映画『ルックバック』感想:藤野にとっての京本

京本〜〜!!・・・死んじゃったの悲しい。映画ルックバック見てきました。公開終了前、滑り込みセーフ。色々と思うところがあったので、感想を書いていこうと思います。映画を見終わった直後の感想は、「つらぁ〜」でした。悲劇的な事件の後、日常に帰る歩みはとても地味なもので。日常は続くということの残酷さを感じましたね。あんな、小動物みたいな京本亡くなっちゃって。悲しい。その悲しみを抱える藤野の気持ちを考えるともっと辛い。尊かったな、京本。ルックバックの映画化に関して、賛否含めいろんな意見があると思うのですが、僕は京本に声がついて動いてるというだけで100点あげたい。生きてるって尊いですよ。生きてるだけでかわいい。誰かと一緒に過ごせるって何にも変え難いわけで。原作読んでたので、展開は全部知ってたんですけどね、、、つら〜っていう感情を胸に、映画館をでました。帰り道、原付を運転しながら、ラストシーンの意味を考えていたんです。ここでいうラストシーンとは、京本が亡くなってから、藤野が京本の家を訪れるシーン以降のことを指してます。藤野は自分のせいで京本が死んだ、くだらない漫画の世界によびこんだから、死なせてしまった、そう思い込んでしまってましたよね。まあ客観的に考えて全然違うんですけどね。自分を責める必要なんて全くない。でも当の本人がそう思い込んでしまっている以上、それを拭うのはなかなか難しい。人から慰めの言葉をもらったって、それを本人が心の底から納得できなければ、辛い状況から抜け出すのは難しいわけです。現にIFの物語では自分を責める必要ないよってメッセージがありましたよね。そのIFとは「もしも小学時代に京本と出会ってなかったら」。そのIFでは、結局京本は美大へ進学しているわけです。京本は背景を書くこと、絵を描くことにこだわりがあったので、そういう進路を取るのは自然な流れで、だから藤野のせいではないよってことなんですね。むしろ、私のせいで京本を死なせてしまったというのは、藤野の傲慢な主張とも考えられます。人の進路に対して影響を与えるというのはなかなか難しいわけです。でもなぜそういう心理に至るのかというと、藤野自身はめちゃくちゃ京本の言動に影響を受けているからですね。自分が影響を受けているのだから、自分も影響を与えているだろうと考えるのは当然のことで。藤野は一見すると自我が強い人間に見えるのですが、実はとても流されやすい。実は外に連れ出されたのは、京本ではなく藤野なんじゃないかなと思ってるんです。小学校時代、漫画を描くのをやめてしまったシーンがありました。集めた本や絵を描いたスケッチブックも捨ててしまいました。それは、周りからのゆるやかな反対があったからです。そこで自分を押し通せなかった。周囲の人間に流された。でも、再度漫画を描くきっかけを与えたのは、京本なんですよね。「藤野先生っ」と純粋な目で、ファンです、と。「なんで描くのやめちゃったんですか?」と。本当にピュアな目で藤野に問いかけていました。あのシーンの京本は本当にかわいかったですよね。なんか汚れなき生物感というか。不純なものが全くないので、ほんと美しいなって思って。やっぱり器用で不純より、不器用でもピュアな方が生き方としては美しいなって思います。その問答の帰り道、藤野はスキップで帰ってましたね。ようやく真の理解者が現れたからです。クラスのみんなや家族は、藤野の表面しかみていなかった。以前の称賛も、成長するに連れてなくなっていった。でも京本はまっすぐに藤野を見ていた。本当の意味での読者を藤野は見つけたんです。それは流されやすい藤野にとってどんなに心強い存在だったことでしょう。そんなに熱い言葉をかけてくれる人がずっといなかったんだから。その出会いをきっかけにして、藤野はまた漫画を描き始めることになります。京本と一緒に。以後、藤野を最後まで支え続けたのは京本です。僕はこの出会いのシーンは本当に偶然がたくさん重なったシーンだなって思ったんですね。まず、先生が藤野に卒業証書を預けなかったら、藤野が卒業証書を受け取らなかったら、この出会いはなかった。きっと他の先生だったら藤野に預けなかったと思う。それに、藤野が人の家に勝手に上がりこめるようなやつじゃなかったら、玄関先に卒業証書を置いて終わりです。スケッチブックの山を見ることもなかった。そういう小さな偶然や選択によって、京本と藤野は出会っているんですね。ほんと、運命って何で変わるかわかんないなぁと思いました。えっと、確かラストシーンの話をしてましたね。あのシーンでは重要な問いがあるんです。それは「じゃあなんで藤野ちゃんは漫画を描いてるの?」これです。この問いに対するアンサーが、また藤野が漫画を描き始める理由になってると思うんですよ。で、思うにこの答えって一つじゃなくて。複数あるなって思うんです。まずひとつは、京本が藤野の漫画の続きを待っているってところですね。ラストシーン、藤野は京本の部屋に入ります。そこで見たのは、重複して買われた単行本と、机の上にはアンケート。これは、京本が子供の頃と変わらず藤野のファンであったこと、一番の読者であったことを表しているとおもいます。そして、ドアにかけられた、自分のサイン。京本の服の背中にでかでかと「藤野歩」って書いてましたよね。あれを見て、藤野は、京本が一番の読者であったことを思い出したんだと思います。そして、天国にいった京本が藤野の現状を見て何をいうか。それは「なんで描くのやめちゃったんですか?」。これだと思います。