揺れるドル基軸通貨体制

「社会主義」2010年7月号(社会主義協会

北村巌

ドル基軸体制とは?
第二次世界大戦後の世界経済は、資本主義体制下では自由貿易を基盤とした世界市場の形成が図られた。これを金融面で支えたのがIMF(国際通貨基金)であり、貿易面で支えたのはGATT(関税・貿易に関する一般協定) およびその理念を引き継ぎ1995年に創設されたWTO(世界貿易機関)であった。この世界資本主義体制のなかで、米国は、世界最大の経済規模を誇り、最強の政治的、軍事的な影響力によって中軸となってきた。基軸通貨としてのドルは、このシステムを形作るひとつの要素であり、米国の信用力を背景に、国際的な取引の場において米ドルは国際決済上の標準として幅広く用いられてきた。「有事のドル」という言葉があるが、これは国際情勢が不安定なときに避難先としてドルが好まれることを意味する。これは基軸通貨の特徴を鮮明に表す言葉であるといえるだろう。
ドルが国際通貨の基軸通貨の地位を確立したのはいわゆるブレトン・ウッズ体制の成立であり、これによって制度化された。1944年7月、米国ニューハンプシャー州の小さな町ブレトン・ウッズにあるホテルで、連合国44カ国、730人の代表が参加する国際金融会議が開かれた。この会議の結果、ブレトン・ウッズ協定が結ばれ、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)が設立された。また、これら2つの国際金融機関と実質的に米ドルを基軸通貨とする固定為替相場制が成立した。この時期はまだ第二次世界大戦の終結前であり、戦局が連合国側に決定的に有利に展開し始めた時期であった。つまり、戦後をにらんだ戦勝国による体制作りだったわけである。
ブレトン・ウッズでは国際通貨体制を巡り、米国案(ホワイト案)と英国案(ケインズ案)が議論の中心となった。米国案は通貨の安定を主眼においたもので、ケインズが国際準備通貨の導入で成長通貨を供給するといった構想を持っていたのに対し、ホワイトはあくまで国際通貨基金の役割を各国が自国通貨と金を拠出することで国際通貨体制を保守する役割を国際通貨基金に求めるものであった。
ブレトン・ウッズ協定は最終的には、米国案を基にまとめられた。具体的には、参加国が通貨を金に対して固定することにより固定相場制を実現する形式をとった。つまり各国が公定金価格を決めることで、金を軸に各国通貨の価値を固定することである。しかし、このことは実際的には基軸としての米ドルに対して各国通貨が固定相場を維持しているのと同義であった。なぜならば、この時点では米国が金保有において他国を圧倒していたからである。1944年の政府・中央銀行金保有高では米国が206億ドル、フランスが18億ドルに対し英国は100万ドルであった。それまでも国際収支の最終的な決済手段として金が用いられていたが、金価格を各国で固定し、金流通を規制することにより、最大金保有国である米国の通貨を金そのものの代替手段とした国際通貨体制づくりだったといえるだろう。
 長期間に亘って基軸通貨の地位を保つには、為替レートの安定が不可欠な要素となる。2008年後半に発生した世界的な金融危機で、金融システムの安定や景気刺激のためにさらに巨額の財政支出が追加された。この結果、米国の財政赤字は大きく膨らみ経常収支の赤字と合わせた「双子の赤字」がドル安を招き、米ドルの信用力に陰を落とし始めつつある。これについて、米ドルの外貨準備を大量に保有する中国など一部の国は、特定国の経済状況に基軸通貨の価値が影響を受けることへの疑問を示し、基軸通貨を多様化することの必要性を提案している。欧州では単一通貨ユーロが誕生し、中国、インドなど潜在力の大きい新興国の経済的な台頭を受けて、これまで不変と思われてきたドルが基軸通貨として機能してきた国際通貨体制も潮目の変化が訪れつつある。

世界通貨としての金
ドルを基軸通貨として成立させたのはもともとは莫大な金保有であり、それを背景に金とドルとの交換を保証したことであった。金は世界通貨として機能していたからである。
1971年のニクソンショックは、金ドルの兌換停止を宣言したものだった。しかし、それでも簡単にドルは基軸通貨の座を退かなかった。当時、日本の金保有を増やすことが検討されたことがあるとも言われるが、おそらくは国際政治上の理由から本格的には行われなかったものと推測される。仮に日本が外貨準備における金保有を大きく増大させれば、米国の金保有の独占的な立場が崩れ、ドルの基軸体制が崩れ混乱を生じるとの懸念があったのではないだろうか。他の先進国も同様であった。この結果、日本は、直接的には円の国際通貨としての裏づけを、米ドル建て金融資産を中心とした外貨準備としつつ、間接的にはそれを通して米国の金保有に求めるという姿になった。
