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2021年10月13日の2 介護と政治と市場経済

ニルスの国の高齢者ケアという本の中に、スウェーデンのあるコミューンでの面白い取り組みが紹介されていた。そのコミューンの研究によると、高齢者の転倒事故の大きな割合を、蛍光灯や電球の取り換え時の事故が占めているとのこと。そこで電気屋さんと契約して、高齢者の家庭の電球取り換えを無料でやってもらうことにしたと。

 日本でもすればいいのにと思ったが、日本の場合、じゃあどの電気屋がするのか、それだと利益供与にならないか、などなど紛糾してなかなか合意形成できないのではと思った。自治体や政治への不信が強い国は何をするにしても合意形成にコストと時間がかかりすぎる。逆にいえばそこにコストと時間をしっかりかけることが将来の政治への信頼醸成につながり、結果、変革できる社会を築くことになる。そこを無理やり変革しようとすると某政党のように「身を切る改革」とか言って自らの給料を削るパフォーマンスをすることになる。(維新はきらいじゃないし、都構想は賛成なのだが)

 もう一つ、スウェーデンではケアマネのような仕事するのはニーズ査定員という職種らしい。アセスメントを実施する主体は、日ごろ接する介護職員や家族、そして本人である。要介護認定というようなこともなく、ニーズ査定員が本人や家族、介護職員などの情報をもとに必要と認めればサービスを利用できる。(と私は理解しているのだが、この本を斜め読みした程度の知識しかないからもしかしたら間違っているかもしれない。)ケアは公的な機関が行うから横の連携が取れている。ニーズ査定員の事務所のとなりにデイサービスやヘルパーステーションがあって、いつでも情報交換できる。みなコミューンの運営だからできることである。日本の場合、ケアマネが他の事業所の介護職員から直接意見や情報を得ようとするとなかなか難しい側面がある。自分が事業所の相談員をやっていた時、ケアマネが来るとなると、とりあえずいいところを見せないとと営業のことを思っていたことを思い出す。いいところを見せて顧客獲得につなげなくてはという意識が働く。逆にケアマネをしていたころ、実際この利用者の入浴動作見たいなあと思っても、自分のところの事業所ならともかく(自分とこの事業所のデイサービスに頼んで何度か気になる人の入浴介助をさせてもらったりしたが)他事業所の場合そうもいかない。事業所の表に立って話をしてくる相談員はやはり営業という意識も働くだろうし、相談員自身あまり介助に関わっていない場合もあるからどこまで正確にその利用者を見ているのか疑問もある。

 取り留めない話になったが何が言いたいかというと、ケアの分野は市場経済より計画経済の方が優位なのではないかということである。

 安倍政権は2013年ころの日本再興戦略において、医療・介護を成長分野と位置付け、医療費・介護費を抑制しつつ、税金を取れる分野にしようと考えていた。しかしそれは明らかに失敗しているし、失敗すべきである。このような分野を成長分野と位置付けた場合、その成長のために格差が必要になる。最低限のサービスを公費で行って、それ以外は市場経済にまかせようというのだから。公費で賄う部分を拡大しようとすると民業圧迫と言われるような時代にすべきではない。

計画経済は非効率で市場経済は効率的というのはケアについては幻想ではないか?上からの統制経済が非効率なのであって、労働者主体の民主的な運営に基づく計画経済はむしろ効率的になる可能性がケアの場合あるのではないかと思う。要はケアという分野は、(交換)価値より使用価値を重視すべき分野なのだから。

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