それはIFのシーンをみていても明らかで、大学生になった京本が藤野に対して投げかけてましたよね。なんでやめちゃったんですか?って。藤野には漫画を描き続けてほしい、なぜならファンだから、という思いは京本が死んだあとも消えない想いだし、それを藤野が無視することはできないと思います。結局、藤野はもういちど京本に救われてるんですね。幼少期の再現じゃないですか。一度目は四コマをやめたとき、二度目は、連載を休止したとき。一度目も二度目も連れもどしたのは京本です。一番の理解者が死後もきっと、私の漫画の続きを待っているということ。それだけでも、漫画を描くに値する十分な動機だと思うんです。それにですね。ペンネームは、藤野キョウなわけで。連載間際まで一緒にやってきたわけです。京本は一番の読者でありながら、相棒、戦友でもあるわけです。京本の悲報を聞く直前、アシスタントがなかなか見つからないシーンでより強調されていたと思います。藤野にとって京本は、精神的にも技術的にも代わりのいない相棒だったわけです。漫画を描かないということが何を意味するのか。それは藤野キョウの死です。これは京本の二度目の死を意味すると言えるんじゃないでしょうか。いままで積み上げてきたものは京本という存在なしでは絶対に語れないし、ペンネームにも京本を背負っているわけです。それは過去から現在まで続く地続きの物語なわけで。描き続ける限り、京本という存在が藤野の中で消えることはない。だから、描き続けよう。なぜ漫画を描くのかという問いに対しては、そういうアンサーもできるわけですね。あとひとつ、藤野が描くに至ったであろう動機について思うところがあります。それは、突然現れた4コマです。不審者を藤野がキックで吹き飛ばすという4コマが出てきました。最初、あの四コマを描いたのは藤野だと思ってたんです。現実的に考えて、京本があのシーンを描いてるのはおかしいと思ったから。だってあの暴行事件で京本は亡くなってるんだから事件後にかけるはずがない。だから、小学生時代、初めて京本の家を訪れたときのように、無意識で描いた漫画だと思ったんですね。この現状に蹴りをいれるために。だけど、家に帰ってから原作を注意深く読み直したら、やっぱり京本が描いてたみたい。おそらく、事件の前にたまたま、類似したシーンを描いたんだと思います。そんな偶然あるのかと思うのですが、だからこそ藤野は驚いた。京本からのラストメッセージですよね。あのとき幽霊になった京本が部屋にいたのかもしれません。なぜ京本が四コマを描いていたのかはわかりません。IFのシーンで流れていたように小学生時代のスクラップブックに貼り付けた四コマをみて懐かしくなり、描いてみたってところでしょうか。京本にとって藤野はまさにヒーローでしたから。ああいうシーンを描いたのでしょう。オチも小学生時代の藤野に影響されたような展開のさせ方をしている気がします。窓に貼り付けられている四コマを見るに、合計8本の4コマを描いて、窓に貼り付けています。原作の最後から4ページ目を見ればわかるように、あれは空白の四コマじゃなくて何かしらが描かれている。つまり、京本が自分で描いて窓に貼り付けてるんですね。そして、部屋から飛び出してきた四コマが貼られていたであろう場所は空白になっている。あの四コマで藤野は救われたはずです。藤野自身がどうにもならない現実に対して、蹴りを入れたかった。それが漫画ではできた。藤野はその4コマを通じて心が少し軽くなったんじゃないかなって思うんです。どうしようもない現実にケリをいれられるのは漫画だけだ。そう思ったんじゃないですかね。自身が漫画に救われることで、また漫画に向き合おうと思ったのではないでしょうか。そして、まあ色々と書いてきたけど、結局、なぜ描くのか、描いてきたのかという問いに対しては、楽しかったから、京本と描くのが。というシンプルな答えに帰結するんじゃないかなって思います。もちろん楽しいだけじゃなかっただろうけど、漫画を描くという行為は亡き親友とも思い出でもあるし、青春を共にした象徴でもある。そして自分が自分でいられる、自分が情熱を一番注いできたものでもある。そのアイデンティティとも呼べるものを切り離せるはずがないんです。京本が亡くなってから、相当な葛藤があったのだろうと思います。だけど、京本の家を去るとき、雪を踏み締める歩みは確かに前を向いていたと思います。そしてそのまま仕事をするシーンへと入りました。実に地道な歩みの再会です。でも、そこには確かな覚悟の芽生えを感じました。藤野、歩という名前にぴったりじゃないですか。幼少期、京本に褒められた帰り道、スキップで帰った歩みとはもう全然違うし、そこには深い悲しみがある。だけど、それでも京本を忘れないために、天国で待つ京本のためにも私は漫画を描き続けよう。そんな決意を見せて、映画は終わったような気がします。ふぁ〜、せつないねぇ。『ルックバック』意味は、振り返るです。なぜ振り返るのか。それは、京本の存在が漫画を描き続ける動機だからだと思います。京本がいたから、自分の漫画をすごいと褒めてくれたから漫画を描いてこれた、そしてそれは今も変わらないのでしょう。ルックバックは、背中を見ろとも訳せますよね。幼少期、京本の背中に描いた、藤野歩のサイン。それを心から喜ぶ京本。一番の読者である京本をギャフンと言わせるため、「ふ、藤野先生は、やっぱり天才だぁ〜!!」と天国にいる京本を喜ばせるために、今日も藤野=藤本タツキは漫画を描くのだろうと思います。

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