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10年間忘れられない沖縄のある景色

僕の通っていた中学校では、3年生になると修学旅行で沖縄へ行くのが恒例だった。東北から沖縄となるとかなりの長距離だったが、普段雪ばかりの北国の住人からしてみれば、気候も文化も違う沖縄への期待は計り知れないものだった。沖縄の街並みや美しい海。そして何より、気の知れたクラスメイトと共に沖縄へ行くことに、何ヶ月も前から心を躍らせていた。

でも、旅を通じて記憶に残ったのはある景色だけ。それは10年以上経っても記憶の中にはっきりと残っている。美ら海水族館のジンベイザメでもなく、当時消失前だった首里城の本殿でもでもなく、ホテルで火災警報器を作動させ担任団からしこたま怒られた挙句、3日目から別行動を取らされた野球部のヤンチャグループでもない。

国道沿いから見える海岸の光景だ。

2日目の午後。平和学習の一環でひめゆりの塔へ向かうバスの車内。隣に座っていた坂本君は前日夜通し騒いでいたせいか、口を大きく開けて爆睡していた。

数分前から窓に映るのは、一面に広がる蒼い海。雲ひとつない空も相まって、芸術品のような美しさに息を呑んで夢中になっていた。いつまでも、いつまでも見ていられる気がした。

突如、バスはスピードを落とし、間も無くして路肩に停車した。僕たちのクラスを担当してくれていたバスガイドさんがマイクを取る。
「皆さんの右手には、美しい沖縄の海が見えると思います。沖縄が世界に誇る美しい海ですが、この海は戦争中、崖から身を投げ、自決した人々の血で真っ赤に染まりました。海の奥にはアメリカ軍の戦艦が押し寄せ、蒼く美しい海は少しとしてなかったと言われています。自決した人の中には、皆さんと同じくらいの年齢の方も沢山おられました。この海も、平和だからこそ美しくあります。皆さんはこれからひめゆりの塔へと足を運ぶわけですが、こう言った景色の一つひとつにも戦争の記憶が残っていると感じていただければと思います。」

言葉が出なかった。バスガイドさんの話を聞かなければ、美しい沖縄の海として記憶の片隅に残り、やがて忘れていた。我々観光客が美しいと感じる景色でも、沖縄の人にとっては辛く悲しい戦争の記憶の一部だと。中学生ながらその認識の差になんとも言えない気持ちになった。
おそらくだが、世代的にガイドさんは戦争を経験していない。きっとガイドさんの祖父母をはじめとした沖縄の先人から話を聞いたのだと思う。生まれた時からずっと。先人の記憶が地肉に染み込むほど、聞き、学んできた事が容易に想像できた。ガイドとなれば尚更だ。そう思うと、付け焼き刃の知識で沖縄に来て、たかが数日で施設を回り、平和の礎の前で合唱して平和学習をした気になっていた自分たちが猛烈に恥ずかしくなった。

あれからおよそ10年。沖縄へは行けていない。沖縄戦をはじめとする戦争に興味を持って、自分なりに学んでいるけど、きっと沖縄の人たちの戦争への思いは心から理解できていないと思う。それはきっと理解力とか気持ちとかそういうものではなく、その土地に生きる人とそうでない人の、根本的な差のように感じる。

でも、それでも、今度行く時は少しでも思いを理解できたらいい。そう思いながら、今日もいつかの沖縄への旅の計画を立てている。

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