中学生だった私の止まった時間が流れた日

489715205。
QRコードと共に大きく書かれたそれに僕と友人ははて、と首を傾げた。
このような数字でなにがわかるというのだ。新手のスパムみたいだな。

そう思った僕は大阪城のすぐそば、大きなホールの端の2階席でライブの開演を待っていた。
友人は付き添いで来てくれただけ、僕のとても「大好きだった」バンドを見に、確かめに来たのだ。

僕が中学2年くらいのことだと思う。やたら遅い時間に流れるランキング形式の音楽番組。
寝付けなくてか愛してか、ぼんやりと見続けていた中、「今月のED」として流れてきたのが、フジファブリックだった。
テレビから流れる音に恋をした。
一番に好きになったポルノグラフィティはある意味パフォーマンスの強さもあった。

でもそのPVは楽器を演奏しているだけだった。パフォーマンスなんかじゃない。ナチュラルにそうなのだ。ボーカルが大きな目をこちらにむけて、剥き出さんような勢いで、迫ってくるのだ。懸命な演奏に宿るその目はただ美しかった。

僕はフジファブリックの音楽に恋をした。

高校生になって軽音楽部に入ったとき、フジファブリックが好きな友達はただ一人で、いつか好きなやつが集まったらやりたいなと笑った。

だからこそ、なんとなく眠れなかったクリスマスイブ、午前2時とか3時。僕の携帯がふわ、と光り流れたニュース。
普段なら何も気にしないそれを、僕はえ、と声を上げて、すかさず彼に連絡したのだ。

「志村さん、死んだって」


遅い時間だったのにすごい早さでメールは返ってきた。まじで?まあ志村なら自殺なのかな、と。

僕にとって志村正彦は教祖だった。どの曲も、どの曲も、志村正彦の全てが、言葉では言い表せないくらい、胸がギュッと詰まる日常や特別な日、何気ない幸せの中の孤独や、官能的な美女のそれや、それに対して女々しいそれ。
独特の音やリズム、配置のセンス、全てが、すべてが愛すべき私の日常の音だった。
その日僕はなんだかぼうっとしたまま朝の六時くらいに倒れるように寝た。
次の日、喫茶店の私の家の新聞の片隅に、小さく写真と記事が載っているのを見た。
最後のシングルだった「Sugar!!」はWBCの曲に起用された。これからだった。これからフジファブリックは大きいムーブメントになるはずだった。

フジファブリックは、僕の中で死んだ。

志村正彦の死の理由すらわからなかった。
毎日泣きながらSugar!!を口ずさむ僕は滑稽だったろう。
「全力ではしれ   上空に光る 星めがけ」。何度も。
確かに彼は自ら死を選んでもおかしくないタイプだ。でも、僕は友人の弁に納得いかなかった。

理由は2つある。
1つ目はこれだ。
志村正彦の故郷凱旋
この曲は、僕が、惚れた「茜色の夕日」という曲だ。
志村正彦は、生気が無いような、弱々しいような、けれどとても美しい瞳をしている。
「君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ」
画面でもわかる、大粒の涙を流しながら歌う志村正彦。もっともっとやりたいことがあったはずだ。

そしてそれが「フジフジ富士Q」だったに違いない。
2010年、7月。企画も発表されていた。
富士急ハイランドにはライブをする場所があるらしい。そこで少年だった志村が見た奥田民生。感銘を受け、ミュージシャンを志した志村正彦が、ここでライブをしたいと温めていたのだ。
やりたかったに違いない。私のほうが悔しい。なんだよキリストみたいに逝っちまいやがって。と泣いた。

そのフジフジ富士Qも、開催されないだろうと言われてきた。
だが、それはなんとも予想外の形で行われることになる。
フジファブリックが大好きな、フジファブリックを愛する者たちが集まって、曲を歌ったのだ。
そこには僕はの大好きなTRICERATOPSの和田唱(現:上野樹里の旦那)やくるり、楽曲提供したパフィー、バイト先が一緒で志村が音楽をやめようとしたとき、じゃあその曲(茜色の夕日)を俺にくれとすら言ったという氣志團。様々なメンバーが(メレンゲとか斉藤和義とかポリシックスとか本当に熱くて書ききれない)

そして、そのなかには、奥田民生が、いた。

そして、彼が最初に歌ったのは、フジファブリックのデビュー曲「桜の季節」だった。
これだけで涙腺崩壊ものだ。それなのに畳み掛けるように皆が歌い、思いを述べ、また選曲までバッチリ合わせてあるのだ。
くるりの銀河とかメレンゲ(クボ)のバウムクーヘンとか和田唱のStrawberry Shortcakesとかポリ(ハヤシ)のB.O.I.Pとか斉藤和義の笑ってサヨナラとか氣志團の茜色の夕日とかもうほんとみんなの持ち味わかってんなやめてくれ今でも涙腺が。
あとスカパラはSurfer Kingをoff vocalでやるのやめてマジで泣く。

