見出し画像

青木とスクールドッグの物語~番外編~

今回は少し犬の話を逸れて、最近の私の身の回りで起きた話をしたい。
15年間お世話になった学校現場を離れて、もうすぐ1年が経とうとしている。長かったような、早かったような。。。

そんな中、3人の教え子が会いに来てくれた。教員をやっていた身にとっては大変ありがたいことだった。みんな本当に素敵な青年に成長していたし、私自身がたくさん学ばされた。

ある教え子は、この春から大学生になる。希望の大学も学部も決めた際に、父親から「そんな学部に行くのは許さない。負け組になってしまうぞ!」と。
「負け組」とは何なのか?自分のやりたいことや夢に向けて行きたい学びの場が、周りに比べて偏差値が低いことで、「負け組」への入口となる?本当にそうなのだろうか…

昨日は、担任をしていた時の保護者から連絡をいただいた。「先生、うちの息子が学校にいけなくなって… でも、部屋で必死に何かに取り組んでるんです。あの子、何かやりたいことがあると思うんです。」学校で課される無意味な課題や学びより、彼は今の自分が進みたい世界を取ったのだと思う。中学生の時に出会った彼の顔が蘇った。あの子ならきっとそうだろう。

大学を休学して、会いに来てくれた教え子もいた。彼は1週間ほど滞在して、私の事業の手伝いや畑の作業、近所の方との交流に積極的に関わってくれた。彼は学生時代から周りの環境にあわせ、自分を偽り、そして大学を休学していた。本当の自分とは何か?本当は何がしたいのか?当時、担任をしていた頃の彼とは違った一面が垣間見えた。いや、むしろ彼の本当の姿を私も含めた大人が見てあげていなかったのかもしれない。つくづくそう思う。

今の若い人は、色々なことを感じ取りながら生きている。そして、本気で自分と向き合おうとしている人が多いと感じる。なぜなら、私たちが生きた時代とは明らかに違った世界を生きているから。学歴だけでは生きてはいけない。個性を出すことが強調される。かといって、学校現場は以前とさほど変わりはない。
大人たちの言っているダブルスタンダードをとても冷静に見て、考えている。

今、私たちは次の世代に何を残して、どこへ向かうべきなのか?
どこかで聞いた
「全人口比でたった10%ちょっとに過ぎない子どもは、私たちの未来の100%」
この言葉が思い起こされる。


゚・*:.。..。.:*・゚ さいごに ゚・*:.。..。.:*・゚

私たちは、既存のルートから飛び出し事業を始めた。都市部から田舎へ。収入も大きく減らした。ある人にはそれは「負け組」の選択なのかもしれない。しかし、私たちは未来を作る仕事を選んだ。そのことだけは胸を張って言える。そして、そんな無謀な挑戦をする仲間が案外多い。そんな世の中はまだまだ捨てたものではない。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


画像1

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?