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令和哲学カフェ(令和3年10月25日)の感想

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昨日開催されたオンライン参加の実践型プラットフォーム「令和哲学カフェ」で気付いたこと感じたことを書きます。(カフェの内容については書いていませんので、脈絡は分からないかもしれません。 また、私の受取りミスや理解不足もあるかもしれません。)

<プレゼンテーション>
今回から、喜多島さんのナビゲーターで、「死と再創造」をテーマにスタートしました。 喜多島さんは、先日のDignity2.0国際カンファレンスの中でも、ご自身の変化ストーリーやショック事件について語られていて、感動ものでしたので、今回も楽しみです。

<お題「一番価値が高い死に方とは、どんな死に方なのか?」>
「死に対するイメージとは?」という軽々しく扱ってはいけないテーマだったので、慎重に考えて言葉を発するところなのに、ノさんの矢継ぎ早の質問がすごかったですね(笑)。 最初の問い掛けの「価値高い死に方とは?」に対して、私の中で引っ掛かるものがありました。 人間は、観点・判断基準を使って、人の死に対して、意味付け・価値付けしてしまいますが、果たして、価値付けしてよいものなのか? 人間は、自分が死なないと、死とは何かが分かりません。 ましてや、他人の死については、本当に死んでいるのかどうかすら、科学的にも分かりません。 死とは何かが分からないのに、死に方の価値について話してしまうと、特攻を美化したり、信念や信仰によって曲解してしまう危うさがあると思います。 戦争で亡くなった子供の死は価値が低いのか?犯罪を犯した人の死は価値が低いのか?事故で亡くなった人の死は価値が低いのか?戦争を指揮した軍人の死は価値が高いのか?経済的な競争に勝った利益の一部を社会貢献に寄贈した人の死は価値が高いのか?
この死とは何か?生とは何か?について、明々白々に答を出し、死も(存在し)ない!生も(存在し)ない!と言い切れる令和哲学nTechがあってこそ、この議論が成り立つと思います。 今回は、初日ということで、整理が起きないカオス状態でしたが(^^;)、他では語られることのない、このテーマに2週間取り組んでいくのが楽しみです。
ノさんが紹介されていたブッダの『スッタニパータ』も、この機会に読んでみたいと思います。

<インフォメーション>
令和哲学カフェは、平日ほぼ毎晩21時〜22時半まで、参加費無料!で楽しく開催されています。興味を持たれた方は、ZoomでもYouTube(視聴のみ)でも参加できますので、是非参加してみてください!

令和哲学カフェ
https://reiwaphilosophy.com

また、ノさん自身の令和哲学カフェ開催報告がメルマガに掲載されていますので、購読をオススメします。

21世紀の悟りを得た令和哲学者 Noh Jesu(ノ・ジェス)メルマガ
http://magazine.noh-jesu.com

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日も令和哲学カフェの感想を掲載する予定です。

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