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朝忙しい夫でも必ずチェックする聖教新聞についての話

今日は、創価学会員の夫が購読している聖教新聞(https://www.seikyoonline.com)について少し書きたいと思います。

うちの夫、どんなに忙しい朝でも、必ず目を通すコーナーがあります。それが1面に毎日載っている「わが友に贈る」(学会員は「わが友」と言うらしい)というコーナーです。きょう一日を送る上で意識したい指針のようなものです。

どんなものかいうと、


地道に続けてきた努力は
決して無駄にならない。
必ず勝利の花は咲く!
鍛えの青春の道を
力の限り走り抜こう!


自身の胸中に「広布への
熱情が燃えているか」を
常に問い掛けよう!
魂の炎のバトンを継ぐ
決意と出発の日々を!


みたいな感じです。

「力の限り」「炎のバトン」……熱いです、ものすごく。。
弱い自分に打ち勝とう、みたいなメッセージは、聖教新聞での頻出ワードですね。うちの夫も横で「よし!」とか急に気合入れてる時あるしw

でも、私にはちょっと熱すぎるのかなあ。だって、「もう疲れてだめ」「何にもやりたくない」みたいに弱気になる時って人ならあるじゃないですか。

正直、心がつらい時は、「もうダメ、無理」みたいなネガティブな気持ちに寄り添ってくれる言葉がほしい。理解してほしい。

「悲しいときには悲しい音楽を」

なんですよ。聖教新聞って「恋愛ソング」のような歌詞が多いんです。恋愛最高!出会い最高!みたいな。でも、失恋した時は「失恋ソング」が聴きたいんですよね。

カフカの翻訳とか評論をしている頭木弘樹さんは、『絶望名人カフカの人生論』という本の中で、ギリシャの哲学者2人をあげて、音楽療法の話をしています。

心がつらい時には、

「(1)まず、最初は悲しい音楽にひたる=アリストテレス(同質の原理)
(2)その後で、楽しい音楽を聴く=ピュタゴラス(異質への転導)
というふうにするのがベストで、そうすると、スムーズに立ち直ることができる」

のだそうです。

「その観点からすると、聖教新聞って元気な人だけの新聞なんじゃない?」って夫に言ったら、ちょっとムッとしたんですけど、こう言ってました。

「学会活動の現場では、いろんな悩み、それこそどうやったら解決できるんだろうって戸惑うようなケースがたくさんあるよ。そういった時は、まずは何かを伝えるというより、じっくり相手の話を聞くことに徹するようにしてる。相手のつらい心の状態に寄り添うことが多いかな。アリストテレス的なやつよ。でも沈んでばかりもいられないから、その状態からどうやったら前を向けるかを一緒に模索していくのよ。その時に必要なのが聖教新聞なわけさ。それでね……」

学会員、やっぱ熱すぎるわw。でも、なるほどなとも思いました。そういう二段構えなのね。たしかに他の「わが友に贈る」では、「支える」とか「励ます」「声掛け」「話を聞く」とか、“とにかく人とかかわろう”みたいなメッセージが多いのに気付きました。

悩みのない人なんていないから、そうした時に話を聞いてくれる存在って、まあありがたいというか貴重ですよね。ただ同情するだけじゃなくて、解決に向けてアドバイスもくれるなら、なおさらのこと。夫のよく言う「激励しに行ってくる」ってそういうことなのね。


(おまけ)
最近の、支える系「わが友」は、こんな感じでしたー。↓

女性の連帯こそ
平和と希望の象徴だ。
誓春の道を歩む
池田華陽会の友を
皆で支え励まそう!


自分だからこそ
語れる人がいる。
寄り添える人がいる。
地涌の使命を胸に
友に幸の声を届けよう!


真の「喜び」とは
「自他共に喜ぶことなり」
その第一歩は友の話を
聞くことにある。
座談の花を幾重にも!


近隣の人々との絆こそ
幸福と繁栄の礎だ。
日頃の声掛けを大切に!
わが地区・ブロックから
安心のネットワークを!

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