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体癖話まとめ(96)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「この書き方はシリーズ化しよう!」と思って最初に三種についてツイートすると割といいねが多いのに回を進めるにつれていいねが少なくなってくる【体癖話】をまとめたシリーズ、第96弾!

今回も体癖ツイートにコメントつけてお送りいたします。

来週からいよいよ…
体癖診断士のリアル講座が始まります。
東京・大阪・中部。
3拠点での開催です。

「え?なにそれ?いつ募集したの??」
と思われたかもしれませんね。
実は、ソシャフィア公式LINEアカウントで、「体癖診断士に関するアンケートにご協力ください」で反応をしてくださった方にのみ、体癖診断士用のLINEアカウントにご登録いただいて、そこから一日セミナーをやって、その一日セミナーの中で今回の講座を募集したのです。

それでも3拠点…
「体癖診断ができるようになりたい!」というニーズの濃さを実感しました。

とはいえ、今回の体癖診断士の講座(”体癖診断アカデミー”といいます)は、0期。
1期に向けての”講座を作るための講座”なのです。

純粋にお体からのみで体癖を診断する体癖診断が…
どうやったら全員同じレベルでできるようになるか?
お体を触る仕事をしていない人が、どうやったらできるようになるか?
皆様が体で体癖を診断するのに分からない点はどんなところか?
そういったことを私ソシャフィアが理解し、ブラッシュアップをして完全無欠の1期をするための0期の講座をするわけです。

かかる日数は、一年。
果たして一年も必要なのか?
あるいは一年も勉強する必要はないのか?

20年近く整体をやっていて、全てのお客様に体癖診断をやっている私には、もはや分からない。
初心を持ってやっているつもりでも、無意識で、なにも考えなくても、体が体癖を診断する方に動いてしまう私には、初学者がどういったことに引っかかるのかが分からなくなっているのです。

そんな状態で「この講座を受ければ、絶対に体癖診断できるようになるよ!」とは、八種九種の私には言えないのです。
かつては五種的な人に乗せられて「3日で一生食べられる技術ができるようになります!」という協会ビジネスの片棒を担いだこともあったりするのですが、それはやっちゃいけない。
体癖という技術がダメになってしまうから。

そんなわけで、今の私に提供できる体癖診断をすべてをお伝えする講座が、来週から始まるわけです。
全国で体癖診断士が活躍する未来の、第一歩が。

体癖が全国に広まれば、人と人とが理解し合い、認め合える社会が来ると、本気で信じています。
そこはイジメやパワハラやリスカや差別や死ぬ死ぬ詐欺や過保護や嘘やワガママや怒りなどの代わりに、愛や自由や勇気や楽しさや融和や自律性や平和や希望や真実や喜びなどに満ちた社会です。
そのために、八種九種の私ができる最大限のことをします。

「診断士にはなろうと思わないけど、自分の体癖を知りたい!」というあなたには、東京・赤羽のソシャフィア体癖院がオススメです( ^ω^ )

診断よりは正確でないけど、コミュニケーションの中で相手を見抜くなら、明日(11/24)開催のオンラインセミナーがオススメです♪(´ε` )

というわけで、頑張りすぎて燃え尽き症候群と診断されそうな(?)八種九種のコメント付き【体癖話】をお楽しみください!

『ファウンダー』で主役のレイ・クロックを演じているマイケル・キートンは、私のヒーローなのです。
近年では『スパイダーマン ホームカミング』の敵役をやっていましたが、1989年の『バットマン』(ティム・バートン監督)では主役のバットマンを演じており、その『バットマン』こそ私が映画館で初めて観た映画だったのですね。

ヒーローモノのくせにダークな世界観で、シビレました。
コウモリの格好をして敵と戦っているのに、やたらと暗い。
「このカッコよさは同年代のキッズには分からないだろう!」なんて思っていましたし、当時から私は八種っぽかったのかもしれませんね(笑)

さて、マクドナルド。
アメリカの食品業界というのは、『スーパーサイズミー』というひたすらマクドナルドを食べるドキュメンタリー映画を見る限りでは、ひたすら五種的な世界なようですね。
まさに五種界。
利益のためなら何でもやる。

