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診断

(この話の続きです)

紹介状は固かった。

クリニックで紹介された総合病院の受付で初診の登録をし、脳外科受付のある階まで上がる。受付に行くと、「脳神経外科」と「脳神経内科」に分かれていた。(“脳の病気”として想起する脳卒中やくも膜下出血は「脳神経内科」で、私が紹介されたのは「脳神経外科」である)

診療科で初めて紹介状の封が切られ、中にMRIの画像データのCD-ROMが入っていたことを知る。

受付では、「ガンマナイフを希望されていますか」と尋ねられた。

ガンマナイフとは脳病変に対する定位的放射線外科治療の装置のこと。放射線治療の一種で、脳腫瘍などを開頭せずに病変のみを治療できる。


この手術であれば、数日の退院で済む。ただ、無駄に高い私のリサーチ力を総合すると、ガンマナイフは小さい腫瘍の適応だということはわかっていた。何より、クリニックの医師はガンマナイフについて言及していなかった。もし腫瘍を見た時点で可能性があるなら、医師はきっとガンマナイフのことも説明しただろう。

「希望はしますが、適応しているかはわからないです」と正直に答えた。

待合室で待つ間、受付の女性の一人が、分厚いファイルを持ってきた。その病院における脳外科手術の実例集のようなものだった。

ガンマナイフ・開頭手術の別なく、症例が並ぶ。手術を受けた年齢、性別、腫瘍の大きさ、術前の症状がまず書いてあり、手術前後の造影CTの写真が並ぶ。

そして、続くのは術後の合併症や、術前の症状がどう変化したかであった。
基本的に術前に腫瘍が小さければ、聴力への影響が元々少なく、腫瘍をとっても聴力が残る事例は多かった。

逆に、腫瘍が大きな人は、術前から失聴している例が多いように見えた。

この時点で、私が最も不安に思っていたのは、仕事を続けられるかどうかだった。

記者やライターの能力は「書く力」だと思っている人も多いかもしれない。もちろん文章のセンスがめちゃくちゃいい人もいるので、大事でないはずはないのだけれど、この能力がなければできないという職業でもないように思う。

もっと大事なのは、「聞く力」だ。聞きながら頭の中で文章を組み立て、足りない部分をリアルタイムで質問していくのが取材である。今後、聞く部分で何らかの支障があると、自分自身に大きなストレスがあるだろうというのは、簡単に想像できた。

片方の耳が聞こえなくなる、というのはどういう状態なのだろうか。現時点でも聞こえづらさはストレスだった。自分はどうなってしまうのだろうか。見当もつかなかった。

初診は少し待ったが、思ったほどではなかった。自分の番号がモニターに写され、診察室前に移動すると同時に、相馬さん、と診察室の中から声がかかった。

主治医となるその医師は、率直に話したほうがいいタイプの人のようだと直感的に感じた。こういう勘は、あまり外さない。

MRIの画像を見始めた医師に、素直に「手術ですかね?」と尋ねた。

「そうだねえ、このままということはないね。紹介してくれた先生からは、なんか言われた?」

「いえ、とりあえず先生のとこに行ってきて、と言われました」と私が言うと、医師は大げさにずっこけたふりをして、ニコッと笑った。

脳外科に来る人は基本的に重い話が多いはずだ。重い話をフラットに話すことはとても難しいけれど、この人はきっと何度もこうした説明をして、相手がどんな反応をするのか、いろいろな例を見ているのだろうなと悟った。

この主治医の明るさや率直さは、その後も私の心の支えとなることになる。

「ガンマナイフを使うことはあり得ますか」
そこは医師は眉を顰め、あれはもっと小さい腫瘍の方がいいんだよねえ、という。
技術的な問題ではなく、聴神経腫瘍という「良性腫瘍」だからこそ、一度で全て取り切るのが大事だということだった。

ガンマナイフの分野ではかなり有名な医師であるはずだと知っていたので、この先生が言うなら、もうガンマナイフという選択肢は取るべきではないというだろう。絶対あのクリニックの医師も、開頭手術の適応だと気づいていたよな。言えなかったのかな。

「聴力は残りますか」

一番聞きたかったことを聞いた。すると、

「今どのくらい聞こえてる?」

という質問で返された。

高い音は聞こえにくいけれど、元々の半分くらいは聞こえているように感じますと答える。

「あなたくらいの腫瘍の大きさなら、すでに聞こえなくなってる人がけっこういる。腫瘍ができることで神経が薄くなっているから、手術で聴力を残すことは難しいと思う。もちろん頑張るけどね。でも最優先なのは顔面神経の温存なんです。顔面神経に影響すると目が閉まらなくなったり、口が閉じられなくなったり、もちろん見た目にも影響しますから、これを傷つけないことが最も重要になります」

聴力よりも生活に関わる顔面神経の方が大事という理屈はよくわかった。
とはいえ、説明を聞きながら激しく落胆していた。

医師は、放っておけば脳幹を圧迫していく。脳幹は生命活動を担う脳の部位であり、要するに命に関わるというわけだ。比較的若い年齢の人は開頭手術で全摘を目指すこと勧めます、と断言した。

「開頭」のイメージはわかないままだが、他に選択の余地がない。やります、早いほうがいいですか?と話を進めた。

20代のころ、卵巣嚢腫という良性腫瘍を摘出したことがある。そのときも入院はしたが、良性腫瘍と言っても開頭手術はどうやら段違いの困難さのようだった。その違いは、後々思い知ることになる。

2週間後に精密検査をすることを決め、血液検査をして帰る。検査のために大量の同意書を持たされ、桜の咲く道を重い気持ちで歩いた。Slackを開き、職場に「入院が必要らしい」と伝える。

翌々日には、息子の中学校の入学式が控えていた。手術となると、何日の入院が必要だろうか。ほぼワンオペの我が家で、私が入院するなら人の手を借りなければままならない。そもそも開頭手術のあと、人間は何日で普通の生活に戻ることができるのかもさっぱりわからない。

自分の一部を失うことがわかっていて、それでもその選択肢しかないとき、こんなにも恐ろしく感じるものなのか。人は生きていくうえで失い続けていくというのに、こんな恐ろしい気持ちを何度も繰り返すのだろうか。そう思うと憂鬱で仕方なかった。

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