周囲を困惑させている。同じくにじさんじに所属する御伽原江良は、手芸サークルの家庭的な女性という設定なんぞなかったことかのように様々な迷言を放ち、自身への投げ銭に狂喜乱舞する動画も上げている。これはオタク層が個人の動向や「金儲け」の姿勢にいちいち目くじらを立てず、コンテンツの裏側も含めて楽しもうという方向にシフトしたからではないかと推察している。ある程度現実の人間関係生きてる人間はそこら辺割り切れるんすよね。現実に嫉妬しないというか。まあ、バーチャルユーチューバーは門外漢なので支離滅裂なことを言ってるのかもしれないけれども。

 また、アイドル声優の結婚・恋愛に寛容な意見が大勢を占めるようになったになったのもここ数年の話な気がしている。声優の結婚や恋愛が発覚したらオタクたちはこぞって発狂し、「処女膜から声が出ていない」「こんな思いをするならば草や花に生まれたかった」と言った数々の迷言が飛び出ていた一昔前からすれば信じられないことだ。

  ここまで来て同じオタクでも人間の差が際立つようになると、既存のオタクに当たるような人たちは自分が陰キャラであることを自認し自虐風のネタを始めている。三色チーズ牛丼顔が広がりを見せているのは、ある意味「リア充爆発しろ!www」のようなノリに回帰したとも言えなくもない。所感だが、最近発達障がいを自虐ネタ的に使う既存のオタクが増えた気がする。ADHDの自称だとか手帳持ちネタだとか、「一般人」のことを健常者と呼んでみたりだとか。一世代前は、「は?アスペかよw」がクッソキツい煽りだったことを考えると、インターネット中年も、空気の変化と当時中高生だったのが少し大人になったを受けて、色々変わっているのだろう。

 淫夢など、アングラを自認する界隈でもだいぶ流行が変わってきている。代表的な例が、ゆゆうた氏だ。淫夢や大物ユーチューバーシリーズなどをネタにした歌を作曲して弾き語っている彼だが、その活動は顔出しを伴うものである。彼は自分の個人情報が特定されるや否やそれを公表した歌を作って動画にしたが、それでもファンが大勢おり活動を続けられているあたり最早個人情報を秘匿することは殆ど意味をなさないということをアングラ層ですら理解していることになる。まあ、淫夢の界隈自体、語録がネットミームとして広がってしまったことで過去のアングラ感はかなり失われてはいるという点もあるが。

 一方で、先ほど「アニメが市民権を得た」と記したが、オタク的な人種が市民権を得たわけではない。いくら「リア充オタク」が増えれども、既存の萌えを好むようなオタクに対して世間が優しくなったというのは勘違いだと思う。単に「アニメ」を見ているだけで偏見で見られなくなっただけだ。当然、ネット上で「一般人」が増えるなら、そのような感覚を持った人間の発言も増えるわけである。その最右翼がツイフェミと呼ばれる人たちであろう。本来、フェミニズムとは女性解放思想に基づく人権運動なわけであるが、Twitter上でこれを主張する人たちはどうも極論的だとして揶揄を込めて彼女たちはツイフェミと呼ばれている。ツイフェミの思想の是非はともかく、彼女たちが強姦や痴漢などの実在する性犯罪や組織内でのセクシュアル・ハラスメント問題を提起するよりも二次元の作品を女性への差別・性的搾取であるとして非難している方が目立つというのはまあ間違い無いだろう。萌えキャラの胸の大きさといいスカートのシワといい、一部の人にはオタク文化含めて忌避の目で見られているというのは現在も変わらない。

終わりに

 インターネット文化は、平成が始まった頃にその歴史が始まり、平成が終わりを迎えた頃に完全に現実世界とリンクするモノとなった。最初、匿名だからこそ発展する独自の文化を築いた。しかし人が増えるにつれ、どんどん狭く閉鎖的なコミュニティが選ばれるようになり、最終的には現実世界の延長線上といった使われ方が主流になった。最早ネット上で禁忌とされていた自分を語る行為は当たり前になったのだ。ユーザーは時間が経つ毎に賢くなっていくものだ。インターネットの歴史を積むにつれて自分に良識があり、良識がある周囲と付き合えば現実でもネットでも個人情報の扱いは同じことだと学んだのかもしれない。だが、これでインターネットの歴史が停滞するわけでは無い。今後も信じられないほどの進化をし、また価値観は変わっていくだろう。そもそもこの記事で取り上げた時代はたかだか20年しか経っていないのだから、そう思っても全くおかしくは無いのではなかろうか?インターネット故の問題もまだまだ残されているし、現実と更に一体化するにつれ起こる問題や失われる良さもある。その点は、今後の課題であるように思う。(投げやりな締め)

 誹謗中傷騒動とインターネット中年の困惑について自分語りするつもりが、インテルネッツの歴史を調べているうちにこんなに長くなってしまった。今何文字や?17809(現在)文字!?こんなのもう少し長くすれば卒論やん!卒論として提出していいですか!?!?(引用資料もなけれな文章レベルはクソ以下)ただでさえオンライン講義の課題が明日もあるというのに、こんな記事に時間を割く自分はやはりやるべきことを優先して行えない社会不適合者そのものだ。課題をやりましょう。この文字数で課題1〜2週間分は超えたぞ。課題をやりましょう。

最後に、このような冗長な駄文を読んでくれた皆様、ありがとうございます。この記事はあくまで自分勝手な偏見に基づく持論であり、もしかしたら滅茶苦茶的外れなことを言っているかもしれません。一介の陰キャラ実質ニート大学生が偉そうに語って逆にこの記事が原因で炎上してしまわないか心配ではありますが・・・。あー、こんな時代もあったなあと思い出していただければ幸いです。本当にありがとうございます。


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