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もっと積極的に、わがままに

他人目線を崇拝しすぎるのは良くないと最近感じている。

なぜかというと、偽善に走ってしまうからだ。

確かに、他人目線の視点で自分の行動を考えることは重要である。何に重要かというと、僕たち人間は1人で生きているわけではなく、自分以外の誰かとコミュニティをつくり、その中で生存しているからである。つまり社会を形成し、そこで生きていくためであり、他人目線とは生存につながる視点だからだ。

ただ、それと紙一重なのがその生存本能の裏返しである「偽善」につながる場合だ。

例えばビジネスシーンだと、自分の考えよりも相手の考えを優先することは必ずしも良いことだとは限らない。

むしろ、自分の意見を求められることが多いだろうし、そこで自分の意見を殺して他人の意見を尊重することは一見すると良いようにも見えるが、これは思考停止の行為である。

わかりやすく言えば、イエスマンになっているわけだ。自分の意見を言えない、もしくは考えることすらできない人間に価値は生み出せない。

僕が他人目線によりすぎるとまずい理由はこの場合にあると思っている。
イエスマンの目的はなんだろうか。
僕は、イエスマンは他人目線による誰かを尊重することではなく「自己防衛」にあると踏んでいる。
つまり、イエスマンは自分の意見や存在を否定されることを恐れており、自分の意見で誰かと衝突することで今ある環境を維持しようとしているわけだ。

さらに、今回のようなケースは無意識のうちに行われている可能性があることにも注意しなければならない。

今回はわかりやすい例を出して説明をしたが、僕の場合だと、進んで面倒な業務を行うために手を挙げたものが、実は自分の直面している業務から身を引きたいという無意識下で意思決定された逃避行動であったことに後から気づいたパターンがあったりする。

これは自分の意識では社内の役に立ちたいと思い手を上げた行動が、実は自分の利益を優先するためだったということが判明したということで、自分ではこれを後から気づくのだ。要するに秒速で自分の利益のために建前を考えついたわけである。

僕は自分の気づかないところで自分が勝手に意思決定を下している怖さを覚えたわけだ。
だから、他人目線は大切だが、それによりすぎると良くないのはセコい人間になると気づいたから、これは良くないと思ったのだ。

それならむしろ、もっとわがままに積極的に動いた方がいい。

建前ではなく、自分の利益と誰かの利益のために動いていることをシンプルに口に出せる動き方をすればいいと思った。

営業トークならまだしも、それをする必要がないところで建前をいちいちつくって自分の利益を確保する能ある鷹のようなことをするのは自分の価値観に反するところがある。

平気な人は別に気にする必要のないテーマだと思うけれど、僕はただ率直に素朴に生きたいから、こういったちっちゃいことだけど、こういう小さなところに自分の思考って現れるから面白い。

今日も良い一日にします。



2024/03/10

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