裏切りや嘘は当たり前。
それを下請けやら同業者にだけでなく、消費者にもやっているわけですから、タチが悪い。

健康でないものを「ヘルシー」とか言って売っているわけです。
暗示にかかりやすい一種や二種なら「これは健康的な食べ物です」と言われて信用して食べたら本当に健康になるのかもしれませんがね。
上下型は脳のはたらきがモロに体に出る体癖ですし。

最近はアメリカでは揚げ物のことを「フライ」とは言わないそうで。
「クリスピー」と言うらしいですね。
それも食品業界の販売戦略で、「フライ」という言葉はすごくイメージが悪いのだそうです。
いかにも油がギトギトで、いかにも健康に悪そうだから。
アメリカでも健康志向の人は増えていますから、フライの名がついた食べ物の売上は下降傾向と言われています。

そこで、「クリスピー」。
何だかサクッとしているイメージがありますし、重くなさそう。
私が日本人なせいか、そういう印象を持つのかもしれませんがね。

「フライ」だと売れませんが、「クリスピー」だと売れるのだそうで。
私と同じように、「クリスピー」にあまり健康に悪いイメージを持たない人がアメリカにも多いのでしょう。
その実態はフライと同じなんですけどね。
五種とか七種とかの体型をしていて堂々としているように見えるアメリカ人も、五種的な食品業界にコロッと騙されているわけです。

でもね、私もかつて考えたんですよ〜
例えば「がん」という病気は、いかにも強そうな名前じゃないですか?
強くて、治らなさそうなイメージがある言葉ですね。
それを「ぽちょむきん」とか「にゃんちゃむ」とかマヌケな感じの病名に変えたら、治りやすくなるのではないか?
少なくとも「あなたは、がんです」と宣告されるよりも「あなたは、ぽちょむきんです」と宣告された方が、深刻度は薄い。

名前の印象って、私たちのイメージに影響を与えるんですよね。
そして五種はそれを利益に結びつけるのです。

フランスは、少数のエリートが他の人たちを導く国なのだそうですね。
めっちゃ一種的(笑)
あ、日本もそうか。

一種と言えば「自分はOK、あなたはOKでない」。
まぁ十分にストロークがあればそんなことはありませんがね。

OKな私が、OKでないあなた方を導いてあげる…
エリートにはそんな人も多い印象があるのですが、どうでしょう?

八種の私としては、そういった自覚やストロークなき一種がだいぶ苦手でした。
言葉の端々に見下されているような感覚を覚えるのですね。
本人にはそういう意図はない場合の方が多いのでしょうけど、八種性がそうしちゃってたんでしょうね。

見下された雰囲気を感じると体をねじって身構えていたのですが、体癖を学んでからは「あぁ、ただの一種なのね」で済むようになりました。
相手の体癖が丸出しになっているだけなんだから、自分には関係がない。
それは相手の都合であって、私の都合ではないのです。
ただ、こちらが今後付き合う/付き合わないという選択が委ねられているだけで。

そういう選択ができない場合、例えば職場の上司が自覚&ストロークなき一種だったりするときは、大変でしょう。
八種でなかったとしても。

二種は”「やれ」と言われたことをできない自分”に意識が向いて胃が痛くなるでしょうし、
三種は真面目にならなきゃいけない=自分らしくできないでしょうし、
四種は一種の表情の少なさに「嫌われているのかな」と思うでしょうし、
六種もちゃんと働かなきゃいけないような気がするでしょうし。

この中では三種は別でしょうが、「自分はOKでない」という心理状態になりやすい体癖の人には、一種はその”OKでなさ”を見せつけられているような感覚になって、自覚&ストロークなき一種的な人が苦手な人が多いかもしれません。

一種はブラックな冗談が通じるので、友人としては話しやすいんですけどね〜
一緒に仕事とかすると、「う〜ん」と思うような人も…
口ばっかりで何も行動しなかったりもするし。

六種のブチ切れ覚醒モードは、すごい爆発力。
「え?あんな穏やかそうで静かな人が?」と思わせる人のほとんどは六種なのではないでしょうか?

