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体癖話まとめ(77)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに何も思いつかなくて以前書いたnoteからネタを引っ張り出してツイートしている【体癖話】をまとめたシリーズ、第77弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。

今日は心理学の基礎セミナー。
来週は体癖の見抜き方セミナー・言動編。

体癖は、心理学の土台があると非常に理解しやすい。
体癖各種の心の流れや感受性を洞察したり、各種の自我状態を見抜くのが簡単になります。
そんなわけで急遽、心理学の基礎セミナーを企画したのです。
思いつきだけど(笑)。

心理学と一口に言っても様々な心理学がありますし、どの心理学でもよいかと言えばそうでないのですが、やはり昔の心理学には優れているものが多い印象です。
先人たちにも深い悩みがあったのでしょう。

とはいえ、古すぎる心理学だとすでに学術的に否定されているものもあります。
心理学は科学ですから、研究が進めば常識も覆されるのですね。
そんな中であったも、淘汰されずに残っている学問は、人の真理というか、多くの人に見られる傾向を確実に捉えているのでしょう。

体癖は野口晴哉先生が戦後に発見した技術で、なかなか歴史が長いですね。
1956年、晴哉先生が45歳くらいのときに文部省(現在の文科省)の承認を受けて団体を設立しており、そのときにはすでに体癖の基礎はできていたのでしょう。
というより、その団体は晴哉先生が体癖研究のために設立されたそうですから、ある程度は研究されていたものと考えられます。

単純計算で、約70年。
技術としてはかなり長命と言ってもよいかと思います。
たいていの技術は、世に残らず失われます。
心理学の世界でも、新しいものが出ては消え、出ては消えの繰り返しですからね。

体癖は、70年残るくらいは人の真理を突いており、現在はまだ整体師を中心に施術の現場で活用されるにとどまっている印象ですが、心理学が精神医療の現場から世に広がっていったように、これから様々な現場で使われていくでしょう。
私もその一端を担えればいいなと思いながら、日々施術や発信を頑張っています。

そして、まずはちゃんとお体から体癖診断ができる人を育てていきたいと思っており、8月6日(土)にその第一弾のセミナーを開催します。

開催1カ月前にかかわらず、お申し込みページなどはまだできておらず、仕上がり次第noteでも紹介しますので、ぜひともチェックしてみてくださいね!

「人の体癖より、まずは自分の体癖!」と思っていらっしゃるなら、”隣がうるさくてごめんなさい価格”を延長せざる得なくなったソシャフィア体癖院がオススメです(^^♪

7/13のセミナー、とっくに定員オーバーしておりますが、お受けできます(^^)/

というわけで、いずれは後世まで残ることになる(?)コメントつき【体癖話】をお楽しみください!

かつて、心理学のセミナーに参加したときに「オレって視覚優位(五感のうち視覚をよく使うこと)なんだけど、奥さんは聴覚優位だから、オレのこと見てしゃべってくれないんだよね」という受講生がいました。

その人、こちらをガン見しながらそう言ってくるのです(笑)。
「視覚優位だからじゃない!ガン見してるからだよ!!」と言ってあげたかったのですが、面白かったので言わずにいました(笑)。
九種だったのかもしれませんね。

視線というのは、ビームです。
視線を向けられると、見つめている本人がどう思っていても「熱い視線を向けられている」などと、その視線に何らかの意味を含んでいるのではないかと勘違いしてしまいますよね。
見つめ合うと素直におしゃべりできないのです(パクリ)。

が、見つめてしまうのは九種の無意識の体の動きですから、見つめられた側が自分の心を変えていくしかないわけです。
「見つめないでよ」と言われても、九種ならどうせ見つめてくるのですから。

ガン見してくることだけをもって「この人は九種だ」ということはできませんので、他の要素に目を向けていくとよいですよね。

太ももは長いか?
体幹がしっかりしていそうか?
体は真っすぐか?
動きは速いか?
などなど、体の動きで。

あるいは、言動にも注意を払っておくとよいですね。
「なんでなんで?」が多くないか?
話がやたらと長くないか?
興味があることは食いつくけど、そうでないことは全くの無関心になっていないか?
などなど。

