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自意識過剰病

自分で自分の身動きを取りづらくしているときってないだろうか。

頭に思い浮かんでいる行動にまるでブレーキがかけられているように、その行動を取れない時がそうだ。

なぜそんなことになってしまうのだろうか。
今回はそれを考えてみる。

たとえば、大勢の前で何かをやろうとすると恥ずかしくなる。これは自然なことだと思う。

広い体育館の壇上に自分が立っているとする。
目の前に700人くらいの全校生徒が座ってこちらに視線を集めている。

今からその大勢の前で演説をしないといけない。

ものすごく緊張する。手足が勝手に震える。頭が真っ白になりそうになる。スポットライトの熱で余計に体温が上がる。

そんな情景を想像してみたとき、じゃあ目の前に誰も人がいなかったら同じように緊張するのだろうか。
いや、おそらく平然としていられる人の方がほとんどではないだろうか。

しかし、一方で何百人もの人々がステージ前で自分の話を聞いていようと、緊張しない人もいる。

この違いは何だ。

そういう場数を踏んでいれば、それは慣れによる免疫ができているからかもしれない。
それでも、多少なりとも緊張するものだろう。

そうでもなければ頭のネジが飛んでいるのだろう。とにかく、緊張しいの僕からしたらそんな人は羨ましくてたまらない。メンタルがタフとしか思えない。

緊張する人としない人の1番の違いは何なのだ。
結論はいまだに出ていない。

しかし、仮説はある。

緊張する人間は臆病な気質があるように思う。ある意味、防衛本能が高いともみれる。これは気質なのでどうしようもない。自分でコントロールできない。

じゃあ、自分でコントロールできる部分もあるのではないか。そう考えたときにピンときたのが「自意識過剰」だ。

簡単に言えば、余計なことを考えているのだ。

失敗したらどうしようとか、これを言ったら嫌われるかなとか、そういったことで頭をぐるぐる回転させているのだ。

つまり、自分にマイナスな影響が出ることを恐れている状態。自分の経験や想像力によって自分をがんじがらめにしてしまっていることを指している。

例えばさっきの演説のシーンを回想すると、もし目の前の監修が小さな子供たちだったらどうだろう。
緊張の度合いが大人に話すのと比べてかなり小さくなるのではないだろうか。

しかし、大人を前にすると身構えてしまう。

シーンは一緒でも対象が大人か子どもかで、心理的な負担が異なる。

これはどうしてだろうか。

そこに隠れているのが「自信」だ。

つまり、失敗する確率や演説で求められるレベルなど、そういったものが自分のスキルやレベルの範疇なのか、それとも、それ以上なのかというところが大きく要因しているように思える。

それはつまり、「自信」に直結する。

自信が持てる時は問題ないが、自信がないときは失敗を恐れ出したり、嫌われないかと頭がぐるぐるし始める。

ここから導き出せるのは、実は緊張しやすい人は自分中心の考え方が強い人なのかもしれないということだ。

なぜなら、目の前の観衆のために頭を動かしているのではなく、自分がダメージを受けることから逃げるために、頭が動いているように見えるからだ。

しかし、他人からすればどうでもいい内容なのだ。
だから、自意識過剰と整理したわけだ。

対策としては、自分が傷つく勇気を持つことと、目の前の観衆に喜んでもらえるように努力をする方向に頭を動かすことの方がよっぽど重要だろう。

だから、緊張していたり身動きが取れないような状態のときに、人や環境のせいにしてばかりでは前に進めない。

誰かのために動いて、それでも傷つくことがあるのならばそっちの方がカッコいいではないだろうか。

そう思って、思考のスイッチを切り替えようと振り返った。

今日も最高の1日にします。

2024/04/10





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