そして、最後に、若者のすべてが志村正彦のボーカルで流れ、歌詞のように最後の花火が、上がった。

華々しくフジファブリックは終わった。

と思っていたのに。

2年後、フジファブリックは復活したのだ。
あの最高のシナリオを越えて。

ギターだった山内総一郎が歌って。
曲名は「徒然モノクローム」。
アニメのOPだったかで、過去のフジファブリックのオリコンチャートシングルでは2位の成績を記録。
僕は思っていた。コイツらは何を考えているんだ?と。
確かに今まで他のメンバーだって曲を作ったり詞を書いていた。
だがこれはなんだ?ぴこぴこして、世間に媚びて、ほんのすこしのフジファブリックらしさを残して。
歌詞もそれっぽくして。チョコドーナツってなに?
二番煎じの出がらしかよ。

そしてそれが、フジファブリックとして世間に受け入れられていくということ。
この音楽がフジファブリックだと。
山内が歌うのがフジファブリックだと。
元気にとびまわるフジファブリックが、フジファブリックだと。
僕の心に残ったのは激しい嫌悪感だった。
そして、私はフジファブリックを捨てた。

自分のライブで演奏するのも昔の曲だけ。
なんにもわかっていない。結局お前たちもフジを、志村を捨てるのか。売れたいだけなのか。悔しい。僕が愛したフジファブリックはどこにもいない。

そうして時が過ぎた。
YouTubeのおすすめに、「手紙」という曲が上がってきた。
アーティストは…フジファブリック。
僕はそのタイトルを注意深く、怪訝に眺める。それは「誰への手紙」なんだ?
そして、再生ボタンを押した。

さよならさえも 言えずに時は過ぎるけど
夢と紡いだ音は 忘れはしないよ
もう何年も切れたままになった弦を
張り替えたら君とまた歌えそうな夕暮れ

泣いた。

そして、フジファブリックの音を感じた。
フジファブリックだけじゃない、3人の音も。
もしかしたら僕は、フジファブリックを自分で捨てて殺しただけかもしれない。
そう思っていたら、指が大阪城ホールへのチケットの抽選ボタンを押していた。

そしてそれは無事当選した。
志村正彦が生きている間に行けなかったライブに、フジファブリックのライブに。
お供にはあまりフジファブリックが好みでない友達で、僕がもし泣いたら寄り添ってくれる人を選んだ。正直な意見が聞きたかったから。

そうして冒頭に戻る。

彼は興味がないなりに予習などしてきたらしく、殊勝な心掛けだと道中私がこれはやるだろうという曲をいくつかセレクトして聴かせた。

このセレクトの際にもとても驚きがあった。
僕もこのライブのためにいくつかこれはやるだろうと予想していた曲をいくつか、アルバムでかりたものだった。
そしてその曲を娘と一緒にPCに取り込みながら聴いていく。ぼんやりと。
その曲たちは、端々に志村正彦が住み着いていた。けれど、彼の二番煎じなどではない、粗削りながら彼らの曲だった。何度となく歌詞の中に彼を彷彿とさせる節を見つける。ぼんやり。娘ははしゃぎ、踊る。
ああ、日々の生活の中に滲んでいくこの音楽。フジファブリックだ。
彼のことを振り切ろうと、志村正彦の曲がいいなんて、言わせないように。「フジファブリック」の音楽がいいんだ。と言わせるように…彼らの苦悩が沢山のリリックから、リズムから、楽器の演奏から、合わせから、伝わってくる。
この苦悩をどうして一緒に紡いでいけなかったのだろう。僕にとってのフジファブリックは、志村正彦でしかなかった。僕が見ていたのは、フジファブリックじゃなかったんだ。
僕は自分の勘違いに、彼らが苦悩して作り続けた、アルバムの数が増えるたび洗練されていくその音に、ただ涙することしかできなかった。

友人とお互いに予想を立てた。きっとこれはやる、やらない…
二人の中で共通したたった一つの曲は、「若者のすべて」。

そんな話をしながら、メンバーによる注意事項を聞き、開演を待つ。席は二階、ステージのほぼ真横。モニターとキーボード…金澤ダイスケがよく見える位置。

照明がとん、と暗く落ち。ステージにライトがついて、朱の…茜色の上着を羽織ったメンバーが現れる。沸き起こる拍手。
ゆっくりと彼らは準備を始め、静寂が訪れた。

そして、小さく「せぇの」というように軽く山内総一郎がギターのヘッドを大事に、大事に振った瞬間。
僕は「理解」した。今から何が演奏されるかを。「嘘だ」と小さく口から声を漏らしてしまった。
きっと僕が涙を流し始めたのと演奏はほぼ同時だっただろう。
なんと、一曲目は「若者のすべて」だった。
最後の花火をあげると、きっとこの曲は最後だと信じてやまなかった。