近年になって新興国が外貨準備において金保有を増加させている。日本の場合は対外債権が積みあがり外貨準備も増加し、債権大国となった80年代後半においても、金保有を増大させるという選択肢は採らなかった。日本の金保有は2460万トロイオンス(2009年末)で、米国の2億6150億トロイオンス(同)の10分の1以下である。他の先進国はドイツ(1億950万トロイオンス)、イタリア(7880万トロイオンス)、フランス(7830万トロイオンス)が比較的多く、英国(1000万トロイオンス)が日本よりも少ない。
一方で、大陸欧州諸国はもともと金保有が比較的多かったということもあり、大半がそれを維持し続けてきたが、ユーロ圏の圏外との決済の最終的支払い手段として各国の金保有とあわせヨーロッパ中央銀行が独自に保有する1610万トロイオンスの金があると言ってよいだろう。この合計でみればユーロ圏は米国の金保有を上回っていることになる。
新興国のうち、国際政治的に米国やヨーロッパ先進国から独立的な立場を取りうる、中国、インドやロシアにとっては金保有増加を躊躇する理由はない。これらの国の金保有がすぐに米国並みの規模になることは考えにくいが、長期的には莫大な金保有を行う国が数カ国割拠する状況に至るかもしれない。基軸通貨の行く末を考える場合、こうした各国の金保有の動向も欠かすことの出来ないポイントであろう。

新興国で始まっている代替通貨体制づくり
新興国や発展途上国では、制度上は変動相場制を採用しているようであっても、実際には為替レートの安定化を重視し、固定相場制ないしは柔軟性の低い為替相場制を維持している国が多い。アジア諸国もその例外ではなく、特に1997年のアジア通貨危機以前は、事実上、自国通貨をドルに連動させるドルペッグ制が一般的であった。アジア諸国がドルペッグ制を続けていたのは、貿易決済や資本取引でドルに勝る利便性を有する通貨が他になく、かつ対ドルレートの安定が自国経済に大きな便益をもたらすと考えたからだ。
固定相場制を維持するには、金融政策の独立性または資本移動の自由のどちらか一つを放棄しなければならず、これは国際金融のトリレンマとして広く知られている。タイやインドネシアなどドルペッグ制の下で資本規制の自由化を進めていた国は、いわば金融政策の独立性を放棄し、米国の金融政策にあわせた金融政策をとらざるをえなくなっていたことになる。そして、アジア通貨危機の発生はアジア諸国の固定相場制の脆弱性を露呈させた。
通貨危機で大きな打撃を受けた韓国、タイ、インドネシア、フィリピンは1997年の通貨危機をきっかけに変動相場制に移行し、為替相場の柔軟性を高めた。しかし、マレーシアは逆に資本流出規制を導入し、リンギをドルに固定するドルペッグ制に移行。香港はカレンシーボード、中国は固定相場制、シンガポールは通貨バスケット制維持と対応は国により異なる。
その後、2005年7月、中国とマレーシアは公式にはドルペッグ制を止め、通貨バスケットを参照し為替相場を変動させる管理フロート制に移行した。しかし人民元の対ドル許容変動幅は小さく、2008年7月以降は再びドルへの固定が復活したとみなすことができる。
アジアはこれからも各国がそれぞれの通貨制度を維持するのか、あるいはアジア共通通貨や域内通貨バスケット制のような通貨制度を構築することを目指すのか、今後の展開が注目される。
 アジアは、直接投資や域内貿易の拡大を通じて域内での相互依存関係を深化させてきており、経済圏としての一体感を高めてきた。それにも拘わらず、金融面では、これに相応した通貨体制の構築などは立ち遅れている。アジア通貨危機以降、再発防止という観点から、アジア域内では国際的な金融協力体制に関して様々な議論がなされてきた。通貨に関する取り決めに関して言えば2000年に締結されたチェンマイ・イニシアティブ(CMI)が代表的なものである。これは、ASEANプラス3(日中韓)の枠組みにおいて、急激な資本流出などの緊急時にドルを融通し合う協定である。しかし、チェンマイ・イニシアティブはそもそも通貨危機発生時にセイフティネットとして機能する仕組みで、危機発生防止あるいは為替相場安定そのものに寄与する性格のものではない。こうした観点から、改めて「アジア共通通貨」が必要だとの議論も高まっている。
