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蕎麦宗・外伝その1【スナックmoglie】

第一話 渡邊善次

隣のスナック「モリエ」さんが2019年12月に閉店した。だが、すぐに新規の店が決まったようで内外装の工事が始まった

moglieとはイタリア語の《奥さん・妻》という意味で、さしずめ『女将さ〜ん』といったところか。かれこれ40年近い歴史があるパブスナックだった。蕎麦宗が開店したその年2005年に、モリエのオーナーである渡邊善次(故人)さんは、常連客として度々脚を運んでくれていた。東京の生まれ育ちで、ピアノ弾きとして活躍していたと聞いた。「越路吹雪(故人)さんと組んで戦後すぐの日本中をドサ廻りした」話など、なかなか聞けないような話を沢山してくれた。当時すでに80歳を超えてたのでご存命ならば95歳位だが、残念ながら数年前に天寿を全うされている。

善次さんは、たいしてお客もいない開店したばかりの蕎麦宗をずいぶん応援してくれた。あの頃の三島は、バブル崩壊の陰が未だ色濃く残り、失われた10年そのままにとても暗い街だった。僕自身、自分の蕎麦や、特にインテリアや庭などの内外装には自信を持っていたが、来客する年配者にはしょっちゅう酷評されたものだ。なぜ洋食屋でもないのに煉瓦壁なのか…殺風景過ぎるから絵を飾れ…なぜ蕎麦屋のくせにジャズを流すのか…、蕎麦が少ない、天丼はないのか…うどんも作れ…etc。中には他店の甘ったるい盛りつゆをわざわざ持ってきて「これで勉強しろ」などと失礼極まりない輩もいた位だ。そんな噂を聞きつけるたびに「あんなセンスのない三島の奴等のいうことなんか聞くことはない、この店はいつか見てろって店なんだ」。そう言って僕を鼓舞してくれた。

今でこそ遠方からもお客さんが来て下さるし、ジャズの流れる雰囲気やインテリアも称賛していただけるようになった。時代や世代は移ろい、その風吹く中で自分自身がブレずに愚直に続けて来たからには違いないが、それは、善次さんのように応援してくれる方々あってのことだ。

そんな、まだ若かりし頃に想いを馳せつつ、モリエとの思い出をもう一つ語ろう。


第二話 ママさん

moglieのオーナーの渡辺善次さんが常連客として来てくれていた話に続いて、次はママさんの話。

moglie(モリエ)とはイタリア語で「奥さん・妻」という意味の、かれこれ40年近い歴史があるパブスナック。モリエのママさんはオーナー善次さんの奥様で、時折同伴で蕎麦宗に立ち寄ってくださった。同伴とはいわゆるデートで、ママさんと一緒に食事やゴルフなどに出かけ、その足で店に出勤するというもので相当なアップチャージが通常の料金に課金される。昔の男達は見栄っ張りで負けず嫌いなので、他のヤツに少しでも水を開けようとあの手のこの手でママさんを接待したものだ。

当のママさんもそれを承知で時に煽り時になだめ、男心をくすぐりながら所謂疑似恋愛を盛り上げるのが職業。だからその道の女性たちは皆、外見も会話や心配りなどの内面にも心を砕き磨く必要があった。実際、モリエのママさんも外で見かけるのは夜の時間帯がほとんどだったが、いつも小綺麗にしていて品があった。何年経っても年齢不詳な妖しい美しさは、夜の蝶そのものだった。

…昨年(2019)の師走のはじめの明け方、店の前でお会いした。遅くなった夜に、翌朝まで店内で泊まって帰るのは、スナックのママさん達にとっては日常のこと。すっぴんだからか、朝だからなのか、たいていは軽く会釈だけして、できるだけ人と顔を合わせないように足早に去って行く。その後ろ姿は、15年間変わらないように見えて「さすがにママさんも歳をとったなぁ」って思わせた。無理もない。善次さんの話から推測すれば80歳前後のはずだ。けれど、それ以外はいつもどおりなので、たいして気にも止めず、僕は近所の知人の持つ三島湧水の井戸へと水汲みへと出かけた。

