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エッセイ「波とか心臓」


子供の頃、お風呂につかりながら溜まったお湯を、手で揺らしながら遊んでいました。そっと押してみると、波は浴槽の端にあたって跳ね返り、また返ってきます。もっと強く押したら、当然もっと揺れる。

強く押したら強く返ってくる。これは自然の摂理だし、僕ら人間も自然から生まれた動物なので、例外じゃない。2021年の12月の個展で、再確認したことです。



2021年の12月14日~19日。友達のお店で、個展&弾き語りライブを行いました。展示したのは、パステル画やエッセイ、4コマ漫画。

展示を行った動機はいくつかありますが、一番大きい動機は、個人的に悩まされた精神疾患が根底にあります。

本当に辛い思いをしたので、展示を通じて同じ境遇の人や予備軍の人達に、何か役立つ情報を提供できるのではないかと考えたんですね。結構、おなじように悩んでる人多くて。

会場にいらしたお客さんの話を聞くと、予想通り、というのは変ですけどやっぱりみんな不安を抱えていたんですね。

強く共感できる部分があったんだろうと思います。多くの方に声をかけていただきましたし、出した物を肯定してもらいました。

「素敵ですね」とか、「すごく分かります」とか「同じように困っている友達にも紹介します」だとか。そういう風に肯定してもらったり反応がもらえることは、やっぱりうれしいじゃないですか。

そうしたやり取りに、相手と僕との繋がりを感じずにはいられませんでした。「与えてるのに貰ってる」感覚。

それはすごく体温を感じるものでした。相手の心臓と自分の心臓が血管でつながったような感覚。僕の鼓動によってドクン送られた血液が、相手の体を巡ってドクンと送り返される感覚。強く押したら強く押し返してくれる。波みたいだし、シーソーみたいです。

ね、ほら。僕ら人間も、結局自然の中から生まれた動物で、摂理からは外れないわけですよ。

自分がこの世界で心地よく息をしていくには、まず波を起こすことが重要なんだと本当に思いました。相手の体に当たった波は、跳ね返ってこちらに返ってくる。これが自然の摂理です。

もらうこと、与えられることばかり考えていると、結局苦しくなるのは自分だったりするんですよね。波とか、揺らぎとか、流れとか。言い方はなんでもいいけど、とにかく自分から動いたほうが、積極的に与えたほうが多くのものが自分に返ってくると感じています。

返報性の原則とか、ギバー、テイカーとかつまらない言葉で片づけちゃだめよ。だって、このやりとりには、体温があるんだから。

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