2020 / 価値ある年
おはようございます!! こんにちは!! こんばんは!!
12月の末という事で、今年はいろいろありましたね。何から何までイレギュラ-続きで大変だったと思います。まだ、事態は収束する気配がありませんが、この辺で今年の振り返りを書きたいと思います。
2020年は、西村真祈という人が人生で一番大きく変化した年でした。
では、どのような経緯があり人として変化したのかを綴りたいと思います。
本題へと参りましょう
↓
2020年(令和2年)がスタ-ト
2019年が終わりを告げ、2020年という自分にとっても大学へ進学という新たな年の幕開けでした。
2月 推薦入試組の練習がスタ-ト
新たな仲間になる仲間たちと練習がスタ-トされると思いきやまさかの今シ-ズンから入部数を減らすためにセレクション形式へと変更。
始めに驚いたのは本当にここだったと思います。
「そっちの都合で入部出来ないとかあるの?」「なら、コ-チ増やせよ」
私は、そんな事を言葉として発したり、考えていました。
だが、結果は変わることはありません。
「なら、言うな」とお思いかもしれんせんが、大目に見てもらえると有り難いです笑
そんな、セレクションの最中に新型コロナウイルスという史上最強のウイルスが発生、蔓延していきました。これにより、2月の末から3月の上旬まで活動自粛になってしまいました。
3月 僕の中での分岐点である活動再開時の事件が発生
当時、再開の日程が発表され心機一転でTOPチ-ムに昇格するために頑張ろうと望んだ再開当日
起床時間 6:25頃
起きた瞬間にやばいと感じました。
何故なら、アラ-ムが鳴っていなかったからです。冷や汗と同時にパニックに陥っていました。
すぐに、どう言い訳するかを考えていました。←(人として終わっている)
そして、「祖母の調子が悪いので途中で帰って来いと母親に言われました」と平気で嘘をつきました。
この嘘が私の今シ-ズン、サッカーをするカテゴリ-を決定づけました。
1週間ほど休み、監督に親と相談した結果練習に参加させてもらうことにしたという旨を伝えさせて頂き、3月の中旬又は、下旬の初めの方に私の大学サッカ-人生がスタ-トしました。
この時点では、セレクションの合格発票も終わり、約3分の2が落ちるという驚きの結果となりました。
落ちた人たちには、本当に可哀そうで、自分のやらかした遅刻という行為に「何をしているんだ!!」と言われ罵られても仕方がない自身の状況に恥ずかしくなります。
そんなこんなで、練習への復帰が実現しました。
他のスポ-ツ推薦組はULTRASというBチ-ムで練習をしている中、私はFCというCチ-ムでサッカーをさせてもらっていました。
結局、3月中にはULTRASへ昇格させてもらえませんでした。
私のミスで自身の首を絞めていては元も子もないなと感じました。
高校や中学の私を知っている人からすると「毎年やらかさないと気が済まないのか?」と言われても仕方がない程にやらかしてきました。
4月 新型コロナウイルスの増加による二度目の無期限自粛がスタ-ト
さて、ここから本格的な自粛期間へと移行しました。
正直な話、この時は「すぐ再開できるだろう」とと安易な考えでいました。
しかし、そんな考えを覆すように約2月間の自宅待機でした。
自主練やオンラインでの筋トレ・体幹などといった簡単なトレ―ニングをカテゴリ-ごとに行うことしか出来ませんでした。
授業自体も4月から始まるはずが、教授や先生方もイレギュラーに対応する為に5月からのスタ-トとなりました。
私もオンラインで授業という異例な形に対応できず、さらには大学での友達も出来ていない状況で、課題や授業の内容などを相談する人がいないので、とても大変な3か月を送ることになりました。
5月 自主練・カテゴリ-のトレーニング・オンライン授業
新しいことが増えすぎて、考えることやるべきことが多くただ単に忙しかったなと今振り返れば思います。
自主練では、走り込みや筋トレ体幹などは当たり前に行いました。変わったことと言えば、右足の練習をメインに行ったことです。
驚くことがこの右足の練習で右のロングキックの精度や成功回数が飛躍的に伸びたという事です。
諦めずにやり続ければ必ず成功するという成功体験を味わいました。
「じゃあ、どんな練習したんや?どうせ、変わった練習方法してたんとちゃうん?」
と疑問に思う方もいると思います。
いいえ!そんなことありません!!
