精神的な疾病といわれたこととその私に訪れる毎日のこと

僕は精神的な疾病がある。
以前母に「結局アンタどう診断されてんの?」と言われた。
僕は自分が今まで告げられた病名を反復すると、母は不思議そうな顔をした。

僕はうつ病(躁鬱)と、軽いパニック障害を診断されている。
大学のころからだろうか、自分の存在価値を見失ってしまった。
そのころから病院を5つほど転々とし、今に至る。

最初は「うつ病と軽いパニック障害」
次は「軽度のうつ」
その次は「躁鬱と発達障害」
その次は「抑うつと育児ノイローゼ」
そして今は「抑うつ」
今まで伝えられたすべての病名で納得したのは、最初の診断だった。なので、人と話すときはそう伝えるようにしている。

元はといえば大学のころ、初めての彼氏にこっぴどいフラれ方をしたこと、父の病気から家族仲が悪くなってしまったことが原因だったように思う。
大学で講義を受けるとき、僕には幻聴と幻覚が見えていた。毎日後ろ指を指し笑われるような気がしていた。元彼氏は学科の大学院生で有名であったし、口の軽い大学院生がそれを言いふらしたことも知っていた。
だから私はどの学年の授業にいても、ヒソヒソ声ばかり聞こえて授業に集中できなかった。毎日レジュメに首を絞める男の絵を描き、バイトに差し支えないようにひっそりとカミソリでお腹を切った。毎日生理が遅れて焦る僕は、子供に責められる夢を見て起き、安眠や安息はどこにもなかった。
自暴自棄であったし、誰にでも求められることをした。それで誰かが必要としてくれるならそれでよかった。


それまでの僕は、成績優秀で態度も良く、毎日を自分らしく堂々と生きていた。
やりたいことこそ、大学にきてなくなってしまったけれど、サークルでバンドを組んで、運営も少しして、仲間と一緒に音楽を鳴らすだけで楽しかった。
授業も理解をすり合わせるのが好きで、バイトも初めてだったけれど良くしてもらった。
不安だった友達も、毎日学科でにこやかに挨拶してくれる人がいた。たまたま友人がサボりその子と話した。「ずっとsochateaさんと仲良くしてみたかったの!」と言った。はじめて言われた言葉だった。そこから、その子たちともよく話すようになった。だから、友人にも苦労したことはなかった。
完璧ではないが、楽しい生活だった。よもや死など考える余裕もなかった。

ところが今はどうだろう。今の私は布団から起き上がれない日もある。やるべきこともできず、こうして好きなことをして自分を保つことしかできない。仕事もしていない、精々娘の面倒を見るくらいだ。ずっとこの現象を「何もできない」だと思っていたが、最近ようやく答えを見つけた。


「人にはできることに注げる力のバランスがある。この学校に来たからには勉学100、クラブや遊びを0にしてほしくない。どちらも100でいてほしい。」
高校時代の入学式の校長の挨拶が何故かいま脳裏をよぎった。恐らくその場その場で全力を注げということなんだろうが、今こうして文面に落とすと論理が破綻しているようで乾いた笑いが浮かぶ。

この論理を当てはめるとするなら、世間一般でいう仕事や、恋愛、勉強、そういう場所ではなく、もっと高次元というか、重要であることにリソースを割かなければならないのだ。少なくとも僕はそうだ、それは「生きること」だ。

気を抜いたらふと死んでしまいそうな毎日を、生きることに必死にリソースを割くことによって日々を過ごしているのだ。無論だが周囲の協力がないとこの状態では生活していけない。
生きるためにこうして誰かに思いを伝えている。誰かとコミュニケーションしようとしている。これが僕だと記すしかできないのだ。

自分に自信を失った僕は、何かをすることに対してすべてもって自分を疑い、どうせ失敗するとなにもできなくなった。そして布団から起き上がったある日に足が根のように布団に張り付いた。そのまま部屋に寄生した。空気はよどんで、叫び、泣き、創造すらできなくなった自分を嘆き、スケッチブックを真っ黒に塗り潰し、怒鳴るように大声で歌った。

