【議事録】コロナ禍に読むフーコー『フーコー・コレクション6』
※本読書会は2021/6/26に終了しております。有料部分では読書会の全文書き起こしを公開しております。
お読みいただきありがとうございます。
ソーシャルディアによる読書会、6月はフーコー『フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治 』を扱います。
前回はジンメル『ジンメル・コレクション』もオンライン開催でしたが、多くの方にご参加いただきました。議事録などは以下に公開しております。
6月課題本について
さて、「コロナ禍に読む」と題しての読書会ですが、いま特に注目を集めている哲学者の一人としてあげられるのがミシェル・フーコーでしょう。
「ステイホーム」や「三密」などのワードにより、強制力を発揮せずに人々の動きを変える(とされる)政治には、フーコーの「生政治」「統治性」を彷彿とさせるものがありました。ゲンロンでもおなじみの石田英敬さんと東浩紀さんも以下のような対談をされたりしており、注目が高くなっています。
しかし、今回フーコーを読む手引きをしてくださる中村さんによると、フーコーの言葉を「なんでも切れる刀」として使いすぎであるという側面もあるようです。また、別の概念によりもっと適切にコロナ禍の分析ができるかもしれないということも……。
今回の読書会はちょっと変わった趣向として、フーコーについての最新の研究を聞きつつ、『フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治』を読むというように進めようと考えています。
知っているようで知らないフーコーについて、ぜひこの機会に触れることができればと思います。お気軽にご参加ください。
【読書会詳細】
日時:6月26日(土)15:00-17:00
場所:オンライン→ZOOM(有料部分に記載)
参加費:500円(note購入がチケットとなります)
※読書会後は購入限定の議事録も読むことができます。
定員:15名
課題本:ミシェル・フーコー
『フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治』 (ちくま学芸文庫)
※副読本(読まずに参加いただいても問題ございません)
『知の考古学』 (河出文庫)
▼中村さんのプロフィール
中村健太(なかむらけんた)
関西学院大学大学院社会学研究科在籍。
専門は現代社会学、理論社会学。現在、ミシェル・フーコーの議論を援用しつつコロナ禍における現代社会の統治メカニズムを研究中。
主な論考に「"恐怖"と"不安"の社会学:確実性と不確実性から検討する"恐怖"と"不安"」(『KG社会学批評』第7号,pp1-11,2018)など。
以下、有料部分では6/26以降、全文書き起こしを記載しております。参加した方は復習に、参加できなかった方はぜひご購入の上でご覧ください。
※7/23追記 前半一部のみ、無料で読めるようにしております。
読書会のアーカイブ
今日5時までということになってると思うんですけど、ざっくり1時間ちょっとくらいお話しをします。あまり配分とか考えてないので分からないですが最初に僕が色々話をして、そのあと皆さんの本を読んでの感想や質問だとかを聞いていければなと思います。僕も全部答えられるわけではないので、何か期待外れな点とかあるかもしれない。その辺はですね、ご愛敬ということで1つよろしくお願いします。
というのもですね、『フーコーコレクション・〈6〉』を今回改めて手にとって読んでみたんですが、「生政治・統治」というサブタイトルで、色々なフーコーの論考が11個集まってるわけじゃないですか。かなり扱う範囲が広いわけですよね。物凄く長い射程で、話を進めているんです。古代のギリシャに始まり、中世のヨーロッパのイギリス・ドイツ・フランスを通り、20世紀以降の話にまで進むというような、恐ろしく広い射程のことを扱っている。これがフーコーのひとつの魅力で、フーコーのおもしろさっていうところでもあると思うんですけども、それをある程度圧縮して説明するっていうのが、果たしてどれだけできるのかというのが、今回の一つのテーマでもあり、フーコー理論を扱うことのそれこそ問題性、限界でもあるっていうのが僕の問題提起に近いようなもんなんですけどね。これはどういうことを言ってるのかっていうのは追々、ふんわり掴めるかな? という気がします。
本読書会の目的
特にコロナウイルスが去年から世界的に大流行したことで、フーコーの議論がいま脚光を浴びています。これはおそらく、今日ここに参加していただいているような方だったらある程度は共有できることなんじゃないかなと思うんですよ。つまり、去年の段階でも朝日新聞がフーコーの特集組んだりとか、あるいは研究者レベルで言うと、今年の春に『フーコー研究』という恐ろしく分厚い本が京大から出版されています。千葉雅也などの書き手が多く参加していますね。
新刊本で17000円って恐ろしく強気な値段で出してるんですけど、あるいはそれ以外にも、もっと読みやすいような朝日選書とか、あるいは岩波の新書とかでもフーコーのタイトルに関した本が数多く出版されています。ここにはコロナウイルスという背景がある訳です。
その中でもとりわけ注目されてるのが、『フーコー・コレクション6』で扱うような「生政治・統治」あるいは「生権力」とかって言われるような議論なんですね。この本では「生政治・統治」をベースにしてるいる論考を集めている訳ですけど、フーコーはその他にも様々なことを論じてるんですね。
例えばフーコーの研究者としての出発点は、心理学なんです。しかも実験心理的な方向から入っている。あるいは、その先で行くと、文学論なんかもやってる。レーモン・ルーセル(Raymond Roussel 1877年1月20日 - 1933年7月14日、フランスの小説家、詩人)という文学者を凄くフーコーは気に入っていて、その本も書いています。
それから『狂気の歴史』なんかだったら、中世の史料を用いて大変に精緻な議論を展開している。それから『マネの絵画』では、マネの絵画から表象を分析しようとしている。あるいはもっと有名なところで言ったら『性の歴史』ですよね。セクシャリティの問題に関しても、当然深い知見を持って色々発信している。とにかくフーコーっていうのは何にでも一枚噛んでくる人なんですよね。色んなところに名前が出てくる、まさに「知の巨人」と言えると思います。
だからこそ、現代の様々な問題をフーコーの道具立てで斬れるように見えてしまいます。例えば去年、コロナを「生政治」的な観点から斬る本が出版されました。
しかしそこで言われている「生政治」っていうのが、やはり非常に曖昧なんですね。「生政治」ってバシッというと、何かを斬ってるような感じがするんですが、果たしてそれは本当に斬れたことになるのか?つまり何にでも斬れる刀を使って物を斬ったとしても、斬れたことにはならないんですよね。そのことをフーコーの議論に多く思う訳です。だからこそ丁寧にフーコーの議論をそれぞれ、細かく見ていくっていうことが必要なんじゃないのかという考えが念頭にあります。
さて、今回の読書会では、この「生政治」や「統治」という使い勝手が良い道具を再考します。現代社会を読み解く道具としてのフーコー理論/言説を見ていきましょう。
ミシェル・フーコーの生涯
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