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デザイナーと編集者の融合 _ 1/ ある日のきっかけから、未来を考える

先日、あるトピックスが自分の興味を強く惹きつけた。
それは、TAKRAM RADIOをPodcastで聴いていた時の出来事であった。

そこでの話は、TAKRAM社の新メンバーとして雑誌社から新加入したある編集者の紹介をしたシーンであった。
彼の経歴は雑誌「暮しの手帖」、「WIRED」を経ての加入で、その編集者としての経験を活かしての事であった。

これを聴いた時にようやくこう言う時代が来たんだなぁと。

思い返せば、自分がデザイナーを目指して入社試験を受けたのが20数年前である。
その時の面接で、ある質問に答えた時の雰囲気を思い出した。

■その時の再現

当時私は、スポーツウエアのデザインを志し、ある会社の面接を受けていた。
私は幾つかの質問に答えていたが、ことごとく受けが良くなく、かなり劣勢な雰囲気であった。
面接者は、3人でその内のA氏、B氏には尽く呆れられていた。
その質問を少し紹介すると、

 面接者A: 君が尊敬しているデザイナーは?
 自分   : ヴィクターパパネックです。
 面接者A: それはどなたですか?
 自分   :「生きのびるためのデザイン」を書かれた
                 オーストリアのデザイナーです。
 面接者B: 君はファッションデザイナーとか
                興味はないのかね?
 自分   : 興味は有りますが、尊敬するデザイナーは
                パパネック氏です。
                デザインする上で社会的な影響を考える
                必要がある事を私に初めて教えてくれたから
     です。
 面接者A,B:。。。。。

 面接者A:君が将来なりたいデザイナー像は?
 自分  :シンクタンク的な構想ができる
                  デザイナーです。
 試験官A ,B: 。。。。

その頃、デザイン業界でコンセプチャルデザインという概念は、まだまだ普及しておらず、ほとんどの芸大では、その様な授業がない時代である。
私の答えている意図は伝わらない訳である。

私は、手応えがないままその後の実技試験を受け、
自信はなかったが、自分に嘘をつかず試験が終わった事に後悔はなかった。

結局その試験の結果は、面接者C氏の目に留まり採用となった。
面接者C氏は、デザイン室 室長であった。
前職はアメリカ ロサンゼルスでデザイン製作をしており、コンセプチャルデザインを理解されていた方であった。

余談であるが、その後そのC氏よりある言葉を頂いた。
それは、「君を将来ディレクターとして育てるつもりだ。業務は厳しくなるが、どうか?」
私は、迷わず「はいっ」と答えるもその後の業務がかなりのモノとなった事は、ご想像できるのではなかろうか。
デザイナーとして業務であるスケッチやレンダリング製作、プレゼンボードの準備、そしてそれとは別にコンセプトメイキングに必要な新聞記事などのスクラップを作製したりと、当時の同僚の2倍近くの業務をこなし、毎晩帰路に着くのが終電を迎えていた。そんな新人時代であった。


話は戻るが、私は当時デザインとは最終的に形を提案するものであり、その前の段階でフィロソフィーの形成が必要と考えていた。
そのフィロソフィー無くしてブランドのアイデンティティや各プロジェクトにおけるコンセプトメイキングはないと。

当時は、絵が上手い事が優秀なデザイナーと考えられており、ジョブスの様なストーリーメイキングを構築するタスクは、デザイナーの仕事ではないと考えられていた。

ストーリーメイキングには、数年先を見越したライフスタイルの創造力が必要であり、そしてそれを語るに必要とされる哲学や社会学が背景に備わる必要がある。

その様な思考的視点は、当時その他の会社を見渡しても皆無に等しかったのではなかろうか。

■昭和から平成にかけてのデザイン動向

今回のエピソードの可能性を語る上で、もう少し日本のデザインの歩みを整理しておきたい。
次に語るのは、工業製品を作り出してきた大手企業の仕組みを中心に考察する。

日本のデザインは、コンセプトやフィロソフィーに目を向けず形の良し悪しを吟味する傾向にあり、売れると言う結果のみを求めた。

その結果、欧米のトレンドの後追いが多く、そのプロセスが売れると言う結果を高確率で導く方法であり、
そこにオリジナリティーや存在価値を見出そうとするデザインマネージャーの姿は、今現在も往々にして無い様に思われる。

特に平成に入り効率化やスピードを求められる時代になり、思慮深く考えられたアイデアは求められない傾向が増した。
スタートからいかに短期間で形にし、オリジナリティの追求と言ったブランディングは、言葉だけが先行し中身はトレンドを追っかける傾向は続いていると思われる。

■消え去った家電業界、そして。。。

昨今、日本の家電メーカーの製品が話題になる事はほぼ無くなった。
昭和の繁栄の象徴であったテレビ、冷蔵庫そしてDVDデッキなど、その製品価値は海外でも評価が高く、私が海外に行った際も日本のオーディオ機器は凄いと言われた事を今でも記憶している。

では、その家電製品は、どこに消えてしまったのか。

韓国や中国製品の台頭である。彼らの技術は、日本の物とほぼ同等のクオリティで作られ、かつ安価だ。

もともと日本の製品力は、その技術力を買われていた。
それは、戦後焼け野原から経済大国まで発展してきた過程で得た逆転の発想であった。。。

※ここまで読んで頂きありがとうございました。
 日本の技術力はどの様な視点から生まれたのか、
 そしてその先にあったものとは。

 次号では、もう少し時間を頂き、
 次の段階を考察したいと思います。
 ご興味が有りましたら、お立ち寄り下さい。

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