小田原評定と社会構成主義
社会構成主義
社会構成主義は、対話によって世の中(の認識)が形づくられるという考え方です。
一般的には、ここで生成されるナラティヴやディスコースは正しい方向性を示すと考えられている節もありますが、本当にそうでしょうか。
それぞれの個々の認知から構成される対話=ナラティブはどの方向に向かうかも知れませんし、本質的な結論を生み出すと定められたもにのではありません。
小田原評定
組織内でそれなりの地位にある人々が寄り集まっても、議論が続くばかりで有効な結論が出ない様を言います。旧日本軍の大本営など同様な事例は随所に、また身近な組織においても散見されます。
組織は正しい結論をだせるのか?
上記の2つの考えを重ね合わせてみると、対話によって成り立っている組織は対話に任せると正しい結論が出る訳では無いということが普通であるという事がわかります。
それでは、なぜ我々は組織において正しい答えが出るはずだと考えているのでしょうか?
それは通常組織は「共通の目的」を明確化して運営されるので、組織と言えば正確に働く機械の様なイメージがあるからではないでしょうか。
逆に言えば、「共通の目的」が不明確になったり、具体的でなくなると組織は迷走を始めてしまうということになります。
対話やディスコースが組織の中で、もてはやされている感もありますが、「共通の目的」が明確でない場合は、対話やディスコースが組織を求められる方向へと導く保証はありません。
つまりそれがナラティブなんだと最近は思っています。
それでは迷走しがちなナラティブを外部環境に順応するように統制・管理をどのようにするのか?これが経営学の本質なのかも知れません。
感謝
すごくつたなく漠然とした内容ですが、少し残しておきたく記事にしました。
にも関わらず最後まで読んで頂きまして、感謝です。
(ご参考までに、写真は大阪城です)
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