見出し画像

正義の方向

twitterでふと見たこの発言。こう思ってしまうのが何でかなー。皆辛い状態に追い込む意識、と気になった。

最初から座らない人は偉くない。ただの立ってる人であり、交通機関としては空席があれば安全のために座ってほしいわけで、リソース有効に使ってください!である。

偉いのは、座ってても、弱い人が来たらサっと譲れる所が偉い。駐車場の車椅子マークスペースも、車椅子マークのトイレも、「健常者は絶対に使ってはいけない」と考えるのではなく、優先順位が低い、必要な人が来たらすぐに渡せるのが理想的。

歩行者用信号が赤の時、全然車が来ない状態なら渡ったらダメなのか?もずっと疑問。逆に言えば、青なら車が来てても渡りそうで怖い。安全のためのルールのはずなのに、ルール至上、ルール原理主義になってる。

窮屈なのは、席を譲ろうとしても「断られる」事象。これも「譲る人が偉い、譲られる人は偉くない」みたいな意識が蔓延している所以ではなかろうか?ついでに「健常者は虐げられてる、優先される奴ズルい」みたいなねじれも生じている。

香港でバスに乗っていたら、目の前の男性が立ち上がり、席を譲ってきた。いや私元気だし、いいですよ、と思わず日本風に断ろうとしたら、「俺の方が体力あるから、レディはお座りください」みたいに言われて、あまりのスマートさに惚れ惚れしてしまった。同時に、私より体力なさそうな乗客が来たら、このバトンを絶対に渡すぞ。という気持ちも沸いた。

心を削りあう方向でなく、道徳がご機嫌に運営される方向を心掛けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?