九種かもしれないことが確認できたら、「このガン見は九種なんだからしょうがないや」と割り切って、見つめ合いながらお話をすることもできるようになるでしょう。

相手を変えようとするより、自分を変えた方が楽だし効率がいいですね。←前後型に向けました。

五種は頭の動きと腕や肩の動きが密接にリンクしているのではないかと思えるくらい、腕をクルクルしますね。
私も五種相手にいろいろと実験しました。

プロペラマン(話すときにヘリコプターのように手をクルクルする五種の心理学講師)に、プロペラが止まった瞬間にハイタッチしたら話さなくなった話は過去の『体癖話まとめ』で書いた気がするので、別の人の話を。
まぁ似たような話ですが。

その人は両方の前腕をクルクルさせて話す女性の方でした。
ちょうどLUNA SEAなどの90年代のヴィジュアル系のライブで観客が行う”手扇子(てせんす)”のような動かし方をして、手が下に行ったら軽くバウンドするような、独特な手の動かし方をする方だったのです。

で、性格の悪い私は、お話をしている内にその手扇子を止めてみたくなり、ある方策を思いつきました。

心理学の基本なのですが、相手に同調(ペーシング)して、無意識に「この人は自分の仲間だな」と認識してもらうと、相手がこちらのペースに同調して自分と同じことを行うようになる、という技術があります。
それを実践してみたのです。
果たして、手扇子を逆に回すようになるのかどうか?

最初の内は、心理技術の教えるように、五種の女性の手扇子と同じ方向(前回転)に動かして話をしていました。
調子を合わせていると、相手も気分がノッてきたのか、手扇子が激しくなる。
LUNA SEAで言えば『DESIRE』あたりの速くて激しい曲の手扇子。

「お、さらにノッてきたな」と実感した私は、「よし、今なら」と、その方の手扇子と逆の方向(後回転)に手扇子をしながら話し始めました。

すると…

その五種の女性は、手扇子をしなくなったのです(笑)。
そればかりか、今まであんなにノッていたのに、話も少ししかしなくなり、心なしか表情が曇ってきたような…

その方が「こいつ、私の手扇子を逆の方向に回しやがって…」と気づかれて気分を害したのか、あるいは手扇子をしなくなったことで頭の回転が鈍って少ししか話ができなくなったのか分かりませんが、ちょっと気まずい雰囲気でしたね(笑)。

五種が手や腕を回しながら話をするときは、必ず特定の方向に動きます。
多くは前回転・右回転ですが、まれに後回転・左回転の人もいます。

人の感情というのは特定の方向に回転していて、ポジティブなら前、ネガティブなら後、あるいは前と後が逆、ような感じにある程度決まっていると思われます。

専門的な用語で言うと”身体感覚のサブモダリティ”の一つで、五種のクルクルもこれと関係しているのではないかと、研究しております。

『上を向いて歩こう』は『SUKIYAKI』として1963年にアメリカで大ヒットしたそうですね。
全米一位、大快挙です。

メロディも馴染みやすいですが、歌詞がいい。

一人ぽっちの夜に、つらいことがあって涙が溢れそう。
上を向いて歩いてたらを昔の良かった時代が思い出されるけど、それでも悲しみが止まらない。
幸せは、はるか遠い空の上…

要約すればそんな内容の歌詞でしょうか。

そりゃ深い悲しみの中にいたら、上を向いたくらいでは感情は治まらないですね。
泣きたいときは泣けばいい。

ですが、他に強い感情がなく、”凪”の状態であれば、上を向いていると良いアイデアがどんどん出てくることに気づきます。
体構造的に背骨の生理的湾曲が少なく頭が上を向きやすい一種の妄想癖は、そういうところからも出ているのですね。
二種の心配や思考も、下を向きやすいということが原因の一つになるでしょう。

そこにさらに、視線を上に向けてくると、もっとアイデアが出てきやすくなります。
眼球は視神経を通して脳に直接接続していますから、目の動きは脳の動きに連動するのです。
「目は脳の一部」と考える学者もいるようですね。

人に「昨日の夜、何を食べましたか?」と聞くと、ほとんどの人の目が動きます。
上を向く人もいれば、左右に向く人もいます。
それで思い出せなければ、下を向いて「何だったけな?」と思考に入る人もいます。

これは心理技術的には「アイ・アクセシング・キュー(視線解析)」と言って、目の動きから五感のうちどの○覚にアクセスしているかのヒントになるのです。

左上を向けば、視覚的に思い出している。
右上を向けば、脳内で視覚的にイメージを作り出している。
左を向けば、聴覚的に思い出している。
右を向けば、脳内で聴覚的に音声を作り出している。
左下を向けば、触覚と感情(=身体感覚)にアクセスしている。
右下を向けば、自分と自分が脳内で対話をしている(思考に入っている)。