アジア共通通貨の実現までの道程については、先例として欧州連合(EU)の通貨ユーロが参考にされることが多い。ユーロ導入前には欧州通貨単位(ECU)が存在したが、これに対応するものとして、各国の通貨を経済規模や貿易量などで加重平均した指数となるアジア通貨単位に関する研究が進められている。例えば、一橋大学と経済産業研究所はアジア通貨単位(AMU)を公表している。これを利用すると、各通貨の対AMU名目為替レートを用いて、AMUに対する基準為替レートとの乖離を見ることで、現在の為替相場が過大評価なのか過小評価なのかを判断することができる。
しかし、実務レベルでは政治的事情なども絡み合い、進展がほとんどないのが現状だ。ユーロの先例では、1979年のECU公表から2002年の流通開始までに23年を要した。多くの国が前向きになったとしても時間は相当に要する課題なのである。
中南米通貨も、徐々にドル離れの動きをみせている。ベネズエラは、反米色の強いキューバ、エクアドル、ボリビア、ニカラグアなどを集め、米国と距離を置き、米州ボリバル代替統合(ALBA)を結成した。ALBA銀行の設立が決まり、今年から主要5カ国間の域内貿易決済で共通計算単位スクレが導入されている。
一方、南米全12カ国を網羅したのがブラジルが主導する南米共同体(UNASUR)である。こちらも南米銀行の設立で合意し、将来の共通通貨創設も否定しない。ブラジルは、これに対米交渉力の強化と自由貿易や経済協力といった経済圏としての実利を期待する。ALBA諸国の動きを制しつつ、UNASURとしての統合を進められるか、ブラジルの手腕が試される。
共通通貨導入の素地として、域内貿易比率の高まりがしばしば指摘される。中南米と比較して、アジアはその条件を適えつつあるとみられるも、それでも導入への進展はほとんどない。他方、共通通貨の採用には、域内貿易の促進及び経済圏としての一体性を高める働きがあるとして、貿易等の相互依存関係が進展することを条件とする必要はないと見る論者もおり、中南米における導入先行の可能性がないわけではない。
中南米通貨の統合に向けた動きは、米国への対抗という政治主導で始まった。ベネズエラなど中央銀行の独立性に疑問符がつく国もあるため、政治家の思いつき先行の感は否めない。しかし、通貨統合のメリットが各国で十分認識されるにいたれば、ドル基軸体制に一石を投じる動きに変わる可能性もあろう。
アラブ諸国では、2001年に湾岸協力会議(GCC)に加盟する湾岸諸国6カ国(サウジアラビア、UAE、クウェート、バーレーン、カタール、オマーン)が域内共通通貨の導入で合意した。2010年1月1日までの導入を目指してきたが、現在のところいまだ実現にはいたっていない。2009年には通貨統合協定が発効され、サウジアラビアの首都リヤドに、域内中央銀行の前身となる通貨評議会を設置することが決まっていた。しかし、導入時期を含め、今後の見通しは依然未定のままである。
議論の焦点は2点ある。まず、加盟国間の足並みの乱れである。2008年のオマーンに加え、2009年には通貨評議会のリヤドへの設置を不服としたとみられるUAEが不参加を表明。残る4カ国は2カ国の復帰を望むも、2カ国は頑なな姿勢を崩していない。
次にドルペッグ問題である。2007年にバスケット制を導入したクウェートを除き、湾岸諸国は自国通貨をドルに連動させている。原油価格上昇の影響もあり、湾岸諸国は高インフレ率に直面しているものの、ペッグ制維持という背景から、各国は米FFレート引下げに合わせ、自国の政策金利を引下げた。インフレ率が上昇する中での金利引下げは、自国経済の現状と反した金融政策を運営せざるをえない矛盾を露呈。ドル安の進行による輸入コスト上昇も、インフレの加速に拍車をかけた。これに対し、ペッグ制の解除や通貨切上げを主張する意見は少なくない。しかし切上げはドル建て外貨準備の目減りや主な歳入源である原油輸出収入の減少が懸念され難しい。ペッグ制の維持に関しては、さらなる議論が不可欠となろう。
他方共通通貨の導入は、貿易の取引費用削減をもたらすなど利点もある。今後は、今年3月に選出された通貨評議会議長を中心に議論が進められるが、制度的な枠組みを含めた議論は未だ進行しておらず、不確定要素が依然多い。

国際通貨体制の改革議論
 長期的にみたドルの地位低下の中で、米国でも国際通貨体制の改革論が提起されている。
