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自己紹介-高校生編-

こんにちは!!
和歌山大学体育会サッカー部主将の東 修斗(あずま しゅーと)と申します。
前回の自己紹介-中学生編-を読んでいただきありがとうございました!もう2ヶ月も前のことですが笑

今回は中学生編に引き続き、高校生編を書いていこうと思います。これで自己紹介は終わりです。全3作品を読んでいただいた方々、本当にありがとうございます。

小学校:貝塚JSC
中学校:アンドリュースFC→貝塚第二中学校
高校 :大阪府立和泉高校
大学 :和歌山大学


高校

中学生編であったように、2年生の途中でクラブチームを辞めて、勉強を必死で頑張った結果、大阪府立和泉高等学校に無事に入学することができました。
勉強のことを少し話すと、内申はそこまでない中で、ほぼ入試勝負なだったので結構緊張はしましたが、なんとか合格って感じでした。勉強はかなり死ぬ気でしたので、少しは報われたかなという気持ちでした。

ここからです。入学する前の俺が正直に思ってたことを言います。

「正直、余裕で試合に出れて、俺が勝たす」

これぐらい自信があったと思います。中学まで割とキャリアを積んできて、しかも進学校に入学して、全然余裕ぐらいに思っていました。

そして、体験入部が始まりました。

読んでもらっている方々は大体オチは想像できるでしょう。

先輩方がインターハイ勝ち進む。走りの期間が一ヶ月ぐらい続く、走れない僕はBチームでした。

初めて、サッカーしていて、チーム内競争で負けました。しかも、まさか高校で味わうとは思ってもいませんでした。

そこからはモチベーションの低下、ひたすら走る。できない。の繰り返しで、夏場には本気で辞めようかとも考えました。

でも、諦めさせなかったのは、入った時にインターハイで輝いていた先輩達を見て、こういうになりたい。こうやっていろんな人に見にきてもらいたいっていう気持ちが後押ししてなんとか踏ん張りました。

夏の終わり付近には苦手だった走りも少しずつ克服して、自分の得意な部分であるボールコントロールや左足でのプレーっていうのが評価されるようになってきました。
合宿では、ひたすらトップチームの走りにひたすら喰らい付いてっていう、ほんまに執念でトップチームでの出場機会を得ました。

1年生の時の選手権では、ベンチから試合を見る機会が多く、チームの力になることができませんでしたがそれでも良い経験になったことは間違いありません。

そこからは、徐々に出場機会も得られるようになり、1年生の最後にはスタメンの座を奪います。素晴らしいチームで才能豊かな先輩方が多かったチームだったからこそ、3回戦で負けたのはとても悔しかったし、生意気ながら可愛がってくださった先輩たちともっとサッカーしたかったという気持ちが本当に強かったです。やっぱり楽しかったチームの先輩とのみにいったりしたら楽しいし、いろんな話が出てきますね。笑

和泉高校では、受験勉強にむけて、春のインターハイ予選でみんな引退します。なので、ここで新チームを迎えます。これ後々大事になってくるので覚えといてくださいね??

正直、自分たちの年はしんどいと思われてたし、実力的にも期待はされてなかった。実際、自分自身もモチベーションは下がってしまってた。(みんなごめんなさい)

けど、自分が引っ張らなっていう想いが強くなっていくと同時に頼れる後輩も入部してきてくれました。今でも仲良くしてくれてるとてもできる後輩です。笑
その子の存在は自分が頑張る原動力になってくれてました。

2年生の選手権は正直、不発で終わったし、チームも3回戦止まり。何もできなかったです。あまり覚えてないです。詳しく書けないぐらいなんも覚えてないです。

正直、僕らの代が成長していったのはそこからなので、その勢いをインターハイにぶつけたいと意気込んでいた矢先。

突如、未知のウイルスに未来を潰されました。

インターハイ予選も開催されず、大阪は代替大会もない。

ここまでなにしてきたんやろ。みんなに見にきてもらってチヤホヤされるのはどこいったんやろ。見にきてくれるみんなを楽しましたりしたかった。結果で3年間の証明をしたかった。そんな感情が僕を潰しました。

悔しい。その一言に尽きました。今でもそこは悔しいと思ってるし、自分たちの年で戦いたかった。そこだけはこの先、一生忘れられないと思います。自分を取り巻く当時の環境も含めて。みんなに見て欲しかったなと心の底から思ってます。

今でも当時の予定表の写真はフォルダの奥で眠らせてます。ここから楽しみな数ヶ月が始まるって時に。なんも悪くない自分たちがこんなことになるなんか思ってもなかったから。

さあ、問題はここからです。先程、インターハイ予選で和泉高校のみんなは引退すると言いました。

インターハイ予選がない私たちはいつ引退しますか??

