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2021年9月19日神戸は高いところから見たほうが美しい

 金曜日に新型コロナワクチン2回目接種を受けてきた。副反応が心配だったので友人の家に泊めてもらった。結果は接種翌日に丸一日37度台後半の熱が続いたが、それ以上は上がらず、割と軽めの副反応で済んだようだ。接種翌々日の今朝には平熱に戻った。

 友人宅は阪神間の高台にあり、周囲は閑静な住宅地である。私がベッドを借りた部屋の窓からは家と家の間から大阪平野を一望できる。天王寺のあべのハルカスも見えるし、中之島や梅田のビル群も見える。大阪という街の大きさがよくわかる風景であり、大阪という都市の持つエネルギーのようなものを感じる風景である。一望できるその風景の中に数百万人が生活しており、仕事をしたり勉強したり研究したりしている、そこから将来新しい発見が生まれたり商品が生まれたり作品や論文が生まれたりする。そのような空想が広がるその眺めが私は大好きだ。接種当日は雨だったが次の日はおおむね晴れていた。今朝も晴れていた。だから私は借りた部屋の窓から存分に大阪の眺めを楽しんだ。

 朝起きて平熱に戻ってみると、せっかくの天気なのに家にこもっているのがもったいなく思えてきた。友人に挨拶をし、お礼を言って9時には友人宅を出た。私の家はずっと坂を下って行って、JRを超え、阪神を超えたあたりの安アパートである。阪神間に住む人なら知っているだろうが、この辺りは阪急沿線のうえの高台が閑静な住宅地になっており、JR沿線が商業地区、阪神沿線は安アパートや公営住宅などが立ち並ぶ庶民の街になっている。所得が家の標高に比例するような地域である。坂道を、周りの町の雰囲気が徐々に騒々しいものに変わっていくのを感じながら降りて行った。家に帰りついて、それから風呂に入って一息ついた後、カーシェアで車を借りた。ホームセンターで仕事に必要な買い物を少しし、それから図書館へ行って認知症ケアの本2冊と小説を一冊借りた。それから私は六甲山へドライブした。ビーナスブリッジの展望台から神戸の市街地を眺めた。

 神戸の街は高台から眺めたほうがきれいに見える。町中に入ると別にほかの都会と大きな違いはない。関西全体がゆるやかに衰退する中で、特にその衰退が著しいのが神戸である。神戸は毎年着実にその人口を減らしている。人口減少数はたしか政令指定都市でも1位か2位のはずだ。だから中心部の繁華街もだんだん寂しくなっている。長く神戸に住む友人がいうには昔と比べて三宮はずいぶん寂れたそうだ。全体の人口減少よりもさらに影響が大きいのが若者人口や生産年齢人口、つまりは外に出て消費と生産を支える中心層の減少だろう。これらの年代がどんどん減る一方で高齢者はまだ増えている。結果、街ゆく人々はだんだん年を取り、街に活気が感じられなくなる。三宮には猥雑な活気があるが、どこか時代遅れの感が否めない。おしゃれな場所があまり見当たらない、若者の好みそうな場所も見当たらない、若者の減少が一番の要因だろう。それと梅田の一極集中のあおりも大きいのかもしれない。世間のイメージはともかく、実際に街中を歩いてみると、神戸より梅田を中心とした大阪の方がおしゃれで若い人向けの街のように感じる(もっともそう感じている私はもうすぐ50歳だからこの感覚がどこまで正確なものか判然としないが)。神戸がおしゃれというのはずいぶんと過去の話ではないだろうか。

 ただ、高台から眺める神戸は今でも十分美しい。海と山に挟まれた細長い土地に都市がギュッと詰め込まれている。実際の活気はともかく、上から眺める神戸は実際の人口以上の大都会に感じられる。そしてその向こうに拡がる瀬戸内海と、街を縁取る山の緑が美しい。ポートタワーをはじめとする港の風景も美しいものである。神戸に移り住んで10年以上になるが、ここから眺める神戸は、移り住む前に抱いていたおしゃれで活気のある神戸のイメージそのままである。

 そこからさらに再度公園にまで足を延ばした。いつ来ても美しいこの公園は日曜日ということもあって、さらにはコロナ禍で人ごみを避ける人々が来ているのだろうこともあって、大勢でにぎわっていた。風通しがよい場所なのかいつ来ても池にさざ波が立っている。それが太陽の光を複雑に反射してその光がさらに周囲の木々の葉に反射する。虫の声や鳥の声が四方から聞こえる。いつまでも飽きない風景である。再度公園の写真を友人に送ったら、また行っているのか(笑)という返事が返ってきた。今年に入っておそらく6度目の訪問だった。

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