米国のシンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のフレッド・バーグステンは、2007年に、各国が余剰ドルを国際通貨基金(IMF)の補助勘定を通して、特別引出権(SDR)と交換する制度の創設を提唱した。基軸通貨ドルに固執せずに、国際的な過剰流動性の発生を避けるべき、との観点である。SDRは主要国通貨による通貨バスケットであり、1969年の創出当初は国際通貨になることを期待されたが、現実はなかなかそういかなかった。他国の出資比率が上昇しても、15%の拒否権を下回るような大幅増資を米国が拒否し続けたため、IMFは米国の一部とみなされてきたからである。
元世界銀行チーフエコノミストでノーベル賞経済学者のジョゼフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授が議長を務めた国連総長委嘱の国際金融改革に関する委員会は、09年9月に報告書をまとめた。この報告書の中では準備通貨制度について触れられている。これによると、現在のドル基軸体制や複数基軸体制のようにいずれかの国の通貨を準備通貨とする体制には無理があるとし、グローバルな準備通貨の創出を行う必要性を指摘している。同報告では1つの具体的提案を行っているわけではないが、現在世界通貨としてSDRを発行しているIMFを利用するだけではなく、「グローバル準備銀行」といった新しい組織によって世界通貨を発行するスキームも考慮されるとしている。また、準備通貨となる世界通貨(例えばSDRでもよい)に対し主要国が自国通貨との交換可能性を付与することを協定すれば、これはグローバルな中央銀行間の通貨スワップ体制を意味し、通貨バスケットが準備通貨として機能することになる、としている。
こうした提案がそのまま採用される可能性は低いものの、国際通貨体制の改革議論はさらに大きく高まっていくだろう。
 今後のポイントは、基軸通貨ドルに対抗する通貨の存在の有無と、ドルを重視する新興地域のドル離れの程度である。前者について、現時点でその最有力候補と考えられるのは、第2の主要通貨としての地位を既に確立しているユーロである。世界的な金融危機は、ユーロに対して求心力と遠心力の相反する力を生み出した。危機の最中には、多くの通貨の対ドルレートが急落したが、経済規模の小さな国がこれに対抗することは難しく、アイスランドや東欧地域などでは経済不安が高まった。対照的に、ユーロ参加国は主要通貨の変動が相対的に安定していることに守られて、このような事態には至らなかった。この結果、ユーロ圏に隣接する国ではユーロへの参加を望む声が勢いを増した。
一方で、危機対策として金融システムの安定化や景気刺激のために巨額の財政支出を行った結果、ギリシャなど一部の国で財政赤字が深刻化し、その対処をめぐりユーロ圏内で意見の不一致が生じている。一本化された金融政策と各国が独自性を持つ財政政策の調和は、かねてより課題として指摘されたが、金融危機はこれを浮き彫りとした。ユーロという大きな傘の存在は、参加国の拡大を促す魅力を持つ一方で、それは利害調整を一段と難しいものとする。この課題の克服が、ユーロが将来的に基軸通貨に近づくのか否かの命運を分けることになろう。現時点では、対ユーロ管理型為替制度の採用国数は対ドル管理型と比べてまだ少なく、当面の間はドルの影響力が強い状態が続くと予想される。
 ドルに対抗する通貨として存在するユーロの行方とともに、今後の国際通貨システムを左右するのは、中国を含む対ドルペッグ制採用国の動向である。中国は、資産価格高騰など実質的な固定レートが生み出す歪みに直面しており、制度変更を慎重にかつ真剣に検討する段階にある。人民元レートが弾力化されれば、他国が対人民元レートにより関心を持つことになろう。これに、人民元の取引通貨としての利便性の向上が伴なえば国際通貨への道が開ける。だが、人民元建て決済の拡大はこれからであり、洗練された厚みのある金融市場も現在は存在しない。国際通貨への道のりはまだ長く、今後10年以内に人民元が主要通貨として君臨する可能性は低いと予想される。
視点を変えると、対ドルペッグ制の放棄は、為替レート管理のために保有するドル建て外貨準備の必要額を減少させてドル離れを促す側面を持つ。この意味で、ドルで原油輸出代金を受け取る中東地域の対ドルペッグ制採用国の動向なども重要である。ドル安への不安あるいはドル安圧力を封じて固定レートを維持することの歪みは、変動レートへの転換を選択する誘引を高めるが、これはドル安を加速させドル建て外貨準備が目減りするジレンマを抱える。この悩みはドルが基軸通貨であるからこそのもので、ドル離れが生じるとすれば、短期間に一気にではなく長い時間をかけて徐々に進行すると見込まれる。
