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DVとは何かをもう一度考えてみたい。

今回の記事は、どうしても女性目線で書きたいと思ったので、一人称を「私」にしている。何度か私と話をしたり、記事を読んでくれた方には不思議な気持ちになるかもしれないが、ご理解いただきたい。


両親が切り盛りする喫茶店にいつもの常連客が来た。

彼女の言うところ、知り合いが再婚されたそうだ。ただとてもお金に細かくて面倒だということだ。果物も年に3回ほどしか食べることができないらしい。
それでもなぜ一緒にいるのかというと、「命の危険がないだけまし」ということだった。

ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)というものがある。以降はDVという。
かくいう私もDV(という名目上で)離婚した。
ただ、先に伝えておきたいのは、決して相手にだけ非があったのではなく、私自身にも問題があったこと。そして、相手を貶めようとはこれっぽっちも思っていないことだ。
私はただ、DVとはなんなのか?これを知りたくてこの記事をまとめている。そしてありがたくもこれを読んでくれている皆さまの意見を知りたいと発信しているだけのことである。復讐などは微塵も考えていない。それをすると同罪になってしまうからだ。
なので名前も伏せるし、問い詰められても答えるつもりはないし、私の元の夫を知っている人は口を割らないで、逆に相手を問い詰めないでほしい。(そういった人には伝えていないはずで、蛇足ではあるが。)


元の夫は癇癪持ちだった。私の弱気で自信のない言動が気に入らずしてか、深読みされてしまったり不用意に発言したり甘えた行動をすると、よく怒られたり、物に当たったりしていた。(ゲーム中に壁を殴って穴をあけたりしたこともある。)
そして怒ったとき「違うよ、そういう意味じゃなくて…」といい、彼の誤解を解こうとする。
そして必ずもって、「自分が怒っているんだからまずはごめんなさいじゃないのか!?お前のその主張は怒っている人間に通るものなのか!?余計いらだたせるだけなんじゃないのか!?」とさらに火に油を注ぐものになった。
ひどいと公道で傘をバキバキと地面にたたきつけて壊したり、キッチンのものをすべて床に放ったり。たまに背中やお腹を蹴られたり、夜の外へ荷物と引きずりだされたりした。

とはいえ、私もうつで気分の上がり下がりが激しく、家事育児すらまともにできていない現状だったので言い返すこともできなかった。


そのようなことがある度に、私は毎日マインスイーパーをしている気分になった。どこに地雷があるのか、ゆっくりと情報から探り、バツ印を付けて埋める。踏んでしまったらドカン。ゲームオーバーだ。
彼はそれでも手加減して殴っているといった。実際私も考えが甘く鬱なこともあった。そして私は(周囲からはビッチビッチと扱いを受けるが)素直な人間だった。だからこそ彼の言葉を素直に受け入れてしまった。
妊娠中に背中を蹴られようが、娘の前で怒鳴られようが、自殺未遂をしたとき死ねばよかったのにと思ったと言われようが。それを全て受け流すことができず、私は素直に受け止めた。

「お前がそうさせて、思わせているのが悪い。」

ずっと自分の中で信じてきたものが瓦解するのを感じた。暴力はいけないことだ。昔からそういわれてきたし、親からそういうものを受けたこともなかった。
けれど、それは私がいた家庭での話。新しく移り住んだ家庭ではそうでなく、新しい環境の私にはそれが正しいことなのかを問うことができる相手もいなかった。
泣きつく相手はいつもSNSで仲の良い人や、ゲームをともに遊ぶ友人ばかりだった。
そして、その人たちがどれだけ「それはおかしいよ」と言ってくれても、その言葉が欲しくても。私にはそれを許容するキャパシティーがなかった。
それよりも長い間ずっと、マインスイーパーを続けていたからだ。お前がおかしい、お前は間違っている、お前は何もできない…。そんな呪詛を何年も体中に浴びせられていた。
そして私はマインスイーパーがとても下手で、いつも彼を怒らせていたからだ。

何かある度に仲のいい人に電話しては泣いた。話し合いに立ち向かう勇気はなかった。話し合いのうちにまた地雷を踏みぬく勇気がなかった、殴られても伝える勇気がなかった。


彼は言った。「俺はうつを治した。だからお前もこう努力すれば治せる。」
私はそうは思えなかった。彼も私も、性格も環境も違ってきた人間が同じように努力して治せるものではないと思っていたし、そもそもうつ自体がなおらない病気だと思っていた。いずれどこか、何かで、フラッシュバックするものだと。
それでも言い返せなかった私は「そうだね、頑張るよ」と笑顔(のつもり)でいった。

