北海学園文学会ウェブエッセイ㉗「鍋と自由と」

 教授の許可を得た上で授業中に鍋をやる学生が現れた、というXのポストに関するネット記事を読みました。

大学の授業中、学生が鍋を食べる...驚きの光景にSNS賛否両論 許可した教授が明かす「自由」めぐる深い理由. (2024, January 28). Livedoor News.

 これ、最高です。ぜひ多くの方に記事の本文を読んでみてほしいです。教授の考え方や実行した学生とそのプロセスが、自由への問いかけとして本当に面白いと思いました。

 僕の個人的な願望ですが、学びの場や人生、社会はこれぐらい滅茶苦茶な自由への試みを繰り返すものであってほしいです。

 世の中には色々な人がいます。色々な考え方もあります。それらのうちいくつかは「変だ」とか「おかしい」と言われてしまうことがあります。そう言われると「みんなと同じにしよう」となってしまいがちですが、そんなの寂しすぎます。それに、そんな世界はつまらないです。それぞれがその場で可能な自由を探していく世界の方が、ぜったいおもしろいと思うのです。

 ところで、僕の考える「自由」という概念は、万人があらゆる場で当然享受できる絶対的なものでも、個人が「自分は自由だ」と宣言したり思い込んだりするものでもありません。自由とは、その場や周りの人への主体的な働きかけによって相対的に得られるものだと僕は思います。交渉であったり、議論であったり、思いやりであったり。これはあまり好きではありませんが、競走であったり。自由には基本的に、そういう他者とのコミュニケーションが必要なのです。そしてそのコミュニケーションこそ、豊かな学びに成り得るのではないでしょうか。それを改めて示したのが、授業中に鍋をした学生とそれを許可した教授です。

 「手間暇かけて自由であることのディティールを確認する空間」としての大学。それが正しいかどうかはわかりませんし、今ここでそれを議論するつもりもありません。しかしその概念への問いかけとしての「授業中に鍋を食べる」という試みは、学びとして最高に新しく面白いものであり、また自由の形として理想的だなと思いました。

 それはそれとして、部室で輪読中鍋をするのはちょっと無理です。ごめんなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?