私が行った練習は、リフティング・壁パス(ショ-ト、ロング)この2つです。
「そんな地味な練習で?」
いやいや、そんな地味な練習?笑
考え方が違うんです。土台がない人が新たなスキルを手に入れることが出来る訳がない。その地道な努力を行ったからこそ、私の力となり身についたと自負しています。
普通であれば、こんな地味な練習やってられるかという風に投げ捨ててしまうと思います。
しかし、当時の私は今持っている力以外に何か身につけて、サッカー部の活動が始まった時に自分を上のカテゴリ-にあげてくれなかったことを後悔させてやるという気持ちとプロになるためには今のままではダメだと思っていたからこそやり遂げることが出来たのだと思います。
成し遂げるための動機(何故それをするのか?)を持つことはとても重要だという事を当時は分かっていませんでした。
しかし、感覚的に重要だと感じ取っていたのではないのかなと思います。
そんな日々を約1ヶ月半ほど継続します。
次に、カテゴリ-ごとの練習です。
その時から、ZOOM(オンラインでの映像ミ-ティングアプリ)が普及し、流行していました。
そのZOOMを活用して筋トレ・体幹といったメニュ-を行いました。
そのメニューは3日おきか2日おきに行われました。
その練習の時にZOOM内にあるチャットという全員や特定の人を指定して文章を送れるという機能があることを知り、ZOOMが開かれた際に先輩に「おはようございます」というのが習慣になっていました。
ある日、いつも通りに先輩におはようございますを言い終わった後に先輩が「もっと大きく言って」と全員が見れるチャットに違う先輩に言っていたのに私は自身に言われたと思い、その言葉を送られているのが全員のチャットとも知らずに癖の強い「おーはよ----ございま--す!!!」ぐらいの文章を全員のチャットに送っていました。
気づいた時には時既に遅かった...
4回生が空かさずツッコんできてくれた!
「まさき、大丈夫か…?」
まだ、そこまで仲良くなれていた訳ではないからこそ恥ずかしかった。
穴があったら入りたいというのはこのことをいうのだなと思った。
そんなこともありながら、何とか約2か月間のオンライントレ―ニングをやり切りました。
6月 一人限定での練習スタ-ト
そして、6月に練習が始まりました。
始まったと言っても、一人で決まったスペ-スでの練習が一か月間続きました。
正直、一人での練習でしたが、チ-ムメイトや先輩と会って話せるという事だけで、嬉しかったのを覚えています。練習メニュ-もコ-チが考えてくださり、その通りにトレ―ニングするのと別で足りない部分をトレ―ニングしていました。
7月 カテゴリ-ごとの練習スタ-ト
そして、月日は経ち、7月に突入しました。
やっとカテゴリ-練習が始まりました。「やっと大好きなサッカーが出来る」と心の中でワクワクしていました。
初めの方は、皆とできるサッカーが楽しくて毎日充実していました。
しかし、ゲ-ムや対人といった接触プレ-は、なかなか出来ない状況が続きました。それに伴い、私自身の感情も面白くないなと変わっていきました。
「出来ていること自体に感謝してやれよ」
普通ならばそう感じるはずなのにおもいっきりできない状況に不満が募りつつありました。
それでも、なんとか上に行くためにここでアピ-ルするしかないと練習に対しては適当にせず取り組みました。
しかし、結果は変わらずに、FCでのプレ-が決まりました。
8月 リ-グ戦スタ-ト
8月23日 大学サッカー人生での初戦 vs Cento Cuore HARIMA
開幕戦をスタメンで起用して頂き、1年生ながらだがエ-ス番号を貰い、私が得点を奪い勝たせないといけない存在だと勝ってながら自負していました。
結果 1-2(1-0)
得点も奪えず、敗北…
FWとしてエ-ス番号である17番を背負わせてもらっている自身に対して情けなさと無力である自身の力の無さに悔しさがありました。
もっと、もっと、このままではダメだと感じました。
8月末に2節目がやってきました!
