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レアル・マドリード選手図鑑#1 ”突風” パコ・ヘント

2022年1月にお亡くなりになったレアル・マドリード名誉会長パコ・ヘントことフランシスコ・ヘント・ロペスが、どのような選手だったのか紹介したいと思います。

1章 大まかな紹介、2章 プレースタイル、3章 経歴の順番で紹介したいと思います。

1章 大まかな紹介

パコ・ヘントは1950年代~1960年代にもう一人のクラブのレジェンドであるアルフレッド・ディ・ステファノらとクラブの黄金時代を築き上げた人物です。

彼は19歳から38歳まで左ウィングとして、マドリードの攻撃陣をけん引し続け、獲得したタイトル数は「23」で、現在キャプテンを務めるマルセロと並んで歴代最多タイとなっています。

彼の兄弟もレアル・マドリードに在籍していました。そして彼の妹の息子(甥)やその息子であるマルコス・ジョレンテ(現アトレティコ・マドリ―所属)もレアル・マドリードに在籍していました。

2章 プレースタイル

続いてパコ・ヘントのプレースタイル紹介です。

彼のポジションは左ウィングです。そして左利き・・・。皆さんもう気付きました? そうです、左利き左ウィングなんです。

現在、左ウィングには右利きの選手が担当して、カットインからのシュートがパターン化されていますが、パコ・ヘントは左足でのクロスやシュートを得意としていたそうです。

そんな、彼は『カンタブリアの突風』と呼ばれていました。突風と呼ばれるほどの俊足で、その足を活かし相手DFを置き去りにしていたそうです。

生前のインタビューでは「私はゴール前なのに、他の皆は中盤にいて、待つはめになるんです。シュートは得意なので問題はないのですが(笑)」とおっしゃっていました。

ついでに彼の背番号は「11」です。いづれ現在絶賛覚醒中のヴィ二が「11」を着る時が来るのでしょうか。

3章 経歴

パコ・ヘントは1933年10月21日、スペイン北部に位置するカンタブリア州グアル二ソで産声をあげました。少年時代は学校に行きながら父親の仕事の手伝いをしていたそうです(ついでに父親も地元のサッカークラブで選手を、していましたが、別の仕事もしていたそうです)。

父親の手伝いの合間に、新聞紙でボールを作りサッカーをしていて、当時から俊足でした。

そんな彼が本格的にサッカーを始めたのは14歳の時、地元のサッカークラブであるヌエバ・モンターニャのユースチームに所属しました。

自慢の俊足で観客を沸かせたといいます。そして、わずか1年で活躍が認められ他の地元サッカークラブに移籍し、そこでは3年間在籍しました。

そして、本格的にプロ選手街道に光が灯ります。17歳でラシン・サンタンデールの下部組織ラーヨ・カンタブリアと契約。

ラーヨ・カンタブリアでも活躍を見せたパコ・ヘント。当時プリメーラ(1部)で成績不振だったラシン・サンタンデールに助っ人として召集されました。

プリメーラでレアル・マドリードとの対戦が実現。その対戦でマドリードから注目を集め、移籍の追い風となります。

1953年、パコ・ヘント19歳でレアル・マドリードと生涯契約を結びます。(生涯契約なんて存在したんですね! これが調べる中で一番驚いたかも笑)

加入当初は19歳という若さや卓越したスピードも影響して、チームプレーが難点という指摘もありましたが、ディ・ステファノなどの豪華先輩陣たちを真似して、サッカーを上達させていきました。

そして、ここからが伝説のはじまりです。

UEFAチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)

第1回決勝戦スタッド・ランス戦、4-3で勝利

第2回決勝戦フィオレンティーナ戦、2-0で勝利

第3回決勝戦ACミラン戦、3-2で勝利

第4回決勝戦スタッド・ランス戦、2-0で勝利

第5回決勝戦フランクフルト戦、7-3で勝利

この大会が発足され、第1回大会から勝ち続け5連覇を成し遂げました。この時代からレアル・マドリードの勝利のメンタリティを持っていると思うと、クラブの偉大さを改めて感じますね。

そして、ついにパコ・ヘントが伝説となった試合が訪れます。

ディ・ステファノなどのベテラン勢が退団するなか、パコ・ヘントはキャプテンとして、若手を引っ張ります。そんな中むかえた・・・

UEFAチャンピオンズカップ第11回決勝戦パルチザン・ベオグラード戦、2-1で勝利

史上初の6回目のチャンピオンズカップ優勝を勝ち取りました。

ついでに、この時代は『イェーイェー・マドリード』と呼ばれています。由来は、この大会が終わった後にマドリードの選手がビートルズを模して記念撮影をしました。それ以来ビートルズの『She Loves You』の歌詞にたびたび出てくる”yeah"にちなんでいると言われています。


そんな彼でも、スパイクを脱ぐ時は訪れます。19歳から38歳まで在籍したレアル・マドリードでサッカー人生を終えることを決断しました。

パコ・ヘントがレアル・マドリードにもたらしたタイトルの数々、そして個人記録として未だ破られていない6回のチャンピオンズカップ、12回のラ・リーガ優勝。これらはとても価値ある功績です。

パコ・ヘントの精神はマドリードのエンブレムの中で生き続ける


どうでしたか、パコ・ヘントという人物を知って、改めて追悼式を見ると、こみ上げてくるものがあります。

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