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審判を始めたきっかけは?

先日久々のゴルフに行っていまだスコア100が切れず、
早く次のラウンドに行きたい欲が出ているタカです。

今日は審判を始めたきっかけをお話したいと思います。​

サッカーを始めたのは小学校3年生の終わり頃でした。
少しぽっちゃり気味で運動したほうがいいのと、
近所の友達も体験に行くということで一緒に行った
所でサッカーにはまっていきました。

中学校ではサッカーに没頭し、続けるならより高い
レベルでプレーするものだという考えしかありません
でした。
進学を考えたときに高校から京都市内へ出ることも
考え部活体験にも行きましたが、レベルの高さを薄々
感じていました。

京都市内の高校に進む度胸はなかったので、せめて
高校で本格的な指導者がいる高校へということで
隣の綾部市にある高校へ進学することを決意しました。

綾部高校は体育科もあり、スポーツが盛んな高校
でしたが府大会を勝ち上がるほどの実力はありません
でした。(ディスってるわけではありません。)

サッカー部顧問のH先生が1級審判員になられた
事は知っていましたが、正直ルールを勉強したことは
なく、なんとなくでサッカーをしていました。

高校2年生の夏に地元で中学校の大会があり、
部のメンバーが審判として駆り出されました。
その試合が人生始めての主審担当でした。
実際にルールもなんとなくでやったので、今思えば
無茶苦茶だったと思いますが、H先生からは褒めて
もらえたことが審判員としての初めての成功体験と
なりました。

そこから審判員に興味を持つようになり、2月に
開かれた4級取得講習会を受講し資格を取りました。

4級を取得した後すぐに、京都招待高校サッカーの
副審としてH先生に入れていただきました。
府大会にも出られないサッカー部員が、全国から招待
されて来ていた東福岡高校の副審をさせていただき
ました。そこではレベルの高さに衝撃を受け、
自分はこんなレベルではプレーできないとも思いました。

その時にH先生から掛けられた一言は衝撃的でしたが、
その後の自分の審判員としての目標を示して
いただきました。

君はプレーヤーとしてはJリーガーにはなれないが、
審判員としてならJリーグの舞台に立てるかもしれないよ

プレーヤーとしての目標が絶たれたとともに新たな目標
が出来た瞬間でした。
その言葉を純粋に信じて本当にそうなれたということで
H先生にはいまだに感謝しています。

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