ところがある日、店の前を通った時だ…

《空き店舗 入居者募集中》

知らぬ間に閉店して、不動産屋の看板が貼られていた。最後にお見かけしてからまだ一週間ほどしかたっていなかった。

第三話 立ちション事件

「モリエのママさん亡くなったんだってね」

常連客からその話を聞いた時、モリエの閉店から2ヶ月ほどが経っていた。隣の空き店舗にはベースボールバーができるらしく、そのバーの「店主の兄さんが挨拶しに来てくれましたよ」なんて話題を振った返答だった。
(2019年の暮れのはじめに僕がお見かけした後、ご病気(膵臓がん)で亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします)

とはいえ、スナックのママさんや小料理屋の女将さん達は逞しい方が多い。そりぁあそうだ、ただでさえ海千山千のおっさん達が、酔っ払って絡んでくるのを上手くかわしつつも、いつまでも恋をしているように自分の元に惹きつけ続けねばならない。そういう商売だからだ。

そんなモリエのママさんから教わったことで、強く記憶に残っていることが一つある。それは『事件』ともいえることだ。

では、その事件とはいかなることなのか。次はそれを語るとしよう。男性には身に覚えがあると思うが、ハシゴして飲み歩いている途中に、どうしても尿意を我慢できないために、ついその辺で済ませてしまう時がある。俗にいう「立ちション」というものだ。

蕎麦宗の2階に住んでいた時のひと頃、酷くその「立ちション」に悩まされた時期があった。
隣のモリエさんの入居する建物と蕎麦宗が借りている物件との間がちょうど人ひとりのスキマと暗闇がある故だが、度々それをされるものだから、色々と策を講じた。が、なかなか止まない。ご飯時や眠りばなに放尿のスゴイ音がするものだから気分を害する。
「街場に住むと」いうためには致し方ないことこもしれないが、正直勘弁してもらいたいと思っていた。

あまりに頻繁なので、いい加減頭に来て実力行使に出たこともしょっちゅうだった。その音に気が付いた時には下まで降りて行って、取っ捕まえて説教したり、中にはバケツと雑巾持たせて店の壁やそこに置いてあった自転車を洗わせたこともある。
今思えば、30半ばの若造に50〜60代のおっさん達が諭されるんだから、ちょっとやり過ぎた嫌いもなくはない。とはいえ、「立ちション」自体が下品な行いなのは確かだから、悪いことをしたとは思っていない。(ちなみに最近の若い人は行儀が良いのでしませんね)

ある日の夜のことだ。また、その「スゴイ音」が聞こえたものだから、勢い切って階下におりると、立派に背広を着た二人連れのおっさんが見えた。その片方が用を足し終えると、待っていたもう片方と二人揃って隣のモリエへと入って行った。千鳥足で開けた店の扉から漏れた明かりで、その「立ちションオヤジ」の顔が照らされる。中からはカラオケの怒号が聞こえ、すぐに扉は閉まり元の暗闇に戻った。

その瞬間、僕の怒りは爆発した。

第四話 怒鳴り込み

自分の店に向かって「立ちション」をしたオヤジが、そそくさ隣のモリエに入って行くのを目撃した僕は、激怒しつつも落ち着いて静かにドアを開けた。

ちょうど先ほどまでのカラオケの怒号は止んでいる。合流した二人の仲間を招き入れ、乾杯でも始めるところだろうか。僕がモリエの店内へ入ると十数人いたお客たちが、ギロリと一斉にこちらを見た。

