オガハウス③
目指せスーパースター。蕎麦宗です。
では、つづき。
モノを選ぶときは先入観を取り除く、つまり情報を遮断することが定石だと思う。人間の持つ根源的な感覚と己の感性を武器にして、視覚と指先の触覚と嗅覚を研ぎ澄ませ、『考える』のではなく『感じ取る』というのが捉え方として正しい。
最後に迷った二つのうちの一つ、ベージュとマスタードの中間の複雑なチェックのそれを選び、
「コレ」
とジャケットのハンガーに手を掛けて、オガハウスのオヤジさんの方に顔を向けた。オヤジさんはほんの少しだけアゴを突き出して答えた。一瞬口角が緩んだのが分かった。
「合ってるよ、値札見てみろ」
手に取ったジャケットを掴み、胸元のタグをめくる。
「45万円…」
「羽織ってみろ、サイズ大丈夫だ、着られるだろっ」
軽やかで柔らかで暖かで、なんとも言えぬ着心地だった。もちろん初めての体験だ。
オヤジさんはニヒルに、でも嬉しそうに説明してくれた。
「本当にいいものは誰が見てもいいものだって分かるからその値段がつくんだ。でも、そういうものは無理して買う必要はない。その値段じゃなくても良いものは沢山ある。欲しいと思ったものを買えば良い」
それからも時折オガハウスへ足を運んだ。試されたのかどうかは本当に定かでない。でも、その一件があって以降、随分と可愛がってもらえた気がする。時折出会う常連さんたちは、明らかに自分とは異なるハイクラスの歳を重ねた方々だった。ジャージで来たようなこんな小僧はおらず、県教育職の公務員の初任給じゃとても買えないものばかりだったが、どうしても欲しいものは手に入れた。
あの頃オガハウスで買った靴を今も大切に履いている。イタリアのサントーニという小さな工房のもので当時3万円以上したスニーカーだ。プラダやグッチなどにOEM提供しているらしく、バッジが変わると20万円以上すると聞いたときに、
「くだらないからそんなものに金出すな」
と、オヤジさんはちょっと怒り口調で話していた。
時々彼女(のちの妻)も連れて行って、レディース物の靴、バッグ、スウェーターなども買ってあげた。オヤジさんは嬉しそうだった。出向くその度に色々とファッションの事や生き方を教わった。流行りに流されず、ホンモノを見極め、伝統(トラディショナル)として続いている意味を考え、季節や暦ではなく自分の肌感覚を信じる…。
買い物を終え「オッサンまた来るよ」って言うというと
「死んでるかも知れないから、店あるかも分からないけどな」
が口癖だった。
あれから24年が過ぎ、少し前に静岡へ行ってみた。残念ながらもう『オガハウス』はなかった。
お元気ならば80歳位だろうか。久しぶりに会って話してみたいものだ。残念ながら45万円のジャケットは今も買えない。でも、
「オッサン僕も大人になりましたよ」って。
【レディースKIMURA】の記事でも書いたとおり、僕が買い物で購入したものはモノではなく、その店主・店員の生き方全てだ。それを無駄に高いと思うのか、付加価値として捉えるのかは人それぞれで正解はない。
ただ、今こうして自分が店を経営していて思う。僕が売っているものは『食べモノ』だけではない、蕎麦宗という全てが商品だ、という誇りである。終
#商売とは #ファッション再考 #買い物をする #大人になった
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