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会いがたき、人に会える、ありがたさ


最近思うことのひとつに、言葉というものの織りなす「綾」があります。

たとえば、「それは、言葉の綾だよ」と言って、勢いで言ってしまったことを弁明するような時に使う言葉です。


元来は"巧みな言い回し"のことを言うそうなので、上記のように、言い訳めいたことを言うというよりかは、「なるほど絶妙な表現だ」と感心するようなことを言うのでしょう。

そういうことでは、誰かがTwitterとかInstagramなどで、「友人と買い物に出かけた!」とか「今日は親友の誕生日!」みたいなことをで発信して、自分たちの姿がはっきりと映っていない場合があります。

多くの人にとってどうなのか、それは人それぞれとしても、少なくとも私自身の思い込みとしては、なるほど同性の親友・友人と一緒だったのかと思ってしまうことが多いはずです。

ただ、前後を詳しく、詳しく見ていくと、実は異性だったということがあるかもしれず、思わず"ハッと"なるかもしれません。


世の中的には、今はもう少し複雑な事情があるでしょうが、私自身としては、自分の性別は男で、女性は異性であると認識して、それに基づいて考えてしまうことが多いということです。

それは、男同士では"友だち"とか"仲間"とか考えるし、女性とは"恋人"かそうでないかとか、"知り合い"から"友だち"の間のどこかでありたいと考えてしまう傾向が、自ずと出てしまいます。


ただ、これも別に誤解を招くような、ミスリードする意図もないわけで、お互いの性別がどうであろうと深い友情が芽生えることもあるでしょうし、また、ほんのり甘酸っぱい恋愛感情が生まれるということも、当然あるということなのでしょう。

この場合では、プライベートでの付き合いを念頭に置いて述べていますが、仕事やプロジェクトなど何らかの活動では、男女関係なく強い連帯感情を抱いたり、強い仲間意識を持ったりすることもあるでしょう。

振り返ってみても、そういうことはなきにしもあらず、確かにあれはそういうことだったなと、今になって、冷静になれば思い出すものです。

ここに、自分の思い込みの浅さを省みながら、そのそれぞれの関係をどう呼ぶかに関わらず、(心と心とで手をつなぐように)人と人としての関係が深まれば嬉しいし、その人数が多くなれば嬉しさもまた増えるだろうということです。


「相方」とは。


お笑いの世界で見るとわかりやすいのですが、男同士、女性同士、あるいは、男女でと、いろいろなパターンのコンビ(時々、トリオ)がいます。

お互いに、このパートナー的存在のことを「相方」と呼び合うのですが、一体「相方」とはどのような存在なのでしょうか。

議論を繰り広げれば白熱することは間違いないでしょうが、少し先を急ぐように、ひとつの提案をして先を進めていきます。

個人的に思う、これを考えるのにピッタリの教材があって、森田まさのりさんの『べしゃり暮らし』(全20巻・集英社)という漫画がそれにあたります。



高校の同級生同士で組んだ漫才コンビが、お笑い界のトップを目指しながら織りなす群像劇というのがストーリーの主な内容です。

それと同時に、各コンビ(時々、トリオ)ごとの衝突や葛藤が描かれており、友情、仲間、恋人、夫婦など、お笑いだけに限らない「"相方"とは。」を考えるのにふさわしい作品であるように思います。

昨年2019年には、テレビドラマ化もされたので、これもいずれはチェックしておきたい作品です。



音楽のバンドや、スポーツのチームにおいても、バンド仲間とかチームメイトとは何か?みたいなことが同じように考えられるでしょう。

しかし、「相方」はまた異なる様相を見せるように思います。

それは、複数人でどうこうというのではなく(それはそれでドラマチックなものですが)、お互いにお互いの存在しかいないという、ある意味切迫した関係があるからのように思います。

自分にとってその人しかいないように、その人にとっても自分しかいないという、まさに余人をもって代えがたい存在、その最たるものが「相方」の成り立ちであるように思うわけです。


「SOUL BROTHER NO.1」


私自身、お互いに「兄弟」とか「相方」と呼び合う仲の友人がいて、実際の血縁的な兄弟でも家族でもないわけですが、心の根底における深い交歓が、20年以上もの長きにわたって続いています。


個人的にはずっと、根底のところでは「友だち」という概念がよくわからず、本当に仲が良いということは、それはもう"親友"と呼ぶ関係なのではないかと思っています。

今はもう少し柔軟に考え、拡大解釈もするようになっており、何回か会って話をして気心が"それなりに"知れたのなら、それはもう"友人"と呼ぶにふさわしい気がします。


以前は特に、"狭く×深く"を強く希求していて、そうでないものはあまり視野に入れていませんでした。

次第に、"広く×浅く"も許容できるようになり、今は、極端に偏らずとも、そこそこ広がりと深まりがあれば良いと思うようにもなりました。


具体的には、たとえ"知り合い"くらいの関係でも、こちらが極めて好意的に思って、より良い関係を築きたいと思っているのであれば、誰かに紹介するような時には"友人"とするのが良いというようなことです。

