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体癖より大切なこと

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人は体癖では割り切れない

体癖は様々なことを教えてくれますね。

人と自分の違い、人とうまくやるための方法、どのようにして生きていけばいいか?の指針…

整体師やカウンセラーであれば、それ自体がお客様の問題解決に貢献する技術です。
ビジネスマンなら、集客やリピートにも役に立ちます。

あるいは、漫画や小説などの物語を書く仕事や趣味をしている人、人物を絵に描くイラストレーター、人物が立ったり歩いたり座ったりするのを動かすアニメーターなどは、体癖を知っているかいないかで、リアリティに大きな差がつくでしょう。

専業主婦であっても隣の奥様と仲良くなるのに役に立つし、学生だって自分にあった勉強の方法を探すのにも役に立つ。

”上”に立つ人も、”下”にいる人も、誰かの親も子も、誰かの恋人も友人も、この世界に生きて生活している人であれば、ほぼすべての人に何らかの形で貢献することのできる体癖という技術。

…ですが。

人は体癖だけで割り切れるものではありません。

同じ四種でも、良い面ばかりが見える人もいれば、望ましくない面ばかりが目立つ人もいる。
気遣いに満ちた人もいれば、人に依存してばかりの人もいる。

それもそのはず。
生まれ育った環境があるからです。

蝶よ花よで育てられた三種と、虐待を受けて育った三種とでは、内面も外面も大きく違います。
ステータスが高いばかりで冷め切った家庭で育てられた五種と、貧しいけれど助け合って生活していた五種を見ても、同じ五種とは思えないくらい異なっています。

すべてを体癖で割り切ろうとすれば、野口晴哉先生による体癖という素晴らしい発見は、ただのタイプ分けに堕します。
自分にレッテルを貼り、人を少ない要素で決めつけ、自他の可能性を閉ざすことになるでしょう。

愛の欠けた十種

「十種は開閉型で愛憎の感受性があるから、愛に満ちている」

そうではありません。
愛に満ちている十種もいれば、自分の都合で”人のため”という名の”自分のため”をする十種もいるのです。

ただ、十種はよく人を助けますから、他の人から見ればどちらも同じように愛情が溢れているように見えるときはあります。
助けてほしいときに助けてもらえば、どの体癖でも相手が慈悲深い神様のように見えるようになりますね。

その一方で、助けた十種の方はどうか。
これには2種類の人がいます。

一つは「当たり前のことをしたまで」。
もう一つは「助けて”あげた”のに」。

前者は手助けが終われば「はい、おしまい」という感じで引き際もさわやかですが、後者は見返りを求めます。
それも、金品を要求するのではなく、”自分でも分からない重要な何か”を要求するのです。
「助けたお礼に○○してください」と言うのではなく。

後者が求めているのは、”愛”です。

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