「モリエさん、営業中に大変失礼しますが、今しがた中に入ったお二人と話がしたいのですが…」

僕は静かに切り出した。あらどうしたのかしらとも言わんばかりの訝しい顔をするママさん。構わず僕は続けた。

「そちらの方がたった今、蕎麦宗の庭に向かって立ち小便をしました。目の前で見ていたので確かです。表に出てください」

怒りを押し殺して、冷静に説明しながら視線を変えた。立ちションオヤジは目を合わせないように俯向いている。その瞬間だ。

「うちのお客さんがそんなことする訳ないでしょ、そんな失礼なこと言うあなたが出ていきなさい」

狭い店内にママさんの怒鳴り声が響いた。年配の方々も何事かとばかりに凍てついている。立ちションオヤジはさらに小さくなっている。
その一瞬に、僕は全てを悟った。

「申し訳ない、失礼します」

軽く会釈をしながら、固く握りしめていた拳をゆるめて丁寧にドアを閉めた。

第五話 ママの教え

蕎麦宗の店の庭への「立ちション」を目の当たりにし、隣のスナック・モリエに怒鳴り込みに行った僕は、ママさんに逆に怒鳴られることとなった。

それでは、その一瞬で僕は何を悟ったのか。
たとえ立ちションオヤジでも、モリエにとっては大切なお客さん。常連客ならなおのことだ。いくら隣の蕎麦屋の兄ちゃんが訴えようと、直接目の当たりにした訳ではないママさんが、その下品な行いを認める筈がない。それがお客さんに対する愛情だ。
そして、その場に置かれた立ちションオヤジはただでさえ立つ瀬がないのに、ママさんが庇ってくれるという最大の愛情を受けた以上、「私がやりました」とは言いだせない。折角のママさんの「うちの子に限って」という想いを反故にしてしまうからだ。だからこそ、俯向いた上に更に小さくなったのだ。

《これ以上 我を張ってはいけない・これ以上追い詰めてはいけない》

僕は、その二つを悟り受け入れた。だから頭を下げてドアを閉め、その場を後にした。だが、同様のことを一瞬に察知し、行動に移した人がいた。先に一緒に店に入って行ったもう片方のオヤジだ。僕がモリエから出たすぐ後にドアが開いてひとりの男性が店から飛び出してきた。

「兄ちゃん、本当にすまない、あいつが立ち小便したのは確かだ、なのに謝罪せずにいることを許してやってくれ、俺が代わりに謝るから…」

僕は状況と気持ちを自分が悟った通りに伝えた。その人は更に平謝りになった。僕は許していると伝えてくれと頼んだ。

…それから後、モリエのママさんの僕に対する態度は変わった。勿論その件には触れない。が、以前にも増してにこやかに挨拶してくれた。同じ客商売屋としての尊敬とともに。

もし同じ状況になったとしたら、僕も店主として同じ行動を取るだろう。けれど、若かりしあの頃、この事件の前にはそうは出来なかったかもしれない。僕はママさんからそれを教わったんだって、今でも思っている。

第六話 看板の命運

閉店した蕎麦宗の隣のスナック・モリエのオーナー善次さんと、彼の妻であるママさんとの思い出は、ここまで語った通りだ。既に善次さんはなくなっていることは承知していたが、ママさんが亡くなったことをうちの常連さんから聞いた時に一つの不安が頭をよぎった。

「あの看板はどうなるんだろう?」

通常新しいお店ができる時は、一度サラにして新しい店が作られる。居抜きの場合でも当然店の名前は変わるので、看板だけは変更されるのは当然だ。もしご遺族が引き取りを望まないとしたら、店内の調度品のみならず全ては廃棄処分されるのを待つのみだ。

僕はあの看板が好きだった。コールテン鋼を黒く塗って《Moglie 〜モリエ〜》とバーナーで切り抜いた無骨に見えて繊細なそれ。鉄板の看板にしては随分と品格あって素敵だなと思っていたが、それもそのはず。あの看板は善次さんの友人である芸術家「増島豊治」さんの作品だからだ。