この試合では、必ず結果を出すと自分自身に言い聞かせていました。
そして、前半私のパスから4回生のノス君(藤崎啓之介君)が得点を奪います。
先制できたことに歓喜し、その後の前半の終盤に気が緩みました。
私のパスをカットされ、その流れでクロスを頭であわされて同点ゴ-ルを許してしまいます。
当時の私の心境としては、絶対私自身の力で逆転ゴ-ルを奪わないといけないと意気込んでいました。
そうすると、後半開始早々ハ-フラインを少し超えたあたりで、私はゴ-ルを背にした状態で受け、ターンと同時に左足を振り抜いていました。
すると、ボ-ルは右上の角へと吸い込まれていきました。
この瞬間、安堵と言葉には表せれない程の感情がこみ上げてきました。
これがサッカーなのか。私のサッカーに対する魅力はここにあるなと感じました。
そして、チームは残りの時間を凌ぎきり、リ-グ戦初勝利を得ていました。
そんな喜びもつかの間、毎週リ-グ戦があるため次の準備を始めました。
9月 1勝1敗2引き分け 優勝が途絶える
9月に入ってからの2連戦は格上相手であり、最近は勝てていない相手でもあった為いつも以上に気合と集中力がみなぎっていました。
結果は、2試合とも引き明けでした。
私の結果も、2試合で、1ゴ-ル1アシストとエ-スとしては物足りない結果となりました。
そして、残りの2試合は負けられない状況へとなりました。
vs おこしやす京都 1-0(0-0)
この試合はとてもタフでしんどい試合展開でとても疲れた試合だったと覚えています。しかし、勝てたことに心から喜びました。
毎年、おこしやす京都には勝ててなかったという風に先輩達が言っていたと思う。だからこそ、勝てて素直に良かった。
そして、問題はこの次の試合だった。
vs ラランジャ京都 0-3(0-1)
この試合に勝てば優勝の望みを持てていた試合だった。
試合に出ていた全員が勝てるだろうとまだ終わってもいない試合にムードは余裕を持っていたように今振り返れば思う。
何故、その根拠のない自信が私たちにあったのか?
今考えれば、謎でしかありません。
何故なら、関西大学体育会サッカー部のFC2008
え-と…
Cチ-ムだよね?今思えばそこに意識を持てていなかったように思えます。
私たちは、TOPチ-ムでもULTRASというBチ-ムでもない、Cチ-ムというレベルの集団であるということを認識できていなかったんじゃないかなと思います。
それが、驕りや慢心へと変わっていったからこそ優勝という先のことしか見えずに足元をすくわれたのではないのかなと思っています。
そして、負けと同時に優勝が消え、他力での2位という結果しか得ることができませんでした。
10月 FCでの最終試合&ULTRASへの昇格
10月3日 vs レイジェンド滋賀 2-0(2-0)
開始3分に得点を奪った。2節目とシ-ンがかぶり、それを瞬時に理解したのと相手のGKや目の前の相手、味方の位置全てが目に入っていた。そして、左足を振り抜いた。すると、ゴ-ルのバ-に当たりそのままゴ-ルへと吸い込まれた。
4回生の最後に試合になるかもしれない試合で、先制点を開始すぐに得点を奪うことができ、とても嬉しい気持ちとまだまだ4回生とサッカーをしたいという感情が下から込み上げてきました。
結果2-0で勝ち、JFLへの参入戦へ行けるかと思いきや負けると思っていなかった相手がボロボロに負けてしまい、結果としてはこの試合で4回生の大学サッカーが終了してしまいました。
「もっとこの先輩達とサッカーがしたい、まだまだ終わりたくない、このチ-ムは試合を追うごとに進歩し続けていくことができる」
だが、言葉にも涙という分かりやすい表現もしてはいなかった。
しかし、ここでその感情を伝えたいと思う。
本当にFCというこの全員が仲の良いこのチ-ムがめちゃくちゃ大好きでした。
この感傷に長いこと浸っている程、時間がないままULTRAS(Bチ-ム)への昇格が決定し、次の週から参加しました。
ULTRASの練習は、FCに比べると上手くサッカ-自体はとても楽しかったです!!