ぼっちくんがブチ切れて、クラス内では「あいつはヤバイ奴」という噂で持ちきりになりました。

何をしでかすか分からない奴。
昨日一人で本を読みながらニヤニヤしていたぜ。
電車の中で独り言を言ってて気味悪かった。
彼がブチ切れる前に、たぶん古本屋で買ったであろう『完全自殺マニュアル』を読んでいたのもその噂を後押ししたのです。

クラスの人とも何も話さず、何を考えているのか、本当に分からない人でした。
先生が授業中に「じゃ、〇〇くん(ぼっちくん)、この問題を答えて」と言われても、ボソッと何かを言うだけ。
ぼっちくんは学校がある市の隣の隣の市に住んでいたので、同じ中学の人がいなくて彼に関する情報を持っていた人がいなかったのです。
先生方も最初のうちは「もっと声を大きくして答えて」とか言っていたのですが、それでもボソッと答えるのであきらめるようになりました。

完全に謎キャラ。
六種が非常に濃い人の中には、そういう人もいるのでしょう。

六種といえば承認欲求を満たすために(集注するために)、突飛なことを言ったりやったり、独特な人だと思ってもらえるようにする人も多いのですがね。
ついでに、イジられると喜んでいるような顔を見せる人も少なくない。

ぼっちくんの寡黙さは、六種に二種や九種が複合していたのかもしれません。

七種と八種は、基本的には相剋の関係と言えるでしょう。
潰し合う関係ですね。

ですが、同じ目的を持っていたりすれば、話は別。
その目的が、自分自身のプライドややりたいこと以上に大切であれば、割と協力できるのではないかと思うのです。

そして何より、ストローク(=愛)でしょう。
自分ではなく相手にフォーカスして、お互いを思い合えば、体癖同士の相性も超えていくのではないかと思います。

っていうか、ストロークがあると体癖による言動の特徴は、だいぶ薄くなるように思うのです。
言動だけを見ると何種だか分からなくなり、それこそ体の動きや体の形からしか予測できなくなってしまう。

というのは、私が八種だからかもしれませんね。
八種ってほら、良い部分より良くない部分にフォーカスしがちだから(笑)

「お、あの人は論理的な話し方をするし、一種があるかも」とか「エネルギッシュで行動的な人だ。五種かな?」とか、そういった感じで見られればいいんですけどね〜
自分の体癖が私の目を曇らせている(笑)

でもまぁ、相手のストロークが十分であれば、相手が何種かなんてどうでもいい話なんですよね。
相手が望ましくないことをやらかす心配も少ないし、ということは何も対策する必要も少ないわけで。

それでも、何かを販売する時などは、ストロークのある相手でも、その人の体癖を見抜けた方が売上にはつながりやすいですけどね。

問題なのは、四種と十種。
どちらもストロークがあるように見えるのです。

四種はこちらに合わせて話をよく聞き、否定せず、こちらが気持ちいいようにコミュニケーションをする。
十種は親切で、面倒を見てくれて、包容力があって、こちらに尽くしてくれる。

その行動だけを見れば、まさにストローク。
ですが、その根底にあるものが「自分が嫌われないように」という自分都合の心配とか「この人は可哀想な人」という自分都合の憐憫だったら?

”自分はOKでない”とか”相手はOKでない”という前提が入った時点で、それはストロークとは言えないのです。
ストロークとは、”自分もOK、相手もOK”という前提の上で、自分や相手に接していくこと。
自分も相手も「良き存在だ」と信じていることなのです。

ストロークのある四種は自分へのストロークも十分ですから、自分のために断るべきことは断ります。
ストロークのある十種は、相手が面倒を見られる存在でなくなるように、相手を信じて見守ることもします。

相手の行動だけでストロークがあるかないかを判断するのは、なかなかに難しいのですね。
まして、自分にストロークが欠けているときは、目が曇って判断できなくなる。
四種の女性が口説いてくる素敵な五種の言葉を真に受けて騙されるようなことが起こってくるのです。

まずは自分にストロークが十分であるかどうか?
不思議なもので、ストロークがある人にはストロークがある人が集まってくるのです。
体癖関係なく。
逆もしかり。
類は友を呼ぶってそういうことなのではないでしょうか?

人の良し悪しを決めるのは、体癖よりもストロークなのではないか?と私は思うのです。

今週のオススメnote

ブチ切れたら、愛が見えた(有料note)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!!

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