ご不幸の話を聞いたのは木曜日だった。その翌日、たまたま仕込みが立て込んでいたので、店は定休日だったが朝早くに出勤した。すると空き店舗になった隣の物件のドアは外され、中からガタゴトと物音がする。中を覗くと解体工事が始まっていた。

僕の嫌な予感は的中する。

モリエの看板がどうなるのか気になった僕は、しずしずと職人さんに近づいて話しかけた。

「看板のことでお話ししたいのですが、オーナーさんは今日いらっしゃいますか?」

職人さん曰く今日は来ないとのことなので、僕は自分自身の携帯番号を渡してオーナーさんに電話を掛けてくれるように頼んだ。

つながったのは昼過ぎだった。一度だけだけど面識はあったのですぐに連絡してくれたのだが、自分が出先で電話に出られなかったからだ。履歴には見知らぬ同じ番号がいくつも並んでいた。何度も丁寧にかけ直してくれたようだ。申し訳なく思いつつも、再びかかってきた電話越しに僕は伝えた。

「あの看板を譲ってくれませんか」

聞けば案の定、解体が終了したあとは看板も処分場へと運ばれるとのことだった。前のモリエさんにはとてもお世話になったので、せめて看板だけでも遺したい旨を語った。オーナーさんも快諾してくれた。

「ですが、工事は今日の夕方までには終わる予定です、外壁や看板も…」つづく

僕は出先から急いで戻った。看板は大丈夫だろうか、壊されてはいないだろうか。どんよりと曇ったその日の天気と同じように、重々しい不安を抱えたまま現場に到着すると、壁の解体は始まり、看板は取り付け部の長いネジ状の鉄筋がひしゃげて宙吊りになっていた。

「間に合った⁉︎」

かろうじて看板は無事だった。オーナーさんから譲り受ける旨を職人さんに伝えると、「聞いてるよ」とのことだった。先回りして連絡を入れてくれたのだった。彼らにも少しだけ事情を話すと、共感してくれたのか、綺麗に整えた状態にして渡してくれるとのこと。ありがたい。

僕は店の前にある駐車場の片隅の自販機で、人数分の缶コーヒーを買って運び、彼らに渡した。

「3時の休憩で飲んでよ」

一番若い職人が受け取って、「あざっす」と、にっこり笑ってくれた。

ふっと見上げると、曇り空の隙間に青い空が見えた。

第七話 作品のいのち

翌朝、週明けの店に着くと、綺麗に整えられたモリエの看板が蕎麦宗の脇に置いてあった。普段、定休日に出勤することはほぼない。たまたまそれが看板の命拾いを引き起こしたのだった。

その日、モリエに代わって隣に新しく出来る、ベースボールバーのオーナーさんとも直接話すことができた。若い兄ちゃんだが、気さくで礼儀正しくとってもチャレンジングな方だった(しかも同郷の韮山町出身でした)。僕のモリエさんとの思い出と、看板にたいする想いにも強く共感してくれた。

先に話したように、この看板は彫刻家「増島豊治」さんの作品だ。現在、イタリアはプーリアのアルベロベッロに居を構えて芸術活動に取り組み、時折日本は三島へ帰ってくる生活をされている。うちの店にも何度も来てくれているので、この一件を話したらきっと喜んでくれにちがいない。

おそらく、日本中に人知れず廃棄処分になってしまった「芸術作品」は数多あることだろう。それは残念なことではあるが、強運にも命拾いしたこの「Moglie 〜モリエ〜」の看板の未来は、いかにあるのだろう。次にそれを語って最終回としようと思う。

最終話

2019年12月の中頃に閉店した隣のスナック「Moglie 〜モリエ〜 」についての記事。
当初は3回くらいかなぁって感じで書き始めたら、連載のようになってけっこう続いた。そして、ここまで書いてきたら僕のイタズラ心に火がついた。そうだ、せっかくのnotoだ、最終回を有料にしよう‼︎。そして、お金を払って読んでみると…

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