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味噌は一発で決めろ

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

朝食をパンからご飯へ換えた。

【チャリ鉄の旅その2・山口編〜秋吉台と錦帯橋】

の際、 湯田温泉ユウベルホテル松政さんの朝食にて、温泉旅館のそれを食して、

『あ〜やっぱり朝の和食いいなぁ〜』

と思ったらから。

団塊世代は戦後すぐに進駐したアメリカとその文化の影響を色濃く受けているので、その世代である母親に合わせて、我が家もパン。一人だけズレても迷惑だけど、自分で用意することを約束してご飯と味噌汁を食すことにした。

納豆、エノキの佃煮、瓶しゃけにシラス、バラ海苔…etc。副菜はいくらでもあるので飽きない。出汁もまとめて取っておけば、あとは味噌を解くだけ。今日なんぞ、昨日の豚しゃぶの残り脂を掬って、刻んだ根深だけ足したら濃厚豚出汁味噌汁。旨っ!

そうやって朝から台所に立って味噌汁作っていたら、親方(僕の料理の師匠で【僕の蕎麦屋ができるまで②に書いてます)の言葉を思い出した。それが表題の言葉。

さて長くなったから続きは明日。

明日書きますって言っておきながら、少々経ってしまった。さて、続き。

かれこれ20年前(2002年)、料理修行をしていた頃の話。沼津の白銀町しろがねちょうにあった京懐石の店《懐石八千代》で、フツーより10年遅い料理修行をスタートしていた。大人数のスタッフを抱える大店ならば、通常は掃除洗い場・下ごしらえの調理補助を経て、焼き方・煮方・板前と進んで行くのが和食の世界のしきたり。しかし、僕が入った直後、10歳歳下の兄弟子が、仕事の厳しさにめげて*バックれてしまった。そして、それでも人員補充をせずに*親方と僕の二人で店を回すことになった。それゆえに、僕は全ての下仕事を一人でこなすことになった。

それはそれは大変だったけれど、それはそれでラッキーでもあって、なぜかと言うと、ほとんどの食材や調理に触れさせて貰え、とても勉強になったから。で、入って2年経っていよいよ《あたり=味付け》に進んだ段の、〆のご飯に添える味噌汁を作る際のことだ。

『味噌を解くときは一発で決めろ。それが美味しい味噌汁を作る秘訣』

と親方に言われた。料理屋なので、その時々で何人前作るのかは変わる。当然、食材や調味料の量も異なる。出汁こそ分量は決まっているものの、味噌はいちいちgを計らず目見当でやるのが和食。それを『このくらいかなー』とか『もうちょっと足してみよう』などと何度も味見と味付けを繰り返すと、大抵うすらボケた《美味しくない》味が出来上がる。理由は未だに定かでないが、間違いない。

『ちょっと薄めだけど美味しい』や『具材の主張に負けずに美味しい』などといった感じに、そのときの具材や出汁の出具合と味噌とのバランスがあるのだと思う。それは勢い《勘》を働かせて決めた方が良く、考えあぐねて迷いに迷って試行錯誤してはダメだということ。そしてこれはどんな料理にも当てはまり、今でも味付けの秘訣だと思っている。

…そんなこんなを想い出しながら、*泡立て器でスッと味噌を掴んで、出汁の中へと解く。多分この量で間違いないだろう。そして、味見して頷く。美味い。

『宗ちゃん、それで良いよ』

そんな声が天国から聞こえた気がして、ふと肩越しから、当たり前のことと言わんばかりに、ニコリともせずに指図する親方の姿が浮かんだ。

さて、ガンバラナシませう。

*バックれる…逃げること。昔の職人仕事の修行は厳しく過酷だったので、休んだまま逃げてしまう人が沢山いた。

*親方…故・菅沼一郎氏。料理の師。僕が彼の店《懐石八千代》を上がって半年後、42歳の若さで亡くなった。

*泡立て器…これで味噌を適量つかんで解くと便利。

#味噌汁 #蕎麦宗 #料理修行 #味付け  #湯田温泉ユウベルホテル松政 #5分で朝食


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