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日記:美意識を押し付けてほしい【24.06.18】

 明日から沖縄に行くので、その前に髪を切らねばと思い、今日の昼間は床屋にいってました。僕がいつもいくのは1000円カットのお店。昼間のサービス時間だと、680円で切れます。安すぎる。そしてだいたい20分もかからずに切ってくれるので、ストレスすくなくてよきです。にしても安いですよね。僕はこのお店がちゃんと経営できているのが不思議でたまりません。しかも謎にチェーン店なので、僕の住んでいる地域だけでも3店舗もあります。儲かってるってことだよね。
 はい。まあ僕はそんなこんなでだいたい月1回くらいのペースでいってます。当然いろんな美容師さんに切ってもらうことになるのですが、あたりはずれがあるんですね。一応指名もできるんですけど、サクッと切りたいのでとくに指名とかはしません。というか、名前を認識する方法がなぜかないのでそもそも指名ができませんし、日によって出勤している人が違うので指名しようとすら思わないですね。もし指名してほしいのなら、せめて名札とかつけといてほしい。

さてさて、結論からいうと今日は上手じゃない人の日でした。まあ切る前からあんまり上手じゃない人っていうのは把握してたんですけど。前回と同じ人だったので。けど、まあ前はたまたまかな、大丈夫だろうと思ったら、やっぱりちょっと微妙という。で、失礼な話、なぜこの人は微妙なのかなっていうことを髪を切ってもらいながらぼんやり考えてたんですね。ホントすいません。
 たぶんですね、お客さんに迎合するタイプの美容師なんですよね。で、お客様主体で話をすすめるタイプの美容師は微妙な美容師多い説。もちろん人にもよるんでしょうけど。というのも、当然髪を切ってもらう前には要望を伝えるでしょう?僕はだいたいいつも「髪を切ってから1か月たったので、長いところ、ぼさっとしているところを切ってすっきりしてください。そこまで印象は変えなくて大丈夫です」って伝えるんですよ。要は、別にどんな風に切ってもいいから、変になっているところ、重くなっているところを切ってさっぱりしたいわけです。でも、今回の美容師の方は、僕の要望を聞くときに「じゃあ1センチくらい全体的に切りますね」っていう確認をとるんです。僕からしたら、1センチでも2センチでもなんでもいいんですね。とにかく美容師さんの主観で判断してほしい。だいたいわかるじゃないですか、ここ伸びすぎてるなあとか、そういうの。だからお任せしているわけです。でも、あんまり上手じゃない美容師さんって、その成功の可否、美意識をお客さんに委ねている部分があるんじゃないかなって思うんですよ。だからその物差しとして数字を使うんじゃないかなと。「1センチっていう注文でしたよね、1センチに切りましたよ」と。事前に何をするのかを数字でシェアすることで、お客さんを納得させたいんじゃないかと思うんです。でも、普通に後ろとかまだボサってなっててちょっと変なんですよね。なので「すいません、もう少し後ろを切ってもらえますか?」みたいな注文をするわけです。そしたら、髪を切り終わったあとに、後ろは2センチで切りましたみたいなことをいうわけです。僕はべつに何センチでもいいですよ。
 僕はね、とくに美意識っていうのは主観で判断して押し付けたほうがいいと思うんですよね。ごはん作るときだってそうじゃないですか、自分がおいしいと思った味で食卓に並べるわけでしょ?自分はおいしいと思わないけれどなって思って出した料理って、反応もよくないです。結局、そこの意識の部分ってあんまり個人差が大きくわかれなかったりするわけですよ。みんな焼肉すきでしょ?寿司好きでしょ?そういう大衆性の部分。だから、主観を信じて、ざっくりと要望だけ聞いてやってほしいわけです。こうやって何センチきります、みたいなことをやっても別に美容師も面白くないと思うんですよね。さすがに個人の感じ方まではわからないんですけど。でも、ある程度自由にやれる部分があったほうがきっと楽しいですよね。で、べつに1000円カットなんで、強いこだわりがある人ってほぼいないと思うし、そこまで求める権利もないんですよ笑 だから、自由にやっちゃって~って感じなんです。同じ1000円でも、そこらへんの塩梅がわかってて、ざっくりと僕の要望だけきいてスパっといい感じに仕上げてくれる美容師さんもいるんですよね。それはきっと主観で良し悪しを判断してるから。まあ経験量とか技術量とか、そもそもの何をよしとするのかっていう基準のちがいとかもあるんでしょうけどね。だけど、数字を使う美容師さんはちょっと怪しいくらいに思ってぜひこんどチェックしてみてほしいです。
 ともあれ、安いし早いしで、価格に見合う価値は提供してもらっているので特に文句はないです。どうせすぐ伸びるし、別に失敗しているわけでもないしね。沖縄いく前にさっぱりできてよかったです。

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 話は変わって、お昼は本屋にいってました。芥川龍之介の羅生門を買いたかったんです。まあ結局パラっと読んだだけで買わなかったんですけどね。代わりに別の本をいくつか買いました。
 小説を読んでみたいなと思ったんです。普段小説は全然読まないんですよね。まともに読んでいたのは中学の朝読書の時間くらい。本は定期的に読んでいるんですけど、哲学書とかビジネス書、エッセイばかりで、とにかく小説は読んでこなかったんです。だから、小説を読むという行為に対して少し憧れがあって。それに最近こうやって文章をカタカタ書いているので、綺麗な言葉に触れたいというのもありました。
 で、最近見てるアニメで、芥川の羅生門について言及しているシーンがあったので、そのときにちょっと読んでみたいなと思って今日足を運んだわけです。まあ結局買わなかったけど。
 なんで買わなかったのかというと、シンプルに言い回しが難しかったり意味が分からない単語がいくつかでてきたからです。注釈で説明してくれてはいましたが、いちいち参照するのは面倒だなと思ってしまいました。でも言葉の扱い方は綺麗でしたね。でも、言葉の勉強をするために小説を読もうとするのはなんかちがうようなとか。そんなことを考えながら、僕はやっぱり思考する人間なので、哲学や思想に興味があるんですね。で、哲学のコーナーに置いてあった本をちらっと読んで。とてもきれいな言葉づかいだなと思ったんです。そのときに、ああもう、素直に興味に従おうと思いましたね。なんか、小説はもっと簡単なやつから、休みの日とかにばーっと読んで、日々の読書はこういう哲学書とか思想書を読んでいようと思えたんですね。だってそっちに興味があるし、結局そこでも言葉の扱いはどんどん学べるから。
 でも小説も読んでみたいんです。だから、ぶらぶらしながら、なんとなく目についた瀬尾まいこさんの小説を一冊買いました。文体がとても自然で読みやすかったからです。まずこういう素直そうな文章から読んでいけばいいやって思いました。それものんびり自分のペースで。小説になにか文学性を求めてみるのをいったんやめました。純粋を体験するツールとして、触れてみようと思います。
 やっぱりなんだろう。図書館とか本屋って、自分と向き合う場所だなあと思います。だって世界の縮図じゃないですかあそこって。だから、何に目を奪われるかっていう部分で、自分のことを把握できるんですよね。今日はあらためて、思想や思考に興味があるんだっていうのが分かって、で小説に関してはあきらめというか、僕は結局考えることが好きなのだからそういう書籍にあたればよくて、小説は無理せずのんびり読んでいこうと思えたので良き日でした。


でわでわ、明日から沖縄です。一応できる範囲でnoteの更新はやろうと思います。それもひとつの挑戦なので少し楽しみ。

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