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なかったことにしたくないこと

今日は、勇気を出して書きたいことがある。
なかったことにしないために。

2022年4月5日、私の身体から赤ちゃんをさよならした日。

私は24歳の時、友達の友達からレイプされた。
「ご飯行こう」って言われたから、会いに行った。
違う場所に連れて行かれた。
叫べば、暴れれば、抵抗すれば、逃げられたかもしれないのに、
私はそうしなかった。
自業自得だよね。
力ずくでやられたから、身体に激痛が走った。
身体がメリメリいった。
体外離脱して上からずっと見てた。
相手の気が済んでから、やっと解放された。
怖くて身体がガタガタ震えてた。

何回同じようなことになればいいんだろう。
でも自分が悪かったから、こういうことが起きるんだよね。
どうせ私はこういうことに使われるのがあってるんだよね。
それまでだってやっとのことで生きてきたのに、何かがぶっ壊れた。

それからは、何人もの男の人に会った。
名前も住んでる場所も何をしているのかも知らない人たち。
自分を罰するために。
自分を傷つけるために。
自分はそんなふうに暴力を振るわれて当たり前の存在だ、と本気で思っていたし、
そう思うことで、過去の被害を正当化して、
自分の身に起きたことを普通のことであると納得させることで精神を保っていた。
私は汚いから、もっと汚れればいいとも思った。
周りの人の全てが怖くて、
危ない関係にいる方がなんだか安心した。
一回だけ、5000円くれたおじさんがいたけど、
それ以外、お金は貰わなかった。
お金なんて貰う価値はないから。

怖いはずのことも怖くなかった。
暴力する人もいた。
何度も何度も殴られた。
誰ひとり避妊なんてしなかった。
暴力が酷くなるかもって、私も言わなかった。
いつも天井から見てた。
怖くて部屋を飛び出したくなる時もあったけど、
そういう時はたいてい記憶が飛んでくれたから助かった。

相手を大事にするそれを、私は知らない。

でも、一つだけ知れてよかったことがあった。
みんなそういうことをすると、暴力的になるってこと。
過去の被害の相手が特別暴力的なわけではなかったんだ。
みんなそうなら、大したことない、そう思った。

そんな中、私は妊娠した。
誰にも言えなかった。
怖かったけど、なぜか私の行動は自然と少しずつ変わっていた。
男の人と会うのをやめた。
頓服や妊娠にリスクのある薬をやめた。
コンビニのご飯を減らした。
陽性反応が出て、病院に行った。エコーには小さな袋がうつってた。
その時医者が、赤ちゃんを見ながら、
「この人おそらくアウスです」と言った。
知らない言葉だったけど、後で調べたら、
「アウス=中絶」だった。
すごく辛かった。
どうして赤ちゃんに向かってそんなことを言うんだろう。
確かにメチャクチャな状況だった。
誰がパパかわからない。暴力が相手だったら?


でも、「この子は私の子だ、私が決める」そう思った。


すごく悔しかった。
それからたくさん悩んだ。
それしかその時の自分にできることはなかったから。
ちゃんと悩んで決断することが、最低限の責任だと思った。
でも、どの選択をしても、間違っている気がした。
産むことができても、育てられない可能性もあった。
グループホームに住んでいるため、
妊娠を継続することは、住む場所がなくなることでもあった。

ずっと思ってたけど、安心して帰れる場所が欲しい。
家(house)はあるけど、家(HOME)はないんだなって、改めて感じた。

具体的なことをたくさん想像した。
将来、赤ちゃんが事実を知ったら、とても傷つくと思った。
どんな影響を与えてしまうかはわからないけど、
全てを受け止めていくしかないと思った。

やろうと思う覚悟と、
無理だとなった時に助けを求められる覚悟が、必要だった。
それは赤ちゃんのために。
必要な人と、適切に繋がれる力をつけることが、私には必要だった。


私は産むことを決めた。ひとりで決めた。


決めたから、親に話に言った。
11歳で、親に助けを求めることを諦めた私が、覚悟を決めて話に行った。
「堕すか死ぬか」それが親の考えだった。
「間違ってできちゃった子」
「産まれちゃいけない子」
お皿が飛んできた。
聞きたくないことをたくさん聞いた。
親もショックだったよね。仕方ないよね。
小さい頃のことたくさんフラッシュバックした。
親はあの時の親だった。
何も変わっていなかった。
「あなたが親になったら、虐待するよ」って、自分たちがしてきたことに気づいてるのかな。

赤ちゃんに同じ苦しみを与えたくないし、私は繰り返さないって思った。
でもやっぱり、親を前にしたら、私は無力だった。

今まで色んなことがあったけど、それ以上に無力すぎた。
自分の気持ちを信じられなくなった。
全部間違っている気がした。
それでも私の気持ちは変わらなかった。
頭おかしかったのかな。

だけどどうしたって、とても大事なことが無さすぎた。
でも、それはその時の私にはどうすることもできなかった。

パパが誰かわからなかったこと。
赤ちゃんがお腹いっぱい食べられるためのお金がなかったこと。
赤ちゃんを守れる大人が少なかったこと。
私に赤ちゃんを幸せにする力が足りなかったこと。

私は本気で産みたかった。
赤ちゃんに会いたかった。
どんなに大変で苦しくても、変わらず愛情を与えたかった。
でもきっとそんなの私の薄っぺらい考えで、私のただのエゴなんだって。


私は産みたい気持ちのまま、赤ちゃんを殺した。
最低だよね。
手術しに行ったのは、私。
私が決めたこと。
私のせいで赤ちゃんは死んだ。

手術の時、涙は一滴も出なかった。
最低だよね。
何も感じなかった。
麻酔したけど全然効かなくてすごく痛かった。
今でも鮮明に覚えてる。
手術台の上で足を開いた感覚。
足を固定された感覚。
心電図の音。
ライトの光。
恐怖。
寒さ。
お腹の中を吸引する音。
おっきな注射器みたいなのを使っていて、それに入ったお腹の中の真っ赤な中身が見えたこと。
強烈な痛み。
恐怖と痛みと寒さでガタガタ震えていたこと。

でも赤ちゃんはもっと痛かったし怖かったよね。
お腹から出された赤ちゃんは、ゴミ箱に捨てられちゃったのかな。
どんなに小さくても生きてるのに。
そんなことも聞けなかった。
最後のエコーで心臓が動いてたよ。
ちゃんとお腹の中で大事にして、会いたかった。



あれからもう2年が経った。
赤ちゃんに会いたい気持ちは全然変わらないし、
忘れることもない。
すごく罪だけど、私も家族が欲しい気持ちがあったのかもしれないと思う。
だからあんな状況でも、赤ちゃんに会えることが希望のように感じてしまったのかもしれない。

産みたい気持ちのまま赤ちゃんを殺してしまったことが、すごく悲しい。
誰にも私の気持ちが伝わらなかったことも、すごく悲しい。
「人殺し」って言葉が今でも時々聞こえる。
わかっているから否定できない。
その声にさらに追い詰められる。


今の私にできることは、赤ちゃんを想い続けることだと思う。
それしかできないことはもどかしいけど、
そうすることが自分のためにもなる気がする。
人にわかってもらうことは難しいし、
自分の責任なんだから話してはいけないことだとも思ってしまう。
それは自分の感じ方ではあるけれど、
社会の中での中絶の現実だとも思う。

周りの人にはどうでもいいことなのは仕方ない。
でも、なかったことにされることはとても苦しい。

どうか自分だけは、
あの日のことを、
赤ちゃんのことを、
なかったことにしないでいてほしいと願う。

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