それでも。
うつは頑張れない病気だ。私にはもはや家事すら手につかなくなっていた。娘を見るのも難しく、泣き叫び娘を安全な場所に置き離れることも多々あった。
そして辛い気持ちを吐き出せずに歌ったり、誰かと話をしていた。
でもそんな自分が一番自分を嫌いだった。何もできない自分が大嫌いだった。彼曰く、私は血のつながっていない他人で成人、娘は血の繋がった大事な子だった。
そんなわけだから、きっと彼は何もできない他人なんていらなかったんだと思った。

私が服薬自殺を図ったとき、彼は「死ねばいいのに」と思ったというし、救急車もよんでくれなかったらしい。
私が沢山のことを人に話しているのを見て「疲れたら帰宅したら媚びた声で男と喋ってる気持ちがわかるか!?」と怒られたこともあった。

それでも頑張ろうと、また話し合いをして彼のもとへ戻った。
喧嘩した後に回転ずしを食べに行った。彼は、私の大好きな「トロたく」(まぐたく)を食べながら、「やっぱり好みが合わないところもあるんだなあと思う。」そういって、もっと自分のことを理解してほしいといった。
だから情報を少しずつ日々の生活で見つけようとした。彼の機嫌を損ねないように。マインスイーパーが上手くなるように。必死だった。できないことだらけだけれど、やれることだけでも。 必死だった。
でもそれも長くは続かなかった。

ある日のことだった。私はいつものように晩御飯を作っていた。それだけでも私にとっては一つできたすごいことだったので休憩をしようとスマホを開いた。
彼は当時腰を痛めていたため、一人でゲーミングチェアに座りながら食事をしていて、娘はこたつ机でのんびりと食事をしていた。
そして私もご飯の支度が出来、彼のもとに運んだ。彼は好きな配信の画面を見ながらご飯を食べ始めた。
そして私は娘の分を準備した。一通り自分の中で努力してさあ食べようかと「ふう、いただきます」と言いかけた矢先、彼は怒り狂った。
「そんなに面倒なら帰れ!!」そう言われた。ただ一つのため息だった。
「お前の構ってアピールも、自分のことが何もできないのも、何もかもが腹が立つ、俺の目の前から消えてくれ!」そういわれた。
私はいつも疲れた顔をした彼を少しでも明るくしたくて、空気を外しおちゃらけたことばかりしていた。何もできないからせめて、と。
だけれどそれは逆効果だったようだ。可愛いのは娘だけ、私は要らないんだ。そう思った。

「週末帰るぞ、いいな?」彼に告げられた言葉はこうだった。
私は「それ、だめって言っても帰ることになるんでしょう?」と聞いた。
すると彼は「問いかけではなくて確認だから当たり前だ」といった。

週末、駅は人でごった返していた。
娘のために沢山の荷物を抱えたため、パンパンになりそうだったエレベーターを見て、私は階段で上がって待っているよ、といいエスカレーター横でスマホを見ながら彼を待っていた。
彼はなかなか来なかった。
しばらくした後、一通のショートメールが届いた。
「○○分の電車に乗りました。」
私は駅に独りぼっちにされた。

娘はいる。私はまだ年もとてもとっているわけではないからやりたいことも多くあるが、やっぱり娘は可愛い。
でも彼は荷物を沢山抱えた私を駅に取り残したのだ。娘を連れて、私を放っていったのだ。
その時やっと確信した。私は要らないということも。彼は娘のことしか考えていないということも、彼の家庭には彼と娘の二人しかいないということも。


実家での暮らしは悪くなかった。寧ろ皆がサポートしてくれる分、平和ですらあった。
けれども、僕の唯一の趣味のPCゲームという時間は全くなかった。
常に娘と一緒にいることを求められた。夜寝静まったころそっと抜け出してゲームをした。
友人と話すこともできなくなっていた。毎日が辛かった。

そして、最後の約束をもって私は離婚を決めた。


約束のきっかけをくれたのは妊娠中から私の相談を聴いてくれていた友人だった。
毎日自分が悪いんだ…自分がおかしいんだ…自分は何もできない努力しても成果なんて出ないそれならする必要すらない、そんな私に生きている価値がない殴られても蹴られてもおかしくないそれが普通。思考はコントロールされていた。
状況を見かねた彼は、私の代わりにDVセンターへと電話をかけてくれていた。
結果返ってきた返答は、「当人ではないのでこちらからはどうにもできない。暴力は警察へ、折り返しもできない、精神的につらかったり離婚を考えるなら本人の連絡が必要」とのことだったそうだ。
彼とはもう3年ほどの付き合いになるが、それはあくまでゲームやSNSを介しての話だ。実際に会ったことがあるのは2,3回のことで、そんな彼が私「なんか」のために勇気をもって連絡したのだ。
でも、その返答はこの程度だった。この程度でしかなかった。