それもひとつの、いわゆる"大人の対応"ってやつで、少しずつ、少しずつできるようになってきたように思います。


今後も折に触れ、気が合う人のひとりひとりと出会っていくでしょうが、お互いの距離が縮まったり離れたり、時期やタイミングに応じての、その濃淡が必ずやあることでしょう。

新たな出会いにおいて、本当に深いところで"つながる"ことがあるのか、そういう人と出会えるのかはわかりませんが、仲の良い時はそれを大切にして、何だか疎遠になってしまうような時には、それまでに過ごした月日に感謝の気持ちを表すようにしたいものです。


このあたりは、スラッシュとマイルス・ケネディーとの関係とか、初期FAKE?のKEN LLOYDさんとINORANさんとの関係、あるいは、riceの有紀くんとヒロくんとの関係に学ぶことは多いものです。


二兎追う者は一兎も得ず


それに伴って、たとえば、自分の想像すら及ばない、はるかに大きな存在がいるとして、何の気まぐれかイタズラなのか、私の前に"理想の女性そのもの"をもたらしたのかと思ってしまったのは、20数年前の、SOUL BROTHER NO.1に出会ったのと同じ時期。


このあたりは知られざる"もうひとつ"の話、どちらかを選ぶとどちらかは選べないという、今もって終わらない話のひとつ。

もしも、この時に少し欲張って、どちらとも仲良くなるような「いいとこ取り」をしようとしていたら、ともに関係を確かなものにする"深さ"が出ることもなく、それゆえに"長く"あるということも難しかったように思います。

いずれにしても不器用な私にとっては、それはできないことだったわけで、どちらかを選べば、もう一方を同じようには選べない、それはまさに葛藤でしかなかったということなのでしょう。


ただ、そうやって大きく、大きく迂回するようにして、その伏線はいつか回収できると良いなと、どこか祈りにも似た気持ちを持っています。

それほどまでに、大いなる伏線は大いなる感動のために、容易に回収してはならない、それゆえに大きく迂回しているのだと、自分に言い聞かせているところもあります。


それほどまでに、心に衝撃を受ける=真に迫るようなことは、今に至るまでほとんどなく、時に、どうしようもないものを求め続けているような気持ちになることもあります。

このあたりの詳細を追求するのもやぶさかではあるので、人知れず思いを繰り返しながら、また前を向いて歩いていけるようにと心がけるばかりです。


今はひたすら、今もどこかの空の下、元気で過ごしていたら嬉しく思うものです。


まさにその人なのか、あるいは別の新しい人なのかはわかりませんが、"会う時には会う"もので、それもかなりひょんなことがキッカケで起こりそうな気もするものです。

そのためには、特に何もしない、取り立てて何もしないというのが、今の思う正しいアプローチのように思っています。

この、"もうひとつ"の話については、今後どうなっていくのか、それによって異なる景色を見せることがあるかもしれず、何かしら続きが生じることがないとも言い切れません。


まとめ


当初、勢い込んで書いていたものに強めの遠心力をかけた結果、だいぶさっぱりとした内容になりました。

ところどころ、ふんわりしすぎてわかりづらいところもあるでしょうが、それとなくほのめかすための配慮と思っていただけたら幸いです。


前回の記事では、私の「はかどる妄想」を展開していて、自分にとっての理想のパートナー(=異性)が、"親友であり恋人(あるいは、配偶者)"みたいな、ほとんど全てのことを兼ね合わせているようなことは、現実的にはあるでしょうか。

また、果たしてそういう人に出会えるのか、ぜひとも出会ってみたいものだなというその思いは、今もって持ち続けているもののひとつです。


前回の記事はこちら↓


人と人との関係に限らず、実際のいろいろなことを見ていくと、どうしても欲張ってしまうばかりに、かえって最終的に手に入るものは少ない、そういうことが多いように思います。

それでも、完璧なまでに心が満たされる、とことん覆い尽くされるようなことはあるのでしょうか。

理想は崇高にして、それゆえに容易に手が届くようなものでもないので、その淡いのうちを、静かにたゆたっていくのが良いように思います。

あるいは、基本的には身の丈に合うようにしながら、時々はうんと背伸びもする、そうやって、今後ともひとりひとりの人、ひとつひとつのモノやコトを大切にしていけたら良いなと思います!


<2020.8.29 追記>

浅生鴨さんによる小説「伴走者」(講談社)、こちらも誰かとの深い関わりを考えるのに良い作品であるように思います(文庫版もあり)。


今年の3月には、BS-TBS開局記念ドラマとして、吉沢悠さん、市原隼人さんダブル主演で放映もされています!


<2020年8月10日:追加>


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