そして、生きる意味を感じなくなった。何もできないなら、何をしても失敗するなら、何もしないほうがずっとましだ。そう思ったとき僕の身体は植物になって緩やかに根を伸ばし、布団へ潜った。そしてなにも考えず、ぼんやりと時が過ぎることを待った。あくまで自分はプレイアブルキャラであって、俯瞰で物事を見ている僕こそが僕だった。早く死んで次のプレイアブルキャラを操作したかった。

それでも部屋の外に出なければならないとき、必死に外に振舞った笑顔や声も、すべて間違っているように感じた。それは家族に対してもそうだった。自分以外に対して、すべて、そうだった。
間違いつづけてこのまま失敗してバッドエンドは嫌だ。それなら自分でクリエイトしたキャラをデリートしよう。もはや言葉は聞こえなかった。薬と酒をぐっと飲みこんで、泣きながら友達とTwitterでやりとりしたのは間もないことだった。

目覚めた僕は、いくらかの友人を失い、再発を恐れた病院に半年以上思考を止める薬を与えられ、精神安定に飲んでいた薬の副作用でひどい健忘症になった。(このノートを見ている中で自殺を考えている人がいるのであれば、確実に死ねる方法以外は勧めない。本当に自分がスカスカであることを半年思い知りながら生活したくなければ、どうか。)
「そんなに死にたかったのか」「どうしてこんなことをしたの」がかけられた言葉だった。「貴方はこの子の母親なのに」もあった。

至極当然のことだった。皆には僕の思いは伝わっていないのだから。
僕は母親だ。でもそれは娘についたタグだった。僕は何だ?この思考も行動も自信もカッスカスに奪われつくした僕が娘を育てて果たして幸せなのか?僕はこの世に存在していいのか?

「死ななくてよかった」を言ってくれたのは友人ばかりだった。「僕が大事」だと言ってくれるのも。
友人と一緒にゲームをした。いいプレイをした。「すごいじゃん」「やるやん」と自信のない私に自信をくれたのは、友人たちだった。
友人ばかりが僕の心を支えてくれていた。そして後押しをしてくれた。

家族と話し合った。ほんの少し理解をしてもらえた。
そしてこれから新しい環境におかれることになる僕は、少しずつ創造ができるようになった。自分の価値も自信もまだついてきてはないけれど、こうして何かを書いている。それが貴方の目に触れたことがうれしい。僕を貴方が認めてくれたことがうれしい。
これからどうなるかはわからない。今だって死にたくてたまらないから、思いの丈をこのように記している。
けれど、こんな自信のない僕にも目標ができて、そのために少しずつだけれど動いていることも事実だ。少なくとも部屋の樹木になって朽ちることはないだろうことは伝えておきたい。これからも僕は生きることにリソースを割いて、他に気が回らないかもしれないけれど。それでも頑張ろうと、思っている。今この刹那のところではあるが。


僕は貴方の友達ではないかもしれない。けれど、僕は自分に自信がない。価値を感じられない。この辛さを知っている。だから、僕はこれを見ている貴方に言いたいことがある。

いつも生きてて偉いね、頑張っててすごいね。誰もほめてくれないかもしれないけれど、いいことなんか何もないかもしれないけれど。僕が貴方をすごいと言うから、ほんの少し、自分に自信を、価値を持ってほしい。明日を生きるためだけでもいいから、エネルギーにしてほしい。何度でもいうから。そのままの貴方を認めるから。生きることにリソースを割く時間があっていいんだ、それが泣くでも笑うでもカラオケでもゲームでも。好きなことをしていいんだ。生きていいんだ。


恩義とかは要らない。貴方の力になれたら僕も自信や価値を拾える気がするからだ。

精神病持ちの邦楽好きでゲーム好き。健忘有り。 文章を丁寧に書くよりもその場で思ったことを勢いで書いていきます。 主に音楽、ゲーム、日常(疾病)についてです。