確かにこういった機関にはいたずらも多くあるだろう。それでも、私にはその対応が許せなかった。悔しかった。大事な友達が懸命につなげてくれた一本の希望を、機関が遮断したのだ。

だから私は約束した。「今は面と向き合う精神力がない。それに、彼も歩み寄ろうとしてくれている。だから、もう一度だけ待つ。ごめん。ありがとう。」そう伝えた。

そうして、上で待ってるという言葉とは裏腹に(ショートメールの到着が遅く気づけなかったのもあるが)駅に取り残され、帰り道にすれ違い手を振った私を無視した彼に、私はもはや心の芯がぽきりと音をたてるのを感じた。
歩み寄りなんてものはもうそこにはなかった。


再三伝えておきたいのだが、彼のことを貶めようというわけではない。私の理解も行動も足りなかったし、彼は彼なりに考えてくれていたのだと思う。

最後に離婚協議をした際、彼は言った。
「決してDVなどではなく、マインドコントロールしたかったわけではなく、ただ単純に腹が立ったから手が出ただけで、手加減もした。これだけは言いたい。」
私は思った。じゃあDVってなんなんだろう?と。


正直なことをいうと、私はマインドコントロールをされたように思う。
わからないことは自分で考えろと言われたように人に言うし、今までよりも怒りっぽくなった気がする。イラつくと娘のおしりをぺちんと軽くたたいてしまう時だってある。それが私の普通になってしまった。

本人にその気がなくても、暴力はマインドコントロールの要因になる。
いつくるかわからない暴力、罵声に必死になってマインスイーパーのバツ印を付けることになる。俺がやっているのはいけないことだけれど、お前がそれをさせている、と言われ、また恐怖し、言葉を失ってしまう。
そして、手をあげた時点でDVであることには変わりがないとも思う。

もちろん家事のできなくなった私も、育児のできなくなった私も、ゲームでしかできるという気持ちを得られなかった私も、悪人で責められてしかるべきだ。
それでも、子供の前で人に手をあげることは犯罪だし、そもそも人に手をあげてはいけないのだ。本来ならば。
それでも私たちのようなDVに悩まされた、されている人々は思っているのだ。力不足に対する暴力は普通だと。
だからこそ周りに相談なんてできないし、気づいた誰かが動かすしかない。

でも、今の日本は、自分から動くことができないと動かないのだ。
悲しいけれど、それが現状なのだ。


だからこそ動かしてくれる機会を与えてくれた沢山の友人には感謝している。
決定打だったのが「娘さんは今は自我がないからかわいがっていられるけど、そうじゃなくなったら娘さんも被害を受けるかもしれない、それでもいいの?」と聞かれたとき、その可能性を微塵だが感じてしまったことだった。

他人の環境だからと踏み込めない人が世の中には多いことだろう。それでも友人たちは踏み込んできて私を守ってくれた。機関なんかあてにできない。なぜなら私たちは精神、物理的な攻撃をされることが普通なのだから。自分からおかしいと思って動けなくなっているのだから。
かといって全ての機関が全てを監視するというのは余りにもくだらないことだ。
それでも現状のまま、そういった相談センターなどをこの体制のまま置いていていいのかという点においてはずっと疑問もあるし、ただただ、悔しくてたまらない気持ちもある。もっと私より苦労して、疲弊していると気づかず笑っている人がいるはずなのに。何もできない。


DVとはなんなのだろう。どこから生まれるのだろう。攻撃?口撃?傍観?社会の怠慢?
私にはもう何が普通かわからなくなってしまった。
もしこの記事を読んでくださっている貴方に、少しでも思うことがあれば、ぜひ伝えてほしい。

最後に、ごしゃごしゃした頭を整理するだけの文章を読んでくれてありがとうございます。貴方が何かを考えるきっかけになれたらとてもうれしい。


精神病持ちの邦楽好きでゲーム好き。健忘有り。 文章を丁寧に書くよりもその場で思ったことを勢いで書いていきます。 主に音楽、ゲーム、日常(疾病)についてです。