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真っ白なアルバム

てっくとっくはナニモノだ?

時は大SNS時代ッ!!

あまねく人々がスマホ片手にあらゆるモノをパシャパシャ撮りまくりSNSにアップすることで存在の承認を求める混沌の世!!

商業化された承認欲求を煽られ、ぶら下がる札束にあわよくばと下心をくすぐられ、肥大化した人々の自意識を燃やしながら回るプラットフォームにおいて、自ら発信しない者は存在しないのと同義であるッ!!

我も発信したい――ッッ!!

シケってカスカスになったソフト煎餅みたいな人生を送っている私にだって、そういった欲はある。
珍しい写真やおもしろ画像や動画、社会の病理を抉る気の利いた発言を連発してはウケてバズってあわよくば小金をちゃりんちゃりん鳴らしたいのだ。

――でもよ、発信するもんがねんだわ。

まずやる気がない。
学が無ければ頭も悪い。
スマホのフォルダは安酒とエナドリで埋め尽くされている。
ほとんど引きこもり故、日常で面白いイベントに出会うことも無い。

あゝ、悲しい哉、空っぽな人。

素材がない 素材がない ホントのことさ

とまあ、ひとしきり悲観したところでここからが本題。
空っぽな人間であることで物理的に死にはしない。
しかし空っぽであることは時として具体的な障害になりうるのだ。
例えばこうして何かを発信しようとした時に、それを実現するだけのリソースやアセットに乏しい。
もっとピンポイントで言うと、

アップする画像がない。

上にも書いた通り、スマホの中には酒とエナドリの写真しか入っていない。
マジの話である。すると何が問題になるか。
例えばこの記事のトップになにかしらの画像を乗せようと思っても、適当なモノが見つからないのだ。

みてこれ、終わってる人のフォルダだよ。

わかってる。
画像なんかフリーの素材を借りてくればいい。
それは十分わかってるのだけれど……それでもやはり、終わってるフォルダを開く度に「終わってる」と謎のショックを受けてはメンタルが終わってしまうのである。
もうこうなったらイラストでも描くしかないのだろうか。

――と、終わってる画像フォルダを晒して精神的なリストカットを果たしたことで日記の代わりとする。

虚無ッ!

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