一旦、学年主任の先生が作ってくれた、記念試合というものを境にみんなで引退しました。
これに関しては、企画してくれた先生方には本当に感謝しています。

3年生vs下級生の試合を同級生やいろんな後輩に見にきてもらうというもの。たぶん、100人ぐらいきてくれてた気もしたり。それぐらい大きな規模のものを学内で開いてくれました。

そこで取った2ゴールは今でも鮮明に覚えてます。いろんな人から見たらそんなたかが2ゴールでって思われると思います。俺からしたらこの先越えれるか分からんぐらいのゴールの2つです。(越えれるようにこの先も頑張るんですけどね笑)
これを読んでくれてるいずこう生の人は思い出してくれたら嬉しいなと思いながらも、そもそも読んでないんかなとも思いながらも。笑

まあ、そんなこんなで一旦引退しました。

本題はここからです。
人生の大きなターニングポイントを迎えます。

勝手に実名出させてもらおう笑
大輝、いざ
「やり残してない?戻らん?」

こうなると火がつきました。そこまで某予備校で必死に勉強をしていた僕が、一瞬で答えを出しました。

「喜んで。」

俺には自信があった。
選手権でも結果を残して、和歌山大学に合格する自信が。

自分自身、大学受験は和歌山大学に行きたいという明確な目標があり、そこに向けて2年生の終わり頃から着々と勉強を進めていました。

コロナで学校がない期間も、仲の良いみんなとの遊びを断る機会が増えてでも勉強する機会を多く設け、実は、この決断をする時が来るかもと準備していました。

だからこそ、良い準備の大切さを学んだし、即答で戻るという決断をできた。

和泉高校のサッカー部では今までおったかなとなるぐらいの試み。だからこそ、未知の道を自分自身で切り拓きたかったし、この経験が自分自身の今のパーソナリティを形作るものとなっています。

快く受け入れてくれたかは分からんけど、仲良くしてくれた後輩たち。頑張れと後押ししてくれた同級生たちに支えられて、復帰しました。

1番は、予備校にめちゃくちゃお金を払ってくれてた親からすると正直??みたいな決断やったと思います。けど、戻るのを自分自身の決断やから尊重してくれたパパとママの後押しに支えられ、やり抜くことができました。

結果は、4回戦で敗退。激戦区と呼ばれる大阪の選手権予選で公立高校ではよく頑張ったと思います。けど、阪南大高としたかったなあ。笑

そこからは、ひたすら勉強。
今も働かせてもらっている予備校の方々に支えられ、受験勉強を進めることができました。
やっぱり良い準備をしていたのもあり、受験は私立、そして本命の和歌山大学。一度も失敗せずに終えることができました。

かなりハードモードな受験でした。正直。
共通テストであまり良い点数が取れなかった時は、心が折れそうになりました。でも、やり切るしかなかった。

過去の自分の決断を正解にするのは自分自身。

このことを学んだ高校生活だったと思います。特に、3年生の後半はそういう局面に多く直面しました。

高校生編も中学生編と同様に良い経験、失敗、挫折、いろんな経験をした3年間だったと思います。中学生の時もそうでしたが、自分自身の決断を正当化するのは今後の自分次第ということをより実感した3年間でした。

また、自分が新しい道を切り拓くということがこんなに素晴らしいものであると感じた3年生の1年間でした。実際、自分がやったようにここ数年の3年生は選手権まで残るっていう人が数人おる年もあって、自分自身めちゃくちゃ嬉しいなって思います。

この考えは、今の自分を形作っている重要な要素の一つで、今後もぶらしたくはない、自分自身の重要な要素の一部となっています。

人として、最も成長できた期間やったなって高校の3年間は振り返ってます。
同窓会でも思いましたが、いずこう最高っすね。やっぱり。みんな読んでくださいね。笑

全3作に渡る、自己紹介いかがでしたでしょうか??長きに渡り、読んでいただいた皆さまありがとうございました。

こうやって、高校までの18年間を生きてきました。こういうキャリアを歩んできたんだなということを少しでも知ってもらえれば嬉しいです。

さて、ここからはいろんなことを書いていきます。というより、やっと自己紹介を終えることができたので書けます。

早速ですが、明日は、自分自身の想い。
自分が属する和歌山大学体育会サッカー部について書いていきたいと思います。

自己紹介が終わり、早速、今年1番みなさんに読んでもらいたい文章を届けます。是非、皆さん読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願い致します!!

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