このアイ・アクセシング・キューは、基本的にはカウンセリングやコーチングなどの対人補助の現場で使われるのですが、自分をコントロールする方法としても活用できるのです。

アイデアがほしいときには上を向いて、視覚的なイメージを膨らませたり…
文章を書いていて言葉が思いつかないときは目を左右に動かして言葉を見つけたり…
深く考えたいときには下を向いて、自分と自分に対話させたり…
そんなふうに活用できるのですね。

他にも、新しく知ったことを脳に記憶させたり、音楽を作る人が頭の中で作曲をするのにも使えたりするのですが、話が長くなり専門的になるのでまたの機会に。

相手が首を左右に傾けると、なぜkawaiく感じるのか?についてはまだ研究段階で、外国人でも同じように感じるかどうかも分かっていないのですが…

ここからは私の妄想話(笑)。

おそらく、はるか昔、原始の頃から人類は首を傾けるのがkawaiiということを知っていたのではないか?
三種や四種のように首を傾けている人は共通して皆kawaii感じで、遺伝子レベルで「首を左右に傾けている=kawaii」ということが刷り込まれていることが考えられます、考えられます。←重要なことなので二回w

三種はご飯をたくさん食べるために権力者に媚を売って食を得て、四種は敵(=ご飯を食べさせない者)を作らず庇護者を作るために「自分なんて大した人間ではないですよ」と演出しkawaiげをアピールしていた。
で、たまたま三種も四種も首が左右に傾いていたものだから、無意識のうちに「kawaii=首が左右に傾いている」ということが刷り込まれていった。

まぁ、妄想話です。
が、体癖からくる言動が私たちの遺伝子という無意識のプログラムに関与していることは、十分に考えられるわけです。

相手に上から見下されたら「偉そう」と感じるとか、話をしている相手が体を前のめりにすると「お、話にノッてきたな」と感じるとか、誰が教えたわけでもないのに、私たちはそういった反応を無意識にしてしまいますよね。

もちろん文化や環境によって反応の様式が変わる面もあるのでしょうが、少なくとも人類で共通している部分は、体癖的な遺伝も関係しているのではないかな、と私は思うのです。

風邪と体癖に関しては、晴哉先生の『風邪の効用』(ちくま文庫)を読まれるのが一番良いと思います。
「風邪は治すもの」という見方から「風邪は健康のために経由するもの」という見方に変わるでしょう。

現代人は、多くの人が風邪を引くと風邪薬を飲みますね。
症状が緩和されるので「治った」と感じるわけですが…

整体師としてみると、「治っている状態」と「症状が出ていない状態」というのは、必ずしも一致することではないのです。
少なくとも、風邪薬を飲む前と後とでは、背骨のゆがみ方はかなり違っています。

普段は胸椎8番がゆがんでいる四種の人の背骨が、胸椎11番にゆがみが出ていたりします。
胸椎11番は八種ならゆがんでいてもよいのですが、四種がそこがゆがんでいるのは、不自然。

骨盤の開閉にしてもそうです。
九種や十種だけでなく、人は誰でも骨盤が開いているか閉じているかがあり、三種と四種の左右型でなくても左右の骨盤が開いている側の脚が短くなるのですが、風邪薬を飲んだ後では骨盤が開いている側の脚が長くなっていたりするのです。
これは身体均整法という整体術では、「治りづらい人の体」なのです。

つまりは、風邪薬を飲むと一時的に体のゆがみ方が変化するわけですね。
体が風邪薬をうまく処理しようとしてゆがんでいるのですから、ゆがむことそのものは悪くないのです。
が、本来とは違う方向に”ゆがませてしまう”ことを考えると、風邪薬は風邪を「治す」ということは言えないわけです。

ただ、私個人としては、仕事などで明日どうしても外せない用事があるのなら、飲むのもありだとは思います。
その「外せない用事」というのがソシャフィア体癖院での体癖診断であれば、風邪薬を飲むとちゃんと体癖を調べられないので別日に移動してほしいのですが(笑)、いろいろと事情がありますもんね。

飲むのは緊急時にとどめて、緊急でないときはゆっくりと眠ったり、好きなことをしたりして、「今、体調が悪い」ということに意識がフォーカスしないようにすれば、健康であれば風邪はだいたいは自然に抜けていきます。
しかも、風邪を引く前よりも元気になるんですよね~

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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