まず、昇格直後の試合にスタメンで出るためにいつもよりも頑張ったのを記憶しています。
その努力の結果からかは分かりませんが、スタメンとして起用してもらうことができました。
対戦相手は、大阪体育大学のBチ-ムという事でかなり強いチ-ムです。さらに、勝たなければ全国大会の予選にも参加できないという結果になってしまうので、責任は重大でした。
結果は1-0(0-0)
決めた瞬間、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。さらに、先輩、同期が一緒に喜んでいる姿とかも見てぎりぎりの試合や結果次第で今後が決まってしまう試合で決勝点を獲るのは気持ちが良く、楽しいなと感じました。
この試合を含め3試合にスタメンとして出場させていただきました。
結果としては、3試合で4ゴ-ル1アシスト
結果としては、まずまずの結果でしたが、もっと決めないといけなかったと思っています。
二度目の事件がこの最終節を終えた後に起こりました。
それは、遅刻です。
最終節の次の練習で練習時間に起きれず、先輩と同期に起こしに来てもらうという羽目になりました。
これだけならば、良くはないですけどまだマシだったと思います。
では何を起こしたのか?
それは、遅刻したその日にクラブへと行ったことです。
遅刻したことに対して、反省して普通ならばどこにも行かずそのことについて考えないといけないのです。
何故か、当時の自分は遅刻したことに対してそこまで重く受け止めていませんでした。
しかし、幹部の方と話をして、本当に自身のなりたい姿や目標などを考えないといけないと思い、FCで一緒にサッカ-をしてきた4回生の森下義雄君と岡田清明君と増岡大地君と2回生の今田黎玖君に話を聞いてもらいました。
そこで、自分が考えていたなりたい姿がどれだけ自身の現状とかけ離れているものだったかを教えてもらうことができました。
そして、心新たに今できることは何かを考えて出来る事をやっていました。(正直、当時の自分はまだまだ行動や考え方は足りていませんでしたが)
11月、12月 謝罪と新たな挑戦
遅刻をしたので、サポ-トとして2週間ほどチ-ムの為に動き、やっとチ-ムの活動に参加して良いと言われた次の日に活動停止ということが言われました。
何故か?
コロナウイルス感染者が出てしまったからです。
さらに、クラブに行ったメンバ-からコロナウイルスの感染者が出てしまいました。
これによって、どこまで感染しているかも分からないという事からTOPチ-ム以外のカテゴリ-の試合は全て辞退という結果になってしまいました。
そして、私はGoogleホ-ムというところで繁華街に遊びに行ったり、食事をしに行った人は報告してくださいという全体の聞き取り調査の場面でも、「自身の練習が出来なくなるんじゃないのか」という結末が怖く、嘘の報告をしてしまいました。
それから、嘘をついていたという事を他の一回生が言い、その後に続いて「嘘をつきました」という旨を報告させていただきました。
今考えれば、わざわざ嘘までつかなくてもいいんじゃないのか?と
とても考えました。
しかし、このクラブに行った事、嘘をついたことによって自身の現在やらないといけない事、現状のままではなりたい姿、目標、最終ゴ-ルを達成することが出来ないという事に気づかされました。
それから、12月の一か月間、今までの自分では考えもできない程の行動力と共に考え抜きました。
以上が私の2020年の記録です!!
明日には、2021年になり新たな年が幕を開けますがこの12月に行動したことを変えずに、さらに行動力を爆発させて成長していきたいと思います。
2020年では、ご迷惑をかけた方には誠に申し訳ございませんでした。
さらに、関わって下さった方は本当にありがとうございました。
2021年もよろしくお願いします。
MASABOU
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