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日記:背中を押す怖さ【24.06.13】

東京の友達とLINEで話をしていた。そいつは音楽をやっていて、もうかれこれ東京で7年くらいやっている。けど、ずっと必死にやっていたかというとそうではなく、わりといつまでもウダウダやっていた。でも、最近はちょこちょこ動いていて、いい傾向だなと思っていた。

だけれど、やっぱりなんとなく動きがニブいのを感じていて、僕は、本当にやりたいことや成したいことは別にあって、でもここまで時間がたってしまったから拗らせているんじゃないかなと思っていた。僕はそういう人間を何人かしっている。
思うに、彼が語る夢の中には自分の成したいことというのは大まかに入っているのだろう。だけど、完璧に的を得ているのかというとそうではないのだろうと。自分が本当にやりたいこととか、望んでいることに素直になれていない、ただしく把握できていないから動きがニブいんだろうなって思っていた。もちろん人のことを言えるほど僕も自分自身のことを把握しているとはいえないんだけどね。それはみんな日々過ごしていくなかで、自分に問いかけてすり合わせていくものなんだと思う。

それでも、彼の夢はいまだにふわふわしている輪郭が大きすぎる気がした。だから僕は、それまで幾度となく、自分に素直になったほうがいいよ、自分が望んでいるものを明確にしたほうがいいよって伝えてきたんだけど、なんだかわかったようなわからないような感じで、そのときはわかってるような返事をするんだけど、しばらく時間をおいて話をしてみるとやっぱりあんまりわかってなかったりする。僕は彼ではないので、本当のところは何もわからないけど、彼自身、動きがにぶい現状や今の過ごし方に満足はしていないようで思うところはずっとあったのだろう。

それで今回色々話をしていて、彼から「音楽で成功しなくてもいいのかもって思ってきた」と伝えられた。僕はあんまりびっくりはしなかった。そういう感じはずっとしたから。
でも話を聞いていると、音楽をやめてしまいそうな感じがしたので、おいおいまてよと。やめる必要はないよ伝えた。みんな極端すぎる。音楽をやるか、やらないか、この二択で考えすぎる。そうじゃなくて、ペースを落としてゆっくりやるとか、一日にやる時間を減らしてみるとか、そういう選択肢をとればいいだけの話であって、なにかべつにやりたいことがあったり、問題がおきたわけでもないのに完全にやめてしまうのはおかしい。そういうふうに伝えた。
僕はこのとき、背中を押すことの怖さをとても感じた。僕はよかれと思って、彼に自分の意見を伝えてきたんだけど、彼がゆっくりではあるものの7年ほど続けてきた音楽活動の方針を変えるきっかけを作ったのは僕だ。そういう重要な選択に携わることの怖さを感じた。うん、わかってる。どんな選択も、選ぶのは本人だし、他人に何かを言われたくらいで変えるような方針は続かない。彼自身思うところがあったから、それを選んだのだ。
僕は誰に言われても音楽をやめないし、こうやって文章を書くこともやめない。他人は関係がないからだ。
だけれどやっぱり、他人の重要な選択に携わるというのは怖い。今回話をしていて、自分が話すことばの影響力というのをすごく感じた。きっとこういうことは日常の中で絶え間なく行われていて、誰かの言葉が誰かに影響を与え合いながら生きているのだろう。そう考えると、みんな作家だしアーティストであると言える。意見のない人間なんていない。それを伝えるかどうかの違いはあるけれど。誰と付き合うのがいいとか、その人はやめとけとか。このアプリがおすすめだとか。それも意見だ。小さいにしろ大きいにしろ、影響を与え合いながら生きている。だからこそ、自分が扱うことばが誰かに影響を与えうるという可能性は忘れずにいたい。


きっとこうやって、彼自身が何かに気づいて変化を起こそうとしているのはいいことなんだと思う。人生は一度きりだし、過ぎゆく時間は戻らない。いつまでもウダウダしているよりも、自分が望んでいるものを正しく理解して素直にそれを手に入れようとしたほうが楽しいし、後悔がない。きっとこれから、そういうものを彼は探すのだろう。彼は言語化が苦手で、外側に生きている人間(陽キャ)なので、少し時間がかかるかもしれない。僕も時間がかかったし、今も、そしてこれからもそういう自分を把握するための言語化は繰り返していくだろう。
彼自身、もしかしたら、やっぱり音楽がしたいんだとなって、元の位置に戻ることもあるかもしれない。いつも彼はふわふわしているので、そうなる可能性も十分ある笑 いずれにせよ、僕は彼がとる選択を応援するし、迷ったときは話をきいたりするだろう。こうやって書いている僕も何度もまよったり間違ったりしているから、偉そうなことは何もかけない。だけど、そういう中で気づいた部分もたくさんある。そこは彼よりも、そして他の人よりもたくさん考えている自負がある。彼に僕の考えを伝える以上、僕自身が行動で証明し続けなければいけないだろう。というか、そうでありたい。

僕の本心では、これ以上音楽仲間がいなくなるのは寂しいので、のんびりでもいいから続けていてほしい。そして、それは彼にとってもいいことのような気がする。なんせ7年近く拗らせているから笑 彼は呪いといっていたが、まあ縁ということで、別にやめる必要はないんじゃないかな。

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