2008年秋の世界金融危機では、一時的にドル資金が極端に不足し、特定通貨に決済を依存することのリスクが浮上した。複数通貨によるリスク分散が必要なのではないかという議論も強くなっている。基軸通貨の多様化は、しだいに現実的なテーマとなってきた。この過程において、ドルのみを基軸としてきた通貨体制に替わる今後の国際通貨体制は、ドルとユーロが主導する2極型となるのか、あるいはこれに他の通貨も加わる複数型となるのか、おぼろげな姿が表れてくると思われる。

米国のドル防衛策
 米国は巨額の経常赤字を出しながらも、ドルの地位を維持できた背景には、その対外資産負債構造も関係しているといえるだろう。米国は、長年の経常赤字の結果、対外資産負債バランスは大きな負債超過になっている。しかし、その中身をみていくと、必ずしも破綻に向かっているとはいえない。
 巨額の純債務(借金超過)を抱えているにも拘らず、資産側つまり海外への投資が生み出す投資収益が大きく、支払いと比較すれば受取超過なのである。2009年の投資収益収支は961億ドルと2008年の1,255億ドルより減少したもののかなり大きな黒字を維持している。しかも、中期的には増加傾向が続いてきたといってよい。その第一の要因は「ドル安」である。ドル安、特にヨーロッパ通貨に対するドル安は資産側の資産額も投資収益もドル評価で大きくする。一方、負債側はドル建てが多いため、ドル安によって借金棒引きの効果が起きていたのだ。ギリシャ危機をきっかけにした対ユーロのドル高はこの事情を多少かえる可能性がある。
 米国の対外資産(2008年末)をみると直接投資や株式の残高が大きい。直接投資が3兆1,620億ドル、株式が2兆8,514億ドルである。そして、直接投資や株式はそのもののリターンが債券や貸付よりも高いだけでなく、投資先がヨーロッパを中心としているため、ドル安によってドル建てのリターンや資産評価が膨らむ構造となっている。一方で負債側にも債券やその他投資に分類される借入れが大きい。支払いリターンが小さいだけでなく、ドル建てが大半であるためドル安の効果で増加することはない。つまり米国の対外バランスシートは資産種類と通貨の両面でレバレッジが掛けられているのである。
もう一点興味深いのは外貨準備の構成である。外貨準備高は2、937億ドルであるが、そのうち77%の2,274億ドルを金が占めている。量としては2・615億オンスであり、世界一の保有量である。金を準備として保有していることで、ドル安で金価格が上昇すると自動的に外貨準備が増加する仕組みとなっているわけである。仮に現在の時価トロイオンス当り1,200ドルを適用すれば外貨準備中の金準備は3,138億ドルとなるので、時価の外貨準備は3、800億ドルあることになる。
こうした対外純資産負債の構造や大量の金保有がドルの基軸通貨の地位を保つのを支えてきたといえるだろう。もちろん、米国の軍事力を背景とした国際政治における力も忘れられてはならないが、これとても経済力なしには維持できない。米国は対外純負債が発散するのを緩和する対外資産負債構造をもっているものの、現在の経常収支赤字の恒久化には耐えられないし、また維持のためには継続的にドル安となり、そしてそれが加速する必要がでてくるのである。
 今回の金融危機をきっかけに上記のような構造も持続可能かどうか怪しくなってきた。そうした条件のもとで2010年3月、オバマ大統領が打ち出したのが、「輸出の倍増」という経済政策目標である。現在、米国は企業部門が投資不足から金余り状態であり、家計もバランスシート調整で貯蓄率がある程度上昇した。こうした環境下で景気回復と財政の健全化を達成していくためには輸出の拡大による経常収支赤字の縮小が必要なのである。対外資産負債におけるこれは同時にドルの安定をもたらすものともなる。基軸通貨としてのドル
一方、対外直接投資の収益性は依然高く、米国企業は世界景気の回復とともに対外直接投資を再び積極化させるだろう。ドルを安定させるにはこれに見合う資本の流入を促すことが必要だが、その基礎条件は米国における企業活動の収益性に掛かっている。

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