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「やさしさ」とは心の弱さではなく、最後に人を救う強さのこと #やさしさってなんだろう

はじめまして!soarボランティアスタッフの村上綾と申します。普段は報道の現場で仕事をしながら、休日に執筆やイベント運営の手伝いをしています。

「やさしさってなんだろう」。今回はこのテーマでお話する機会をいただきました。どうぞみなさまも、周りにいる大切な人たちの顔を思い浮かべながら読んでいただけるとうれしいです。

私は、やさしさとは心の弱さ、社会を生き抜いていくうえで妨げになる余計な感情だと思っていたことがありました。

ときに相手の心情を汲まず必要な情報や話を聞き出してこなければいけない場面で、冷静な判断ができなかったり、与えられた役目を果たせなかったり。「情に弱い」ということがマイナスに働く現実を前に、自分の性格を変えなければと必死になっていた時期がありました。

人にやさしくできたとしても、他人に嫌われたくない、良い人間だと思われたいという気持ちがそうさせているだけ。「私は心の弱いだめな人間なんだから」と思って毎日仕事に向かっているうちに、心も体も疲れてしまい、1年間職場を離れることになりました。

「結果を出して誰かに必要とされる」という柱を失った私ができることといえば、通院と家事くらい。迷惑をかけてしまって申し訳ないからと、最初は周りの人たちの気遣いを素直に受け入れることができませんでした。

けれど、それからの1年が私の心をゆっくりと変えていったように思います。soarの記事に出会い、ボランティアとして関わりはじめたのもそのころでした。

なにもかも手放して実家に帰ってきた私を粘り強く支えてくれた家族。学生時代と変わらない仲のまま一緒にご飯を食べてくれた友人。リワーク施設(復職を目指す人たちが通う施設)の精神保健福祉士さん、そこで出会った人たち。会社の同僚、上司。
そして、いつも笑顔で迎えてくれるsoarの皆さん。

たくさんの人たちが、たくさんの形で「やさしさ」を届けてくれている。私にはそれらを受け取り、自分をだめな人間だと思わずに生きていく権利がある。そのことに気づいた瞬間から、誰かのやさしさに対して「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と言えるようになっていきました。

たとえばそれは、存在を忘れないでいてくれること。真剣に向き合い、一緒に生きていこうとしてくれること。相手の元気と幸せを願い、その気持ちを恥ずかしくても言葉で伝える勇気。すべてを理解し、こうなってほしいという姿に必ずしも導くことができないとわかったうえで、握り返してもらえなくても、手を差しのべ続ける力。

私を助けてくれたのは、心身を犠牲にして得た功績ではなく、こうした人の「やさしさ」でした。だから、今は自信をもって言えます。やさしさは、心の弱さや甘さではない。最後の最後に人を救う強さだと。

soarに登場する人たちの多くも、誰かのやさしさに生かされたことがあって、その大切さを心のどこかでわかっているからこそ、こんなにもまぶしい笑顔で今を生きているのではないか。自分のもてる力を使って、困難な状況を変えていこうと進んでいるのではないかと思います。

少し大きな話になってしまいましたが、やさしさは誰でも持っていて、使える場面は意外と身近にあるのではないでしょうか。どんなことができたのか、してくれたのかという内容よりも、大切に思っているということが伝わるだけで救われる人がきっといるはずです。私のように。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。私はこれからも大切な人たちのやさしさを受け取り、また気持ちを込めて手渡しながら、どこかで同じように温かい人の輪が広がっていることを願っています。

written by 村上綾

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