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無観客試合とスポーツを観る権利 #さかろぐ #2020mar05

↑第2回さかろぐラジオのパート1はこちら。
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六:あと新型コロナでいうと、無観客試合を村井さんが「あれは最後の手段」と言ったのは、僕は好意的に受け取ってます。理由としては金銭面、入場料収入だったりスポンサー収入だったりもあるんですけど、それ以前に試合をするだけなら無観客でも成立しちゃうのがサッカーに限らずスポーツの特徴だと思っていて。もちろん観客が試合に影響するっていうのはあると思うけど、最低限の成立でいうと無観客でも全然成り立つと思う。 
 だからこそ無観客でやっちゃうと、観客がいなくても成立しちゃうじゃん、というのがまかり通っちゃう。そうじゃなくて、Jリーグがこれまで作ってきた「観客と共に作っていく」というのを、村井チェアマンは守ろうとしているんだなと思って、あのコメントはすごく好意的に受取りました。
 無観客試合自体はどうおもいます?たとえば野球とか大相撲は無観客でやるみたいですが。
:やあ、難しいなあ笑 。全然違うスポーツになるかなという印象はあったけど、このDAZN全盛期に、90年代くらいからずっとそう、サッカーってメディアスポーツの先駆けみたいな感じでやってきて、現地に来れなくてもテレビで見れるぜ、画面の前で見れるぜっていって、そうやって全世界に売ってきたんやから、客入れんでもできるやろって言われたりするのはわかる。
:それはありますね。
:サッカーだけの話ではないなっていう感じやけど。
:スポーツに限らずで、無観客に関して話しておきたいのは野田秀樹さんのコメント。邨田くんも見てたと思うけど。 

邨:見ました笑!見てツイートもしたけど、見たコメント自体への感想はあれだけ。
:あれを読んでて色々思ったんだけど、まず一つはスポーツを下に見てるつもりはないと思う。
 もう一つ思ったのは、スポーツを観る権利っていうのが、スポーツに関わらない人たちにとってどれくらい認識されてるかなというのが気になりました。
 というのも、野田さんのコメントの背景にあるのは芸術に関する権利意識がある。その権利意識っていうのは表現をする自由。昔は検閲されてきた、表現を抑圧されてきた過去があるから、表現をする自由・権利への意識はかなり強い。加えてそれと同時に、その表現を認識する人がいて、芸術を受け取る側、享受する側の権利も強く、芸術の中では意識されてる。
邨:それはパフォーマンスする側が?
:芸術に関わる人っていう括りになるかな。それは法律にもはっきりと定められていて、表現する自由と同様に、多様な文化芸術を享受する自由っていうのが、同じ位置づけで書かれている。芸術をするのも権利だし、観るのも権利っていう意識が芸術界、特に演劇界ではその意識が強い。
 なので劇場閉鎖はその両方の権利を侵害しているって意味で、野田さんは「演劇の死」っていう言葉を使ったんじゃないかな。
 逆に野田さんにとって、スポーツの観る側の権利っていうのは軽視しているんじゃないかな、あのコメントを見る限りね。なのでスポーツを無観客にしても、スポーツをする側の権利は守られているわけで、「なんの問題があるんだ」って思ってるんじゃないかな。
:観る側に権利はないじゃんってことか。
:そう思われてるんじゃないかなあと。たしかに実際、法律の中にスポーツを観るというか享受する権利は明記されてなくて。地方自治体もスポーツをするための設備や施設は整えなきゃいけないけど、スポーツを観るための施策をする義務はない、という現状があるから、まだ日本ではスポーツを観る権利っていうのは無いのかなと。もちろんあれだけで判断はできないけど。
:消費者と思ってるんかな。サッカーの観客は消費者やんって、感じなんかな。
:なので無観客試合ってところでも色々考えるところがある。(コメントを見て)西口公園事件とかありますね。 なので演劇界はだいぶその意識が強いんじゃないかな。
 あと野田秀樹さんが今芸劇の演出やってて(東京芸術劇場の芸術監督)、芸劇自体は指定管理ですけど国からお金もらってて、今回の中止もおそらく国の判断に従うってところで、ある意味国に抑圧されたっていうのを感じてそう。
:なるほどね。
:芸術側の権利意識を通じて、スポーツ側の権利意識を考えるきっかけになったなと、無観客試合が。無観客試合から離れちゃったけど。
:「無観客で成立するやん」って言われた時に、「いやスタジアム入れてよ」「なんで見せてくれへんの」って、これはウイルスの話、こういうウイルスがあるからこうした、に限らず、なんらかの理由でスタジアムに入れなくなった、サッカーを観られなくなった、っていうときに「お前らDAZNあるからええやん」「映像で観れるからええやん」「スタジアム入れんくてもいいやん」って言ってくる人たちに対して、どうやって自分たちの権利を説明すればいいのかっていう拠り所は無いよな。無いって言い切っちゃったらあれなんやけど、そういう種類のやつを持ってないよな。そこを考えてる人っておらんよな。
:いないと思う。ヨーロッパでも現地で見る権利がどれくらいの意識なのかなって。ユニバーサルアクセス権、つまり中継で見る権利はあって、ワールドカップとかを有料配信するのは規制されてたりするのよ。そういう中継に対する権利ははっきりあるんだけど、現地で見る権利っていうのは、ヨーロッパでも怪しそう。ここはちょっと全然知らないからなんとも。
:昨日あの、名前読まれへんけど、おるやんすごい人、論文を教えてくれた人。 あの論文ってたぶんそういう話やでっていう。
:ほんと?なら読まなきゃじゃん。 でも邨田くんも途中までしか読んだわけじゃないもんな笑
:途中までだけど笑。えーと、論文の話しても面白くないから、(昨日の論文の話の)スタートは、フットボリスタっていうサイトのWebの記事に昔上がった、チケット値上げをやめろ、値下げせえって言って、抗議したみたいな記事(下参照)があったと思います。
:去年末くらいかな。

:その現象から始まる論文があって、それはたぶん現地のヨーロッパのサッカーサポーターがどういう風にしてスタジアムでサッカー見せろって言ってるかっていうことの、現在進行形の話だわ。たぶんホッフェンハイムとバイエルンの、ドイツで起こってることも同じような、近いところにあるんじゃないかな、って考えています。
:なんか気持ちよく繋がりそうだから、そのまま行きましょうよ笑
:なんかちょっとあれやな、予定調和すぎてつまらんな。もうちょっとなんか話すか。だいたい喋ったな。あれわかりやすかったわ、演劇の話。
:ほんと?よかったあそこはね、一応その辺関係の研究をしてたから、喋っとかないとと思って。
:すごく勉強になりました。
:よかったです笑
邨:なんか抑圧って言ったけど、そういうのがあった分、制度がしっかりしてるんやなって。 どの分野でもそうで。
 逆にサッカーはさ、Jリーグはどういう風にサッカーを根付かせるかっていう、JFAもまあいろんな人にぶっ叩かれまくってるけど、どうやってサッカーを草の根に広めて、リーグ増やして、グラスルーツを拡大していくって意味ではこれだけやってきたからこそ、こんなにリーグが中止になっても維持できてるっていうのが多分あると思うから。そこはそれぞれの分野で、組織として重きを置いてきたっていうか。難しい過去に立ち向かった結果、長所になってるのがあるのかなって思いましたね。

以上で前半「新型コロナウイルス」パート終わりです。
次は「ホッフェンハイムVS.バイエルンで起きた侮辱のバナー」パート書き起こしをお送りしますので、お楽しみに!


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