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スピリチュアルペイン

参考引用文献*山下由香,諏訪さゆり(2021),「早く死にたいと訴える認知症高齢者のスピリチュアルペインとそのケア」,認知症ケア事例ジャーナル,14(2):115-123

 「早く死にたい」と訴える90代の認知症の男性の事例を基に、スピリチュアルペインを考える際に必要な視点とその視点に基づくケアのあり方を考察している。

 事例の男性は90代後半、一人暮らし、仙骨部に褥瘡があり、訪問看護の依頼があり、そこから筆者との関りが始まっている。その男性(以下、A氏)は「早くあの山に行きたい」が口癖のようになっている。あの山とは、A氏の家のお墓がある山のことである。サービスの提案にも「どうせもう先がないから」と拒否がある。

 A氏は自分では布団の上げ下ろしができなくなっていた。それでA氏本人として工夫をし、布団ではなく座椅子で座ったまま寝るようになった。日中もその座椅子に座って過ごしている。この長時間の座椅子での生活が褥瘡の原因となっている。その褥瘡の処置のため訪問看護が入る。入浴のために訪問入浴介護が入る。調理などで訪問介護が入る。

 ある日、ケアマネが訪問すると、「褥瘡から出血し衣類や室内が汚染していた」。ケアマネは救急車で病院に行こうと説得したが、それに対してA氏は「もうけっこうです。はっきり言って私はもうたくさんだ。どうせあと数十秒、数分の命です」と強く反発した。

 そのような経過を経つつも、本人の思いをできる限り傾聴し、また拒否のあった訪問入浴についても本人の生活リズムにあった時間帯に変更し、なにをするにしても本人に確認し、またできるだけ本人のできることはしてもらい、力を発揮する場をつくり、力が発揮されればお礼の気持ちを伝えるという関りを徹底することを通して、徐々にA氏と支援者の関係は改善していく。「早くあの山に行きたい」という口癖の出現頻度は減少し、以前は拒否のあった訪問入浴も受け入れ、訪問看護が「来週きますね」と伝えると「来週又来てください、ここでまっています」と答えるまでになっていった。

 スピリチュアルペインの三つの分類というものが考察部分で紹介されている。末期がん患者の意識調査から、スピリチュアルペインには時間性のものと関係性のもの、自律性のものがあるとのことが明らかになったとのこと。時間性とは、人生の終わりを意識することからくる、「生の中断・将来の消失」への意識の指向、そこからくる「なにをしても無意味」「もうどうでもいい」という類のスピリチュアルペインである。関係性とは、他者との関係性の喪失からくる空虚や孤独のことで「言いようのない孤独」や「寂しさ」「不安」となって現れる。自律性とは、不能と依存から生じるもので「なんの役にも立たない」「人の負担になるばかり」という嘆きのことである。

 褥瘡からの出血の際、ケアマネは救急車を呼ぼうとした。それは本人の意思を無視しての説得であった。そのような対応は自律性のスピリチュアルペインを引き起こすものであり、また、運命の急変への直面という時間性のスピリチュアルペインを引き起こす対応でもあった。近くに住む長男が訪ねてこないという言葉をよくA氏は口にした。しかし実際には長男は時々たずねていた。しかし記憶障害もあり、なにより日常的に強烈に感じる孤独から関係性のスピリチュアルペインが引き起こされていたと考えられる。

 これらの嘆きに対して、本人の意思をまず確認する、力を発揮する機会をつくり、お礼を言うということを通じて、自律性のスピリチュアルペインへのケアが行われ、また、傾聴に努めることでも自律性のケア、また関係性のケアが行われた。本人の日常生活のリズムの尊重も自律性のケアにつながる。それらの積み重ねを通じて、「なにをしても無意味」というような時間性のスピリチュアルペインへのケアもなされていったということである。

 介護の仕事をしていると「早くお迎えにきてほしい」とか「どうせ長くないからどうでもいい」というような発言を耳にする機会がある。一生懸命支援しようとしているのにと介護職としてはなんともいえない無力感に襲われたりするが、この論文で触れられているスピリチュアルペインの分類というのは、そのような発言に接した際に有効な視点を与えてくれるものだと考えられる。

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