とても丁寧な演奏だった。にこやかで、穏やかな。
僕の中のフジファブリックがフラッシュバックしていく。
ああ、この曲の中の、最後のサビに向かう歌詞は

「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」

たぱたぱ、と涙は流れていく。
残ったメンバーにあった苦悩も、何も知らなかった僕も、リズムギターが足りないままのこの歪なように聞こえる「若者のすべて」も。

後ほど知ったことだが、どうやらフジファブリックは「若者のすべて」でミュージックステーションに出演していたそうだ。それはとてもファンからすると泣ける演出だったという。気になる人は調べてほしい。僕も泣いた。


それから、いくつか曲が演奏されていく。でもどの曲の中にもやはり「志村正彦」がいて、どこか志村正彦の音で、けれど、音楽は彼らが作りだした「フジファブリック」の音楽なのだ。そして、どこかに彼をよぎらせるような、節を見つけては涙が止まらないのだ。

彼らが失った大切な存在を知っているからこそ、彼らが描くぼんやり過ぎる足元の脆い日常も、美しく真っ直ぐな愛情も、切ない別れも、鮮烈に切り取られた人生の輝く一瞬も。すべてが尊く、美しい。

やっと止まった涙も、「星降る夜になったら」「バウムクーヘン」など演奏されてたまらずまた涙してしまう。やっとのことで落ち着いてきたのは前半が終わるころだった。


見どころはたっぷりあって、書き連ねても足りないのに泣いてばかりで僕ときたらちっとも覚えていられない。
アコースティックも刺激的だったし、金澤ダイスケがギターを弾いたりして、リズムギターにサポートメンバーを入れないことも、鮮明でまた泣いて。

山内はMCに際し何度も志村の話をした。ファンだってきっとそれを望んでいただろう。その中で山内は言う。
「志村くんが死んでもフジファブリックはフジファブリックのままで、つまりこれはフジファブリックは死んでもなくならない、フジファブリックは解散しないバンドってことなんです」と。
そして、言い切った。「僕らは志村くんと一緒にステージに立って演奏している。この隣で志村くんは歌っている。」と。
初心を忘れず頑張っていきたい、と締めくくると同時に演奏されたそれは「桜の季節」だ。
明らかに物足りない、リズムギターの音がぽっかりと空いたその曲の中。

僕は志村正彦の声を、ギターを、聴いていた。

そして彼らは笑っていた。

「桜の季節」、「会いに」と「破顔」で締めくくられたアンコール。
(大変納得のいく選曲だった。これ以上泣かせないでほしい。)
桜の季節の前に、山内は一人でアンコールに現れた。

そして、色々と話をした。自分たちのファンがお子さんを生んで、そのお子さんがファンになってくれること。(なんと手紙まで送り、プレミアムシートで見ていた!!これは凄いことだ)
沢山のことがありがたくて、何かを返したい、プレゼントを、と考えていると、「人は皆、その存在が誰かにとっての「プレゼント」なのではないかと思った」といい、新曲を披露してくれた。
曲名はプレゼント。

今できたばかりだから、とメトロノームを取り出す彼。
かち、こち、と正確に刻まれるリズム。
これ、時計の秒針みたいでよくないですか?と軽く笑った。

そうして歌った歌は、私が聴いたフジファブリックの歌で最も優しい歌だった。
そして彼は言う。「皆さん、チラシの中に、数字が書かれたQRコードが入っていたと思うんですけど。これ、何の数字かわかる人いますか?」
だれも手をあげない。「よかったあ、いたらどうしようかと思った。」と彼は笑い、「これは、フジファブリックができてから、今日までの秒数なんです」といった。(QRコードからいつでもきけるから、聴いてね、と。)

489715205。
QRコードと共に大きく書かれたそれに僕は涙した。
この時間のどれだけを、僕はフジファブリックと過ごしたのだろう。
中学校の頃から大好きだった、この美しい生命の瞬間を切り取るバンドに。
この時間のどれだけを、僕は切り取ってしまったのだろう。
そして、思う。また、ライブに行きたいな、と。

最後の礼、志村正彦が、横で手をつないで深々と下げているのが、見えた。



帰って、そっと眠る前一人で聴いた「プレゼント」。
私も今も誰かのプレゼントなんだろうか。
私にとってそれはわからないけれど。
それでも生命の瞬間を切り取るこのバンドに、恋をせずにはいられないのだ。

これからも時に気怠く、時に凛と、時に切なく。人の感情の数だけフジファブリックは続く。

僕はフジファブリックの音楽に恋をした。

中学生の頃からの針を、また進めた僕から、愛しい音楽へ、愛をこめて。

精神病持ちの邦楽好きでゲーム好き。健忘有り。 文章を丁寧に書くよりもその場で思ったことを勢いで書いていきます。 主に音楽、ゲーム、日常(疾病)についてです。